マトフェイ2:13-23 2025/01/12 大阪教会
ハリストス生まる!
イイススがエルサレム郊外、ベツレヘムで生まれたことを知ったヘロデ王は、その幼な子がやがて、自分から王としての地位を奪うことになるのを恐れ、その子を見つけ出して殺そうと企てました。それを知ったイオシフとマリア、そして幼な子イイススは密かにエジプトに逃れます。彼らにこの脱出を促したのは、イオシフの夢に現れた天使でした。天使はこう告げました。
「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまでそこに留まっていなさい」。
十一世紀のブルガリアの大主教テオフィラクトはこの箇所を示して「神でさえ逃げた」と言います。また「あなたに知らせるまで、そこに留まっていなさい」という天使の勧告は「私たちもまた、神の御旨を離れては何もしてはならない」ことを教えている」と。
たましいが危機的な状況におかれた時、「まじめな」私たちはその状況に真正面から立ち向かって突破口を開こうとしがちです。自分の無力を省みず、神に縋り神に委ねようとせず、自分の力だけでやり遂げようとします。また神を信じていても、その状況は神が自分に与えた試練であると思い込み、「そこに留まっていなさい」、…じっとしていなさいと神が教えているのにじたばた動き回って状況況をさらに悪くしていまいます。
今日の説教は、ギリシャ正教会のコニアリス神父さんの「落ちこんだら」という本から「私の空っぽのコップ」と題されたエピソードして結ぼうと思います。
ご主人をがんで亡くしたある婦人が、悲しみの末に生きることに絶望してしまいました。そんな時届いた友人からのお悔やみの手紙に紹介されていた、ある女流詩人の言葉が、彼女を救いました。
愛する友よ、神は今日は「強くあれ」とはおっしゃらない。あなたが力つきてしまったことをご存じだから。ここまでの道のりがどれほど長いものだったか、あなたがどれほど疲れているかご存じだから。低い沼地をぬう道を、でこぼこの丘をゆく道を…、この地上のいろんな道を歩いたお方・イエスにはおわかりになる。そしてこうおっしゃるだろう。
「じっとしていなさい。そして神として私を受け入れなさい」。
もう夜も更けた。少し休まなければならない。そして待とう。しとしと降る雨が、庭に置き去りの空っぽのコップをやがて水で満たすように、あなたのいのちの容れ物がいっぱいになるまで。愛する友よ、コップを両手で静かに支えていなさい。神さまがそれを満たしてくれる。今日、神さまがあなたに求めているのは、コップを持ってじっとしていること、それだけだ。
彼女はこうふり返っています。
「あの時の私にまさに必要な言葉でした。その後の日々、神さまはほんとうに私のコップを少しづつ満たしてくれました」。
著者のコニアリス神父さんはこのエピソードをこう結んでいます。
「夜は、光を信じるためには、最もよい時である」。
イイススがお生まれになったのも、夜でした。