マルコ2:1-12 2024/03/31 大阪教会
父と子と聖神の名によりて
中風で寝たきりの仲間のために人々は、屈強の男を四人選びました。そして病人を床に寝かせたまま担がせ、イイススがお話をしている家まで運んできました。しかし家には人々が溢れ、入り口にすら近づけません。そこで四人は屋根に登り、天井に穴をあけ、そこから病人をイイススの前に吊り下ろしました。イイススはただちに彼を癒しました。
さて皆さん、想像してみて下さい。
四人のたくましい男が、病人を乗せた床をかついでワッセワツセと道を急ぎます。大勢の仲間たちがそれを追います。主のいる家が人でいっぱいとわかると、「ヨッシヤ」と衆議一決、はしごをかけて、一人が病人を背負って屋根に登り、そこからを引っ張り上げます。そしてバリバリバリっと屋根をはがしてしまいます。驚きませんか?当時の屋根は梁の間に木の枝などを並べ、そこに粗末な織物を置き、それらをこねた泥を塗って固めた実に簡単なものでした。だから、そんなに驚くべきことではないかもしれません…。でも、驚きたい!の家ですよ。他人の家の屋根を何の躊躇いもなくはがして、人を載せた床をそこから吊り下ろしたんですよ。
家の中では、…いきなり頭上でベリベリッと音がしたかと思うと土煙が舞って、掲いたがボロポロ落ちてきます。あっけにとられてポカンと見上げているイイススの顔が目に浮かびませんか。しかも、そこから人を寝かせた床がジワジワ下ろされてくる、もう二度目のびっくり。人々のどよめきが聞こえてきます。
「イイススは彼らの信仰を見て」とあります。これです!イイススが見たのは。主は彼らのこの大胆不敵な振る舞いに、思わず「子よ、お前の罪は赦された」と口走ってしまった…。「口走った」なんて不届きな言い方かもしれませんが、でもイイススの思いは真実でした。イイススはそこにご自身へのとんでもないほどの信頼を見たのです。イイススはその信頼に応えないではおられませんでした。だから思わず口走ったのです。「罪は赦された!」。彼らは、神であるお方をあっけにとらせ、神であるお方を感服させ、神であるお方の心を動かし、神であるお方の言葉と行動を引きだしてしまった。、、「あっばれ」というほかありません。
「イイススは彼らの信仰をみて」…。彼らとは四人の男だけではありません。「お前ら腕っ節には自信あるだろう」と、四人の男を選んで、床をかつがせた人々、彼らは一人の病気の仲間への愛と、イイススへのまっすぐな信頼によって結ばれていました。「あの方は必ずこいつを助けてくれる」という確信に結ばれていました。だからこそ心を一つに、神であるイイススでさえあっけにとらせたほどの、大胆な行動に踏みだし、それを仕遂げました。イイススへの信頼に結ばれ、まるで一つの体のようにイイススをかしらにいただいた人々は、神でさえ驚かし、そのわざを引きだせるのです。
教会です。救い主・イイススに結ばれた交わりです。
怯えることなく、神の前に立ちましょう。失望することなく、いつも喜んでいましょう。臆することなく、絶えることなく祈りましょう。いつも大胆に私たちの求めるところを神に申し上げましょう。つらい仲間、苦しんでいる仲間がいっぱいです。病気の仲間たち、希望を失ってしまいそうな仲間たち、信仰に迷ってしまった仲間たち、罪に落ちた仲間たち、そして世界中の、悲しみ泣くすべての人々のために、助けと慰めと赦しを願いましょう。
復活祭を待つ教会は心を一つに祈ります。
「主よ、屋根を破ったあの日の彼らと共に、あなたへの絶対の信頼に結ばれて、声を上げます。深夜の聖堂に溢れる、あなたの輝かしいよみがえりの光のなかに、わたしたちすべてを集め、抱きしめてください」。「アミン」