コロサイ人への手紙 3:1-11
本日は、新しい年を迎えようとする私たちに、ハリストスからいただいた新しいいのちをどのように生きなければならないかを教える、聖使徒パウェルがコロサイの信徒たちに送った手紙の一節が読まれました。
パウェルはコロサイの仲間たちにまず、君たちはハリストスへの信仰と、洗礼の水によって、ハリストスと共にこれまでの古き生き方を死に、ハリストスと共に新しいいのちによみがえったと告げます。パウェルはこう言います。
「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、…あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない」。
そして、復活後の40日目に天にあげられたハリストスが、再び地上においでになるとき、
「わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう」。
そのときまで、私たちのいのちは神のうちに隠されているけれど、ハリストスがその復活のお身体を包む輝きと共に、地上に現れたとき、私たちクリスチャンもそれまでは、いまだに力を保ってきた古きいのちにはばまれて、十分には目に見えるものとはならなかった、新しいいのちを完全に目に見えるものとしてこの世に示すのだと言います。
そのやがて目に見えるものとなる新しいいのちは、主がもう一度おいでになる再臨の時に、突然見えるようになるのではありません。主に従ういのちを生き始めた私たち、いまだ不完全ではあっても再臨を希望と共に待つ私たちに求められる生き方として、パウェルはこう教えています。
「以前これらの内に日を過ごしていた」、不品行、汚れ、情欲、悪欲、貪欲を捨て、「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまい、互にうそをつかない」生き方です。その時、私たちは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、私たちを創造した神のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着る、と言います。
そのような生き方は、お互いに孤立した一人ひとりの孤独な苦行として、生き始められるのではありません。パウェルの視野の中にある新しいいのちはいつも「交わり」です。信仰と生活を共有する交わりです。聖使徒行実には、その交わりが次のように描写されています。
「信じた者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ちものを打っては、必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり、家ではパンを割き(聖体機密)喜びと真心を持って食事を共にし、神を賛美していたのである」(2:44-47)
そして最後にパウェルは、今日の私たちが、忘れてはならない非常に大切なことを教えます。
「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。ハリストスがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」。
人種、国籍、社会階層、身分、職業の違いを超えて、ハリストスを信じ、同じ洗礼の水に沈んだ者たちが、お互いの中にいるハリストスを目印として、共に生き、助け合い、喜びも悲しみもすべてをわかち合い、なにより礼拝を分かち合う交わりこそが、教会であるといっているのです。
そこでは「ハリストスがすべてであり、すべての者の内にいます」。
新しい年、私たちの教会も一層、パウェルがこう教える教会へと育てられてまいりましょう。