ルカ13:10-17 2024/12/8 大阪教会
父と子と聖神の名によりて
イイススがある日、十八年間病気で体を伸ばせなかった女の、そのからだに手を置きました。するとたちどころに体がまっすぐになり、女は神をたたえ始めました。今日の福音です。
ところで、この女はこの日まで、何を見続けていたのでしょうか。
…地面です。腰の曲がった彼女が見続けるほかなかったこの地面は、「この世」の象徴です。彼女はその地面に、悲しみと嘆きの毎日を、まさに地を這うように生きてきた自分の半生を重ね合わせ続けてきました。
この、地面ばかりを、そしてそこにポタポタと落ちる涙の黒いシミばかりを見続けてきた女。彼女が、体をまっすぐに伸ばしたとき、目に入ってきたのは何だったのでしょう。
空、どこまでも、吸い込まれてゆくように青い空、そして女はそこに神を見ました。地面に、そうこの世に、釘付けにされた目には決して見えない「神としか呼びようのない何か」、どこまで手をのばしても、どこまで目をこらしても、遠ざかってゆくばかり、しかしそのお方は確かにいらっしゃる、そして私たちの心に、ここにおいでと呼びかけて下さっている、…そのお方の神秘です。
教会では、聖堂で私たちが灯し、燭台に献げるローソクの光が意味するのは、ハリストスの導きと、ハリストスへの私たちの信仰だと教えられます。聖堂は昼でもほの暗く、夜はほとんど真っ暗、やがて、聖堂に入っていった人の目は次第にその暗さに慣れてきます。そして手に持つローソクの小さなが、そこにあるイコンを、そこに立つ人々を少しづつ照らし出してゆきます。そうです、この光が神秘への視力を私たちに与えてくれるのです。神秘への視力、それは、私たちのこの世に釘付けにされた目には決して見えないもの、そう神への視力と、言いかえてもよいでしょう。
そして、この光が顕しているのはハリストスの導きであり、ハリストスへの信仰です。体を伸ばしてようやく天を見上げることのできた女とともに、私たちもハリストス・光であるお方が、さあご覧なさいと示す世界、そこに満ちあふれている恵みに目を見張り、こう叫びます。
主や爾は至大なり(いたりて大いなり)、
爾の行事は奇異なり、
爾の奇跡を讃詠するに堪うることばなし
Great are You, O Lord, and wondrous are Your works, and no word will suffice to hymn Your wonders.
私たちのもとへおいでになり、私たちの、暗黒の内をさまようたましいに、そっと手を置いて下さったお方、私たちの視力を越えたお方、神であるのに、私たちが見ることができる「人」となったそのお方は、光でした。私たちのために、私たちがほんとうはそこに生きるはずだった世界を開いて下さり、その世界への憧れに火を付け、私たちを導いてそこに連れて行って下さるお方です。そして、ハリストスの呼びかけに応え、ハリストスを信じる生き方へと、躍り込んだ私たちは、みな、神の光に照らされ、輝き始めます。
降誕祭が間近です。みなさま、どうぞ「灯火を灯しに」聖堂へおいで下さい。