イエルサリム大主教
聖キリール教訓


  正教の首なる定理

  神の子 の 事

 独一の神父を信ずるを学び得たる者は、独生の子をも信ぜんことを要す。けだし『子を拒む者は父をも有たず』(イオアン一書ニの二十三)といえばなり。イイスス曰く『我は門なり』(イオアン十の九)、『誰も我によらずしては父に臻るものあらず』(イオアン十四の六)といえり。さらばもし此の門を棄つるときは、父に臻るの知識は汝の為に閉ざされん。『子及び子の啓示する者の外父を識る者なし』(マトフェイ十一の二十七)といえり。さらばもし啓示を與うる者を拒む時は、無智にして存せん。福音経には断定していえり、曰く『子を信ぜざる者は生命を観じ、却て神の怒りは彼の上に留まる』(イオアン三の三十六)。
 誰か敬虔にして紙を尊奉せんと欲せば、かならず子を拝すべし。否らずんば、父は其奉事をうけざらん。父は天より大声に告げて『これ我が愛子、我が悦ぶ所なり』(マトフェイ三の十七)といえり。父は子を悦び給えり、もし汝も悦ばずんば己に生命を有たざらん・・・・
 ハリストスは神の独生の子にして、世界の造物主なり。けだし福音者の我等を教うるが如し、曰く『彼は世にあり、世は彼を以て造られたり。彼は己の領分に臨めり』イオアン一の十、十一)。然れどもハリストスは父の首肯により、ただ見ゆる者の造物主なるのみならず、見えざる者の造物主なり。けだし使徒の言うが如し、曰く『万物は彼に由て造られたり、天にあるもの、地にあるもの、人の見ることを得るもの、見ることを得ざるもの、或は位ある者、或は主たる者、或は政を執る者、或は権威ある者、万物は彼に由りて作られたり、且つ彼の為に造られたり、彼は万物より先にあり、万物は彼に由りて立つことを得るなり』(コロス一の十六)。もしそれ諸の世界を謂わば、その造成者も、父の首肯により、イイスス・ハリストスなり。けだし『この末日には、其子に托りて我儕に告たまえり、神は彼を立てて万物の嗣となし、且彼を以て諸の世界を造れり』エウレウ一のニ)。
 光栄、尊貴、権柄は父及び聖神と共に彼に帰す、今も何時も世世に。

TOP目次
神父の事神の子の事|神の子の人体を藉る事|イイススハリストス十字架に釘せられし事|
|イイススハリストス光栄にして地上に再臨の事|聖神の事|死より復活の事|