スティヒラ+聖詠 
「主や爾によぶ」とスティヒラ

三歌斎経を見ながら、第二週以降の大斎の祈祷を行うにあたって、まず迷うのが晩課の「主や爾によぶ」のスティヒラの行い方です。これは大斎に限りませんが、晩課の聖詠140、141、129、116聖詠の最後に、スティヒラを挟み込んで歌い、最後に「光栄は」「今も」生神女讃詞でしめくくります。

日本では省略されていることが多いのですが、「凡そ呼吸ある者(天より主を讃め揚げよ)」の聖詠(148、149、150聖詠)も同様に実施します。

挿句のスティヒラは、平日の場合は時課経に「句」があります。そのほかは祭日経や八調経などに句も記載されています。ほかのスティヒラとの違いは、先にスティヒラを読んで、そのあとに「句」が入ることです。だから挿句「アポ・スティカ」と言います。


聖詠の間に新しい歌(イムノス)を挟み込む方法は、正教会では昔から頻繁に行われてきた手法です。

スティヒラとは
 スティヒラは短い詩がいくつかセットになったもので、聖詠の句の間に挿入されて歌われます。ここでは晩課の「主や爾に呼ぶ」の聖詠を例にあげて、解説します。早課の終わりの「凡そ呼吸あるものは」のスティヒラでは148聖詠の間にスティヒラが挿入されます。挿句のスティヒラは伴われる句が変わるので、祈祷書に句も書かれています。挿句のスティヒラとほかのスティヒラの違いは、他のスティヒラは聖詠の句の後にスティヒラが続きますが、挿句(アポ・スティカ)の場合は、まずスティヒラが歌われて後から句が続きます。

主や爾によぶのスティヒラの実施方法
 「主よ汝によぶ」のスティヒラは、晩課の聖詠140聖詠、141聖詠、129聖詠、116聖詠とともに歌われます。通常140聖詠の冒頭の「主よ、爾によぶ」から「主よ、我に聴き給へ」までが歌われ、続く聖詠は読まれ、途中から聖詠の句の間に、八調経や三歌斎経に収められたスティヒラが歌われます。日本では最後の生神女讃詞しか歌われませんが、本来は全部歌います。

八調経などに10句たててと書いてあったら、141聖詠の「我が霊を獄より引き出して」まで聖詠を読んで、その後からスティヒラを一つずつ挿入して歌います。8句たててと書いてあったら、「主よ、我深きところより」から始めます。主日と祭日が重なる場合には両方を歌います。


[第140聖詠]
主よ、爾によぶ、速に我に格り給へ。
主よ、我に聴き給へ。主よ、爾によぶ、速に我に格り給へ。
爾によぶ時我が祷の声を納れ給へ。主よ、我に聴き給へ。
願くは我が祷は香爐の香の如く爾が顔の前に登り、我が手を挙ぐるは暮の祭の如く納れられん。
主よ、我に聴き給へ。
(ここまで、その週の調で歌われる)

(続いて誦経)
主よ、我が口に衞を置き、我が唇の門を扞ぎ給へ、我が心に邪なる言に傾きて、不法を行ふ人と共に罪のいいわけせしむる毋れ、願くは我は彼らの甘味を嘗めざらん。義人は我を罰すべし、是れ矜恤なり、我を譴むべし、是れ極と美しき膏、我が首を悩ます能はざる者なり、唯我が祷は彼等の悪事に敵す。彼等の首長は巌石の間に散じ、我が言の柔和なるを聴く。我等を土の如く斫り碎き、我が骨は地獄の口に散りて落つ。主よ、主よ、唯我が目は爾を仰ぎ、我爾を恃む、我が霊を退くる毋れ。我が為に設けられしわな、不法者の羅より我を護り給へ。不虔者は己の網に羅り、唯我は過ぐるを得ん。

[第141聖詠] 
我が声を以て主によび、我が声を以て主に祷り、我が祷を其前に注ぎ、我が憂を其前に顯せり。我が霊我の衷に弱りし時、爾は我の途を知れり、我が行く路に於て彼らは竊に我が為に網を設けたり。我右に目を注ぐに、一人も我を認むる者なし、我に遁るる所なく、人の我が霊を顧る者なし。主や我爾によんで云へり、爾は我の避所なり、生ける者の地に於て我の分なり。我がよぶを聴き給へ。我甚弱りたればなり、我を迫害する者より救ひ給へ、彼等は我より強ければなり。(日本では、ここまで省略されることが多い)

我が霊を獄より引出して、我に爾の名を讃栄せしめ給へ、(日本の八調経にはここからの句も記載されている。祭日経はなし))
  スティヒラ スティヒラが10句あるときは ここから
爾恩を我に賜はん時、義人は我を環らん。
  スティヒラ
[第129聖詠]

主よ、我深き處より爾によぶ。主よ、我が声を聴き給へ。
  スティヒラ スティヒラが8句あるときは ここから
願くは爾の耳は我が祷の声を聴き納れん。
  スティヒラ
主よ、爾若し不法を糾さば、主よ孰か能く立たん。然れども爾に赦あり、人の爾の前に敬しまん為なり。
  スティヒラ スティヒラが6句あるときは ここから
我主を望み、我が霊主を望み、我彼の言を恃む。
  スティヒラ
我が霊主を待つこと、番人の旦を待ち、番人の旦を待つより甚し。
  スティヒラ スティヒラが4句あるときは ここから
願はイズライリは主を恃まん、蓋憐は主にあり、大なる贖も彼にあり、彼はイズライリを其悉の不法より贖はんとす。
  スティヒラ
[第116聖詠]
萬民や主を讃め揚げよ、萬族や彼を崇め讃めよ。
  スティヒラ
蓋彼が我等に施す憐は大なり、主の真実は永く存す。
  スティヒラ
光栄は父と子と聖神°に帰す、今も何時も世世に、「アミン」。
  生神女讃詞

  (月課経からその日の生神女讃詞を歌う。ない場合は八調経からその週の調、曜日の生神女讃詞。別記 

注:ニコライ大主教の翻訳の改訂に伴い、時課経(明治17年)と『八調経』や『大斎第1週祈祷式略』の言葉づかいが若干異なる。


生神女讃詞

  平日八調の生神女讃詞
  主日の生神女讃詞