説教 第4主日 マトフェイ8:5-13 2023/07/02 大阪教会
父と子と聖神の名によりて
あるとき子供たちに「神様はどこに住んでるか知っていますか?」と質問しました。みんなきょとんとしていましたが、一人の坊やが、自信のなさそうな小さな声で、「遠いところ」と言ったのが聞こえました。
・・・ある意味で、なかなかよい答えです。
しかし、ほんとは「遠いところ」よりも「もっと遠いところ」です。
我らの主イイスス・ハリストスは、この「遠いところよりも、もっと遠いところ」から、ほんとうのことを言えば、「遠いところ」などという言葉では言い表すことができない「ところ」から、「ところ」などとも言えないところからおいでになったのです。神であるのに人となって、創造したお方と、創造された私たちとの遠い遠い隔たりを越えて、私たちの所に、私たちのために、私たちを辛いこと、苦しいこと、悲しいことから救い出すために、はるばるやって来てくださいました。
さてある日、イイススが町を歩いているとローマ軍の百人隊の隊長がやってきて、彼にとして仕えている部下の兵卒が、重い病気にかかって家で苦しんでいるので助けてやって下さいと願いました。イイススは即座に「ではあなたのお家に行って直してあげよう」と言いました。すると隊長はあわてました。「あなたのような尊いお方に、わたしの家においでいただくわけにいきません。ここでひとこと祈って下さい、病気は必ず治ります」。
イイススはとても驚きました。こんな確固とした信仰は、「自分たちは神に選ばれた特別の民族だ」と自負しているイスラエルの人たちの中には、見たことがなかったからです。そして隊長に告げました。「あなたは私にはできないことは何もないことを信じているんですね。ほんとうに立派な信仰です。では家に帰ってあなたの僕を見てきなさい」。
イイススがそう言ったとき、僕の病気は治りました。
ハリストスは「遠いところよりももっと遠いところ」から、やってきました。この、病気の僕のためだけではありません。私たちすべてのためです。
しかし忘れてはならないのは隊長もまた、ハリストスのもとに足を運んだことです。遠いところからではなかったでしょう。そこの街角をまがって、ほんの少しばかり歩けば、隊長の家だったかもしれません。それでも隊長も「やってきた」のです。歩いた道のりはほんの少しでも。「やってきた」イイススに出会うために。「やってきた」ハリストスに出会うために。「やってきた」神に出会うために。
私たちもほんの少しだけではあっても歩いて、イイススのもとに行かなければなりません。
イイススに出会う一番よいところは教会です。しかし教会よりもっと神が近くにいてくれるところがあります。「近いところ」より「もっと近いところ」です。「近い」も「ところ」も人の言葉です。そこがどこか、私たちは、「出来事」によってしか、確かめることはできません。言葉で説明してしまうと、ほんとうのことではなくなってしまうのです。でも教会に集い続け、聖体を分かち合う交わりから決して離れなければいつか、そこがどこなのか、神がお示し下さいます。そのすばらしい出来事、体験は、私たちから孤独も、恐怖も、憎しみも追い払ってくれます。