第34回 教区学びの会 和歌山
「記憶 痛悔と領聖」 イサイヤ酒井神父講話
3月21日教区主催「学びの会」が会場「和歌山・ウェルサンピア」で開催され、豊橋正教会の司祭イサイヤ酒井以明神父様の「記憶 痛悔と領聖」についてお話を頂いた。
当日は毎年行われている春分の日に当たり、和歌山教会信徒関係者の「総パニヒダ」が市営の今福共同墓地にて酒井以明神父様ほかの信徒方々と「学びの会」の前に行われた。
近くの会場に集まった方々は十五名と少なかったが、東京から、大阪から師のお話を熱心に耳を傾け「人の記憶には限りがあるが、神の記憶は永遠にあり、我々は家族を含めて、神に記憶される祈りの為されることを必要とし、正教会の信仰として今日も教会で行われていること」が話された。
教会の記憶は、主日の朝、聖体礼儀の行われる前に、奉献礼儀の中で、五つのパンを記憶し、白板に図を示されて説明、十字架上の死を以て流されたハリストスの血と水を象り、赤ワインと少量の水が聖爵に加えられ、領聖の準備が調い、聖体礼儀を行いて聖変化を求め、痛悔を以て領聖が行えるようになること、地方でも予備聖体を以て聖體が受けられる教会の姿・私達の姿がある。痛悔機密は必ずしも領聖とは繋がらないが「時間が違っても全世界が一つに祈り合う記憶が為されているのが正教会の素晴らしさです」と話された。(小川神父記)