2011 冬季セミナー
「正教の修道と私たち」

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11日(月)西日本主教区冬季セミナーが京都正教会にて開催されました。「正教の修道と私たち」というテーマで名古屋正教会の司祭、ゲオルギー松島雄一師と、神戸市外国語大学ロシア語学科准教授で神戸正教会信徒でもあるイーゴリ清水俊行先生から、それぞれお話をいただきました。

 午前の講話は松島神父の『「砂漠の師父達」の謙遜と愛』。迫害下の初代教会では、領聖することは、まさしくハリストスと共に死ぬこと、殉教することの確かめ合いでもありましたが、キリスト教が一転容認されやがて国教になったことで、そのような福音的緊張が失われました。そんな中で、ある者は「ハリストスの軍士」となるため、わざわざ悪魔の住処であるエジプトの砂漠に移り住むようになりました。そして彼らの中から砂漠の聖師父が生まれたことが話されました。彼らは「完全なものとなりなさい」という聖書の言葉通り、「完徳」を目指しました。その「完全なもの」とは、「心の貧しい」者、「謙虚」な者のことです。正義の旗を振りかざすのではなく、「謙虚」な者、自分を虚しくすることができる者こそが、人を愛することができるということが話されました。

 お昼は皆一緒に信徒会館で昼食を食べ、短い時間でしたが、他教会の方とも交流できる時間となりました。

 午後はイーゴリ清水先生から「正教的生き方を求めて〜世俗の中の修道生活」という題でお話を頂きました。まずビザンツから受け継がれ、オプチナ修道院で発展した「長老制」について説明して下さいました。我々がそこから学ぶべきことは、その外的な側面ではなく、霊的な側面です。そしてその霊的な生活に入るためには知識、技術が必要です。それはまず、自分の罪を知ることであり、また自分の徳や功の中に報いを求めるのではなく、「謙遜」の中に生きることです。そして真福九端を引用して、私たちはハリストスの十字架上の死と復活にならって生きるべきであり、ハリストスのように愛と謙遜に生きるべきであると、話されました。また最後に、ロシアの修道院の生活が記録された、貴重な視聴覚教材を見せていただきました。

 松島神父、イーゴリ清水先生、準備等も大変であったと思いますが、普段あまり聞くことのできないお話をしていただき、ありがとうございました。

 今回のセミナーは66名の方が参加されました。その中でも啓蒙者の方が15名と多く、良い宣教の機会となりました。またアンケートにご協力下さった方、ありがとうございました。(伝教師 エフレム後藤 記)