教区定例学びの会 福岡伝道所
   ─『私たちはどのように救われるのか』


 学びの会の行われた数日後、カリストス・ウェア府主教座下はどのような方だろうかと思って、YouTube等を見てみました。実に温厚そうで、かつ明瞭な英語で語られる方でした。

このカリストス・ウェア府主教の著作『私たちはどのように救われるのか』をテキストにして、2012年4月30日、名古屋正教会のゲオルギイ松島神父様、神戸正教会のルカ田畑神父様をお招きして、福岡伝道所で学びの会が行われました。

実は、『私たちはどのように救われるのか』については、以前、買い求めて読んでいて、おおまかについては周知のつもりでした。特に難しい言い回しもなく、判りやすい書物のようにも感じていたからです。

でも、ゲオルギイ松島神父様から「体感」の言葉が出ると、返答に窮しました。私の「知っている」は「知識として知っている」ということで、「体感」の域に達していなかったからです。「自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしている(ロマ7:15後半)」自覚は感じていましたが、信経については、習慣的に読んでいるだけで、「体感」するような状態ではありませんでした。

私たちは、ハリストスの降誕から受難にいたるまで「体感」し続け、「神の同労者」として、ハリストスの体である教会のために、ハリストスの苦しみのなお足りないところを補い続けなければならないのです。私たちの道のりは常に途上にあります。私もまだ何も知らない人間です。それを自覚し、少しづつでも、前に進み続けることが重要ではないかと、思いました。

正直な話、九州の正教会は構成員わずか百名という惨憺たる状況です。でも、前に進み続けていれば、きっといつかは光明が見えてくる──私はそう信じています。

現に福岡伝道所の前身である久留米集会も一時はわずか二家族という状況にまで落ち込んだこともありました。でも、信仰は続きました。希望を持ち続けたいと思います。

引き続きルカ田畑神父様お話による「聖書の精読」は、非常に判りやすい「体感」への道しるべとなったように思います。正教会は歴史の長い教会ですが、決して「古い」教会ではありません。 こういう取り組みは、そういう意味で意義深いものであったように思います。(報告 ステファン西村善之兄)