ルカ10:25-37 2024/11/24
父と子と聖神の名によりて
みなさんは子供のときは「兄弟や友達と仲良く」、大人になってからは「職場やご近所と仲良く」と教えられて生きてきました。とても大切なことです。でも今日の福音は、もっと大切なことを教えてくれます。
さびしい山道を一人で歩いていたユダヤ人が、強盗に襲われ、身ぐるみ剥がれて瀕死の重傷で倒れていました…。そこを通りがかった人が二人いましたが、二人ともシランふりで通り過ぎました。でも最後に通りかかったサマリア人は気の毒に思って、手当てをしてあげ、自分のロバに乗せてやり、宿屋につくと主人にお金を渡し、「面倒を見てやって下さい、お金が足らなかったら、帰りに立ち寄るからそのとき払います」と言って、旅を続けました。
イイススは、聞いていた人に「だれがこのユダヤ人の友達になったか」とたずねました。「親切にした人です」と答えると、「そうだ、あなたもそうしなさい」とおっしゃいました。
イイススはどうしてこんなお話をしたのでしょう。親しい身近な人だけが隣人ではないからです。けがをしたユダヤ人に親切にしたのはサマリア人でした。ユダヤ人とサマリア人は昔からとても仲が悪くて、つきあいませんでした。でも、このサマリア人は、かわいそうなユダヤ人に親切にしました。親しい身近な人たちに親切にするのは誰でもできることです。しかしよく知らない人、あまり仲が悪い人に親切にする人はあまりいません。でもイイススは、人はみんな神さまに造られ、神さまにとってはすべての人が大切なのだから、私たちも知っている人にも知らない人にも、親切にしなければならない、そう教えているんです。
人々がみんな隣人になって一つになることが神さまが人を作ったときの目標なのです。いまの隣人だけが隣人ではありません。今は隣人ではなくても、仲が悪くても、助け合ってゆるしあって隣人になってゆきましょう。教会では神さまが助けてくれて、知らなかった人たちがどんどん隣人になってゆくではないですか。