ルカ伝 5:1 ~ 11 2023/10/8 大阪教会
父と子と聖神の名によりて
押し寄せる大群衆を避け、主イイススは小舟に乗り、少しこぎ出したところから人々に語りかけました。お話が終わり、群衆が帰っていった後、主は小舟を提供してくれたシモン・ペートルに言いました。「沖にこぎ出して、網を入れてごらん」。
ペートルは答えました。「夜通し働きましたが、何も取れませんでした 。」
このペートルの思いは私たちもよく知っている思いです。
…こんなに一生懸命働いてきたのに、こんなに辛抱強く生きてきたのに、今、自分は何を手にしているだろうか。確かに仕事もし、家庭も持ち、社会の中でかろうじて居所を得、体裁だけは何とか保っている。しかし何もかもが、その時その時の状況に押し流され、強いられて、そうなってきただけにすぎず、心の底から晴れ晴れと笑ったことなど一度もなかった。たぶん、死を目前にして自分もまた「夜通し働きましたが、何も取れませんでした」というほかないのだろう。
ペートルはその日、小舟から語りかける主の言葉を、おそらくは舵に手を置きつつ、親しく聞いたに違いありません。その言葉に、心を揺さぶられもしたでしょう、目を開かれる思いもしたでしょう、しかしその主の言葉を、彼の漁師としての仕事に結びつけて受け取ることはなかったでしょう。主のおっしゃることは確かに立派だが、自分の仕事、自分の生活を切り盛りしているのは、この自分であって、漁師の仕事は、漁師である自分が一番よく知っている。「沖にこぎ出してみろだって 駄目なものは駄目なんだ そんな思いが心をよぎったでしょう」、 。 。
しかし、ペートルは「やれやれ」とつぶやきながらも、「まあ、ああおっしゃるんだから、やって差し上げよう。それでお気が済むのなら」と主の仰せに従って沖にこぎ出し網を入れてみました。するとどうでしょう、網がはち切れんばかりの大漁です。一艘の小舟では間に合わず、仲間の船を呼ばねばならなくなった
– 1 ほどでした。ペートルは動転して「主よ、私から離れてください。私は罪深いものです」と足下にひれ伏しました。
ペートルの人生はここで変わりました。船を陸に引き上げ、網をおいて彼らはハリストスに付き従う弟子となりました まず主のお言葉どおりに やってみた。 「 」ところから、彼らの人生の大転換が始まりました。ハリストスによって「自分は経験豊かなひとかどの漁師である というプライドは木っ端みじんにされました」 。そのプライドが引きはがされてしまえば、自分は丸裸で何も持っていない、何ほどのものでもない存在であることに気づかざるをえません。だからこそペートルは「私は罪深いものです」と思わず口走ったのです。でも、目の前にはハリストスがいました。
私たちも聞くだけではなく、やってみなければなりません。主が敵を愛せ、敵を赦せ、敵のために祈れというなら、そうしましょう。人を裁くなと教えられるなら、どんな例外もなく裁くことを止めましょう。金銭や持ち物へのとらわれを棄てろと命じられるなら、そういうものをみな諦めましょう。思い煩うなと戒められるなら、思い煩いを棄てましょう。みな実際に行うことは大変難しいことです。しかしせめて不屈の闘志だけは持たねばなりません。ハリストス・神様は成果を問いません。何度でも立ち上がろうとする意志こそを祝福されます。それを信じて、そして、何より祈りの力を信じて「やってみる」のです。
そうすれば必ず自分自身の一番深いところから何かが変わります。仲間の船を呼んだペートル同様、一人では抱え切れない、他の人々とも分かち合わずにおれない溢れるような実りがもたらされます。その実りが、実は「やってみた」私たちへの、ハリストス・神からの愛の贈り物であることを悟ったとき、あらためて自分の無力と愚かさを痛切に知ると同時に、このような自分の「やってみよう」という小さな小さな一生懸命を祝福してくださるハリストス、このお方と一つになって、どんな困難も奪い取ることのできない喜びの内に生きる者へと、変えられていきます。