マトフェイ2:1-12 2024/12/22
ハリストス生まる!
子供の時、迷子になったことありますか。たぶん一度くらいはあるでしょう。楽しそうなことに夢中になっているうちに、気がつくと「いったいここはどこ?」。目の前、真っ暗。血の気がすーっと引いていきます。…なんともいえない恐ろしさに一瞬固まってしまい、その後はあっちへおろおろ、こっちへおろおろ。そしてようやく自分がハマってしまった事態を認め、…最善の道を選びます。
わあわあ、泣き出すんです。こどもは最善の道をよく知っています。それで、ほとんど解決です。周囲の大人が気づいて、いろいろと手を尽くしてくれます。お母さんがかけよって、抱きしめてくれます。父さんは半分笑いながら「しかたないやつだな」と頭をコツン。安心したとたん、またわあわあ泣き出します。
旧約聖書の聖詠でも迷子が、わあわあ泣きます。
「主や、爾に呼ぶ、速やかに我に至りたまえ」。(140聖詠・141詩編)
いつも土曜の夜のお祈りで歌ってます。
「おとうさーん、ここで呼んでるんだよ、聞こえないの、はやく僕を見つけて、迎えに来て、…」
迷子の歌です。人という、神さまからはぐれてしまった迷子の歌です。自分がどこにいるのかもわからず、どうすればお家に、…神さまの温かい懐に帰れるのか道を見失った迷子の、必死の祈りです。
神さまはこの迷子を、「悪魔にころっとダマされて迷いだしてしまったのはお前自身だ、勝手に泣いてろ、私は知らない」などと突き放しませんでした。神さまはご自身のひとり子を、迷子の私たちのために、私たちのもとにお遣わしになりました。イイススです。神であるお方がなんと人となって、私たちのもとへおいで下さいました。道を見失って、ただただ泣き続けるほかない迷子のもとへ、帰り道を教えるためです。いや、教えるのではありません。イイススは「わたしは道である」とおっしゃいました。「あの道を行きなさい」と道を示すためではなく、自らが道としてご自分を人に与えるために来たのです。イイススを信じて、イイススと一つになることが、神さまへの帰り道そのものです。
忘れちゃいけませんよ。
私たちが神さまのもとへ昇っていったのではありません。人と神の境を超えて来たのは、神さまの側なのです。
イイイススの誕生を祝いに遠い道をやってきた東方の三人の博士たちは、「別の道」を通って帰って行きました。ハリストスという「道」を与えられた私たちもまた以前の道へはもう戻りません、戻りたくても戻れません。この主のお体を囲む交わりの味わいを一度知ってしまったなら…。ハリストス生まる!