説教 2021/5/30 イオアン4:5-12 大阪教会
ハリストス復活!
わざわざ真っ昼間の炎天下、「わけあり」の女が井戸にやって来ました。彼女はそこでイイススに出会いました。その出会いが彼女を変えました。何が起こったのでしょう。
・・・彼女は初対面の名も知らぬ男が、彼女の秘密を見抜いたことに愕然としました。しかし彼女の衝撃は、それを超えてゆきました。・・・この人は、「わたしを裁いていない」!
彼女は五人の男と関わってきました。今も道ならぬ関係の男がいます。人々は彼女を蔑み、目を背け、物陰からのぞき見して目配せし合います。彼女に声をかける者はいません。人目を避けて小さく身を屈めている生き方がもう何年も続いています。
こんな彼女に話しかけてきた人がいたのです。ただ、話しかけたばかりではなく「水を飲ませて欲しい」と求めたのです。そして、とまどうばかりの彼女に「それでは私の方があなたに永遠の生命にいたる水をあげよう」と申し出たのです。しかもこの人は、彼女の罪深い過去と今を最初から見通していたのです。それでもなお、彼女に水を求め、さらに「飲んでも渇くことのない水」をあげようと申し出てくれたのです。これまで、彼女に親しげに話しかけてくる人がいても、彼女のことを知るや、けがれに触れてしまったかのようにぷいと立ち去ってしまいました。しかし、この人はすべてを見通していてなお、彼女に近づき、話しかけました。裁きませんでした。この人は彼女を裁かず、赦し、そして彼女を受け入れ、彼女に与えました。そう、いのちを。
女はもう人目を避けません。人々の前に、これまで重ねてきた自分の罪をもう隠さず、反対にこの、罪を赦し、罪をきよめ、罪から彼女を解きはなったお方を告げます。彼女のその後の人生のすべては、「世の光」であるハリストス・イイススと出会い、この方の愛によって新たな生き方によみがえらされた自分自身を、人々に示すことでした。よみがえりの喜びに輝く彼女自身が、光であるお方ハリストスを証します。教会はこの女の名を「フォティナ」(スラブ語ではスベタラーナ)、すなわち「光」と伝えます。
彼女の人生を、そして私たちの人生を根底から覆したのは、また覆しつつあるのは主の次の言葉です。主はただの水は飲めばまた渇くと言い、こう続けます。
「(しかし)わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(4:14)。
ハリストスが与える水、これを「聖神の恩寵」とお行儀よく片づけてしまっては、それっきりです。今日は、それを聖神のもたらす最大の賜物「愛」と呼びましょう。女は、六人の男に次々としがみつき続けました。この世の愛に挫折し続けてもなお、「他に何かあるの?」とうそぶき、それに絡み取られ続けました。そのつど渇きを増していった女は、ついに、彼女がほんとうに求めていたお方に出会ったのです。彼女を蔑みも、嘲けりも、裁きもせず、受け入れ、赦し、立ち上がらせ、「さあ、いのちをあげるから、生きなさい」と呼び掛けるハリストスに出会い、その愛を受け取りました。この受け取られた愛が彼女の内でまさに泉となり、彼女自身を主の愛でうるおし続けるばかりではなく、彼女からあふれ出て人々を永遠のいのちに招き続けることとなりました。
みなさんにも起きたことです。起きつつあることです。 ハリストス復活!