ルカ8:26-39 2024/11/10 大阪教会
父と子と聖神の名によりて
悪霊たちにとり憑かれて夜も昼も墓場で吼え狂い、人々を恐れさせていた人がイイススにひれ伏し、叫びだしました。「神の子イイススよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのですか。お願いです、わたしを苦しめないで!」。
イイススが悪霊たちに「この人から出て行け」と命じると、悪霊たちは付近の山に飼われていた、おおぜいの豚の群れの中に入り込みました。その豚の群れに何が起きたでしょう。福音書はこう伝えます。
「するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった」。
実に驚くべき、しかし不気味な出来事です。
しかし最も驚くべきは、この人から悪霊を追い出して救ってあげた主に、おしかけた町の人々が「ここから去ってください」と要求したことです。しかしこれを「けしからん」と簡単に裁けるでしょうか。
ハリストスは「光」です。この世を、そして人の心をくまなく照らし出します。その時、人ははたして照らし出された自分の心のほんとうの姿に耐えられるでしょうか。
毎夕の祈りに、「あなたの前に…、鳥や獣たちよりもひどいことを事を犯したのをどうかおゆるし下さい」とあります。鳥や獣よりもひどい罪を、私たちは犯します。鳥や獣は、必要以上に食べません。繁殖のため以外に交わりません。自分たちを守るため以外に戦いません。仲間を殺しません。まして「神」や「正義」を振りかざして殺し合うことなど決してしません。そういう姿で生きているのは私たち人間だけです。本日の福音で、悪霊に憑かれた人を、福音記者ルカは「長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた」と描写しています。同じ出来事を伝えるマルコの描写は「彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、誰も彼を押さえつけておくことができなかった。そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫び続けて、石で自分のからだを傷つけていた」といっそう迫真的です。それは、欲望に鼻面を引き回され、怒りに吼え狂い、自分自身への憎しみに心えぐられ、よろめき転げ回るように地上をあてどなくさまよう、人の姿と重なり合います。そんな人の現実、自分の現実から、できれば目を背けていたい私たちを、光である主は容赦なく照らしだし、その前に立たせます。
そのうえ主は「天の父が完全であるように、完全なものとなれ」と命じます。「あのバカ!」と人を嘲笑する心は地獄へ落ちると教えます。女を見てよからぬ思いにつかまるくらいなら目をえぐり出せと、右の頬をぶたれたら左の頬も差し出せと促します。敵を愛し、迫害する者のために祈れと命じます。…これじゃあ、私たちはペシャンコです。お手上げです。
ペシャンコでお手上げの私たち、「あなたの光はまぶしすぎて耐えられない、どうか私の心の部屋から出て行ってくれ」と拒絶する私たちを、それでも決して主は見捨てません。罰することもしません。反対に「一切を赦すから、閉じこもった心の部屋からここへ出ておいで、まことのいのちの喜びへ…」とやさしく、忍耐強く呼びかけ続けます。その神の愛、ハリストスの呼びかけが、…私たちを苦しめるのです。すなおに受け取れないとき、愛は心を灼く燃えさかる炎です。
しかしその愛を地獄の責め苦として感じるなら、その苦しみは、自分に差し出されているのが愛であると、知っているからこそ感じる苦しみなのです。そこに希望があります。いじけて、すねる自分が、できることなら自分に対してさえ隠し続けたい「神への希望」です。そして忍耐強く私たちへ呼びかけ続ける神の、私たちへの希望です。聖使徒パウェルはこう言いました。
「神は、すべての人が救われることを望んでいる」