正教は大阪へ明治7(1874)年ごろ伝道され、明治11(1878)年にアナトリイ(チハイ) 修道司祭から35 人が洗礼を受けました。明治15(1882)年に大阪中心部の天満橋( 石 町)に料亭旅館三橋楼の土地建物を購入して会堂とし、明治43 年(1910)には立派な 木造のロシア・ビザンティン様式の生神女庇護聖堂が建てられ、大阪の名所となりまし た。しかし昭和20 年空襲で消失し、戦後は臨時の仮聖堂で礼拝を続けましたが、昭和 37 年に吹田市山手町の丘に、鉄筋コンクリート造の現聖堂が建立されました。 聖堂に入ると目を引くのが正面のイコノスタス(聖障)です。イコノスタスとはイコ ン(聖像)を掛ける衝立で、信徒の集う聖所と聖職者が祈りを献げる至聖所を仕切りま す。当時ロシアで著名なイコン工房、グリヤノフ工房で制作され、枠には美しい透かし 彫りが施されています。当初は日露戦争で永眠したロシア人捕虜の記憶のために建てら れた松山聖堂に設置され、大阪に移設されました。完全な形で現存する同工房制作のイ コノスタスは世界唯一と報告されています。明治の日本人女流画家として近年注目され るイリナ山下りんのイコン、日本では珍しいジョージアのイコンもあります。
山下りんの「生神女」のイコン ( 撮影: 中村治/白凛居)
大阪正教会の鐘
中井木莵麻呂(正教の翻訳者)と懐徳堂(大阪大学の前身)
大阪出身のパウエル中井木つぐまろ莵麻呂は聖ニコライ大主教とともに聖書や祈祷書の翻訳を行いました。中井の生家は大阪大学文学部の前身となった漢学塾、懐徳堂です。彼の翻訳は豊富な漢文の知識が存分に活かされており、現代人には少々難解ですが、リズミカルで歌いやすく、今も礼拝で用いられています。