第8章 公同書簡の証言

 

 新約聖書に含まれる21の手紙の内、7つの手紙が「公同書簡」と呼ばれています。イアコフの手紙、ペートルの第一の手紙、同第二の手紙、イオアンの第一の手紙、同第二の手紙、同第三の手紙、イウダの手紙です。これらの手紙は恐らく第二世紀に、パウェルの手紙と区別され、ひとまとめにされ*[1]、三,四世紀には「公同書簡」と呼ばれるようになっていました。「公同」(ギリシャ語ではカトリコス、普遍的という意味)という言葉が指し示しているのは、これらの手紙の「普遍性(一般性)」です。すなわち、特定の教会や個人に宛てられたのではなく諸教会全体に向けられているということです。しかしこの名称はイオアンの第二、第三の手紙にはふさわしくありません。第二の手紙は恐らく小アジアのいずれかの地域教会に宛てられたものであり、第三の手紙は「ガイウス」という者へ宛てられています。これらの二つは疑いなくイオアンが書いたということで第一の手紙と一緒にまとめられ公同書簡に入れられました。

 公同書簡は第一世紀の第三、第四四半期に書かれました。

 

 公同書簡はおもに、主の昇天後、再臨にそなえて、福音宣教とともに教会が各地に設立されこの世との関わりを深めていくにともない生じてきた諸問題を扱います。教会とこの世との関係は主に従う者たちを常に悩ましました。「この世の内に生きながらこの世のものであることを拒絶する」のは容易なことではありません。じっさいクリスチャンのこの世への態度にはひとつの二律背反があります。

 

一方で、目下のところ神から離れてはいるものの、この世は神に創造され神に愛される神の世界である。これは真実である。この世は神に救われ、和解されるべく定められている。また一方で、この世は徹底して神に背く者、悪魔に支配され、神の存在する余地の無いように組織され、物質的面での充実と自己利益という、クリスチャンが目指すのとはまったく異なる無価値な目標に引き寄せられる。……クリスチャンは神の無い世界に、その世界を義なる主のもとに回復するために派遣されている。しかし、そこが「神の無い世界」であるかぎり、クリスチャンにはなじまない世界である。クリスチャンはそこでは安らえない。……なぜなら彼の真の故郷はどこか別の所にあるからである*[2]

 

この意味で、教会は「地上では旅人であり寄留者」です(エウレイ11:13)。また、クリスチャンはこの世にある限り「旅人であり寄留者」として生きなければなりません(ペトル前2:11)。

 

 クリスチャンも「肉の欲」に誘惑され(ペトル前2:11)、堕落した世界のあり方に巻き込まれることでは、他の人々と変わりありません。悪魔は絶え間なく私たちをこの世的生き方に、罪に、自己中心的で自己満足した生活に誘い込もうとします。そして私たちがそれを拒否するなら、悪魔はこの世を私たちに襲いかからせます。教会は迫害に直面します。公同書簡は読者たちにこの世の誘惑の霊的危険と、それを跳ね返したときに予想される迫害について警告します。クリスチャンは人類の救いのための働きをこの世のただ中で遂行しなければなりません。しかし彼等はこの世の腐敗に染まらないように警戒し、ハリストスの福音のための受難を進んで受け入れる備えをしなければなりません。彼等は、誘惑によるにせよ迫害によるにせよ、神が定めた教会の目的をこの世が転覆し打ち破ることを許してはなりません。

 

 新約聖書の著者たちをとりわけ悩ました「この世的なもの」の一つが、クリスチャンの共同体そのものの中に起きる異端――使徒から伝えれるものにそぐわない教えをもてあそび、受け入れ、宣伝すること――の問題でした。異端は教会へ「この世的なもの」が侵入してきたしるしです。一世紀には三つの重大な異端が現れ、使徒たちとその弟子たちが取り組まなければなりませんでした。一つはイウデヤ化主義者たちにそそのかされたイウデヤ人クリスチャンたちの律法主義でした。これは、救いはモイセイの律法をその隅々まで完全に守ることによって救われる、救いは「律法の行い」によって獲得されるというものでした。聖使徒パウェルの文書の相当大きな部分がこの異端への反論に費やされています*[3]。第二は、救いは真の信仰のみがもたらすもので「よき行い」は必要ないというものです。このイウデヤ人クリスチャンたちの「知性主義」の観点からは、信仰の正しさがすべてであり、生活上の実践的な行いは救いにとって重要なものではありません*[4]。聖使徒イアコフの手紙はおもにこの知性主義の異端を反駁するために書かれました。第三番目、一世紀の教会にとって、おそらく最も危険であった異端はキリスト教的グノーシス主義です。使徒的キリスト教と同様、グノーシス主義も「この世」に対立します。しかし使徒的キリスト教とは異なり、グノーシス主義は創造されたこの世界は本来、本質的に悪しきものであり、神ではなく悪魔に創造され、霊の生活にはまったくふさわしくないという確信にもとづくものでした。すでに見たように*[5]、グノーシス主義は極端な霊肉二元論を唱えます。物質は悪の原理であるとされ、ハリストスが肉体をとったこと、また神の物質的世界全体への救済の意志を否定します。グノーシス主義の興味深い面は、物質は霊とはまったく関係がないから、性的な乱行やさまざまな肉体的な罪は、もし適当な「精神的な態度」をともなっているなら、物質的世界からの人間の解放に実際に役立つ! という見方です。ペートル、イオアン、イウダの手紙はすべて、グノーシス主義の教義的かつ道徳的な過ちを明らかにするために書かれました。

 

 キリスト教の教えと実践についての使徒たちから伝えられた伝統を守るため、公同書簡は敬虔さとこの世を避ける必要性を強調し、「敬虔さ」というものを、真理(信仰)と道徳的な義(よき行い)について知ることと考えました。

 

イアコフの手紙

 

 公同書簡の第一は、「神と主イイスス・ハリストスとの僕イアコフ」から世界中に「離散している」(ディアスポラの)イウデヤ人クリスチャンたちに向けて書かれた手紙です。聖伝によると、この手紙の筆者はイエルサリムの聖イアコフ、すなわち「義人イアコフ」「主の兄弟(従兄弟といわれる)イアコフ」と呼ばれるイエルサリム教会の最初の主教イアコフです。彼の手紙は「パレネーズ(教訓)」すなわち「平易な言葉で知恵を教え勧告するもの」*[6]です。紀元60年頃に書かれたこの教訓の主要な関心は、真の宗教、真の知恵と真のクリスチャン生活であり、すでにお話ししたイウデヤ人クリスチャンの中にあった知性主義的異端へ向けられています。

 

 イアコフにとってキリスト教は唯一の信仰です。しかし、キリスト教信仰にとって「よき行い」が持つ重要性を否定する人たちが現れました。それに対してイアコフは、ハリストスへの真の信仰はすすんで実践される道徳的生活によってこそ表現されると主張します。「御言を行う人になりなさい。…ただ聞くだけの者となってはいけない」(1:22)、なぜなら「信仰も…、行いを伴わなければ、それだけでは死んだもの」(2:17)だからです。真のキリスト教信仰は道徳的に正しい行いによって「全う」されなければなりません(2:22)。「霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである」(2:26)。

 

 イアコフは信仰と行いの関わりの内にある真の宗教の本質への確信にもとづき、どのように信仰を表現し全うさせればよいか、多くの例をあげます。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児ややもめを見舞い、自らは世の流れに染まずに、身を清く保つことにほかならない」(1:27)、すなわちクリスチャンは「この世的なもの」を避け、他者の苦しみにいつも心を向けていなければなりません。愛の「きわめて尊い律法」(2:8)によれば、貧しい者を辱めて富んだ者たちをひいきすることはあってはならないことです。むしろ貧しい者への配慮こそ優先されなければなりません。イアコフによれば、富んだ者たちが抑圧者、搾取者でないことはきわめてまれなことだからです(2:1-135:1-6)。またクリスチャンは自分を制する力を獲得できるよう努力を惜しんではなりません。もっともこれは容易なことではありません。人には「欲にひかれ、誘われる」根深い傾向があり、「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」(1:14-15)からです。しかし私たちはこの欲望、罪、死への傾向に対しそれがどんなに困難に見えても抵抗しなければなりません(ということは、抵抗できるということです)。イアコフは自分を制することの難しさを「舌を制すること」を例に説明しています(3:1-12)。そして「互いに悪口を言うこと」について(4:11-12)、この世で人はどんなに不確かな存在であるのかについて、隣人を裁くことについて(4:13-17)、富の誘惑について(5:1-6)次々と警告してゆきます。そして主の再臨の時まで耐え忍べと勧告します(5:7-11)。最後には「一切誓ってはならない」と訓戒します。

 

 イアコフは知恵の本質についても語っています。彼はこの世の知恵と神の知恵を対照させて言います。

 

「あなたがたのうちで、知恵があり物わかりのよい人は、だれであるか。その人は、知恵にかなう柔和な行いをしていることを、よい生活によって示すがよい。しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら、誇り高ぶってはならない。また、真理にそむいて偽ってはならない。そのような知恵は、上から下ってきたものではなくて、地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なものである。ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである」。

 

旧約聖書知恵文学の作者たちと同じく、イアコフにとっても知恵は神の意志をどのように実践するか、また神と人々との間でどのように平和を保って生きるかについての知識です。

 

 イアコフの語る「知恵」を特徴づける倫理的性格は、彼が信仰と行いの関係について述べる時はっきりと現れます。知恵とはこの世となれ合う利口さではなく神をいちずに求める努力です。この世的なもの、とりわけ不道徳な行いは人を悪魔のなわめ(罪と死のなわめ)によって縛り、人を神の敵とします(4:1-10)。「神に従いなさい。そして悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ、二心の者どもよ心を清くせよ」(4:7-8)。上からの知恵に導かれて生きる生活とは「ハリストスにある生活(Life in Christ)」です。主への信仰に生きる生活とは、義のための「行い」の内に成立します*[7]

 

ペートル前書

 

 ペートル前書は紀元60-68年、おもに異教からの改宗者たちによってなる小アジヤのある教会へ向けて、ローマから書かれたものです(1:1-2)。学者たちの多くは、この手紙は聖使徒ペートルが彼の書記役を務めていたシルバヌス(ないしシラス)へ口述したものであると考えています*[8]。ペートルは「イイスス・ハリストスに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たち」へ、ハリストスへの希望にしっかりと立ち、教会にあって聖なる行いを実践し、道徳的にあやまりのない生活をしなさいとすすめています。彼の手紙の二つの主要テーマはクリスチャンは洗礼と迫害をどう理解すべきかという問題でした。

 

洗礼の意味

 ペートル前書1:3-4:11は異教から改宗し新たに洗礼を受けたクリスチャンたちにその改宗の意味を教える説教です。これらの「今生まれたばかりの乳飲み子」(2:2)たちに、ペートルは、洗礼を受けることは新たに生まれることであると宣言します。「神は、その豊かなあわれみにより、イイスス・ハリストスを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られている」(1:3-5)。真正な信仰は「火で精錬されなければならない」(1:7)――試練と受難によって――かも知れませんが、闇の力に対する戦いに専心する者たちは霊の救いを得るでしょう(1:6-9)。

 

 ペートルはさらに、真の霊的な再生はその聖性によって表現されなければならないと続けます。真正な信仰は自ずからよき行いによって表現されます。

 

「それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イイスス・ハリストスの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなハリストスの尊い血によったのである。…あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。…だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。あなたがたは、主が恵み深いかたであることを、すでに味わい知ったはずである」。(1:13-2:3

 

クリスチャンはハリストスの内に「新たに生まれ」、神の意志に従って生きることができるようになります。

 

 洗礼と霊的な再生によって信徒はハリストスとその教会の一部、神の「霊の家」を形成する「生ける石」となります。ペートルは教会を「選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民」――新たなるイズライリ――と呼び、その仕事は「暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、…語り伝える」ことだと宣言します(2:4-10)。

 

 新たにクリスチャンになった者は教会の中で、また教会を通じて聖性へと成長していかなければなりません。そこでペートルは正しい生活についていくつか道徳的訓戒を与えます。彼は「異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい」(2:11-12)と勧め、世俗的な権力と制度に従うことを命じます(2:13-20)。彼はまた夫と妻のふさわしい関係についても述べています(3:1-7)。そして最後に道徳的な生活を送るようにすべてのクリスチャンに呼び掛けます。「最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。…主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」(3:8-912)。

 

迫害の意味

 ペートルは洗礼についての説教の結論部分(3:13-4:11)で、彼の手紙の第二の主要テーマである「迫害」と一般的な苦難の問題に触れます。洗礼はイイスス・ハリストスの受難と死、そして埋葬と復活に与ることです(3:13-222:21-25)。それはまたハリストスの再臨、すなわち間近に迫ったすべてのものの終わりへの備えでもあります(4:1-11参照)。この世から迫害されて教会が被る受難は、悪の諸力への来るべき神の裁きのしるしです。かくして、ペートルは信仰に堅く立つことを勧め、迫害のもとで、そして終わりの日にどのように生活すべきか、どのように生活すべきでないかを教えます(4:12-5:11)。「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」(5:8)。しかし彼はまた「あなたがたをハリストスにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう」(5:10)と言います。ハリストスの内に洗礼されるということは、彼の受難と死に洗礼されることです。しかし、それは同時にハリストスと共に、その復活と昇天に上げられることでもあります。

 

 かくてペートルは受難の問題を終末論的に問い直します。ハリストスの再臨の内に、教会の艱難の意味を求めるのです。ペートルは次のように言うパウェルに疑いなく同意するでしょう。「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない」(ロマ8:18)。

 

ペートル後書

 

 聖書学者たちはペートル後書の執筆者と執筆年代について一致していません。聖伝とほとんどの保守的な注解者たちは、聖使徒ペートルによって60-68年頃に書かれたとしてきました。現代の多くの保守的ではない学者たちは90年代以降に(67年頃と思われるペートルの死よりずっと後)自らをペートルの使徒的証言の継承者と見なすクリスチャンによって書かれたと考えるようになりました*[9]。しかしながら、ここでは聖伝に従い聖使徒ペートルが書いたとしておきましょう。その前提に立てば、ペートル後書は(おそらくローマから)小アジアの諸教会に向けて書かれたものです。そこでは、救いの過程、教会内の異端の問題、ハリストスの再臨についてのペートルの考えが示されています。

 

信仰と行いと救いの関係

 ペートル後書第1章で、ペートルはよい行いで信仰を実行しなさいと力説しています。クリスチャンとして生きるためには「知識」ばかりではなく「正しさ」を持っていなければなりません。イイスス・ハリストスを通じて「神を知る知識」を与えられたなら、「わたしたちの神と救い主イイスス・ハリストスとの義」によって生きる努力をしなければなりません(1:1-2)。ハリストスへの私たちの信仰にもとづき、神は「いのちと信心とにかかわるすべてのこと」を私たちに与え、ハリストスを通じて、まさに神の光栄と卓越へと私たちを招きます(1:3)。ハリストスにあっての私たちの生活の究極的な目標は「世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となる」ことです(1:4)。しかし、ハリストスによってもたらされた救いを現実のものとするためには、私たちは神についての知識を実際に表現する生活を送り、「力の限りをつくして、…信仰に徳を加え」てゆかなければなりません。節制、忍耐、信心、兄弟愛、そして愛のために奮闘する「わたしたちの主イイスス・ハリストスを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはない」生活をめざさねばなりません(1:5-8)。この世での聖にして義なる行いを通じて信仰と「召しと選び」を堅固にしなければなりません。「わたしたちの主また救主イイスス・ハリストスの永遠の国」への入口を見いだすためには生きた信仰が必要なのです(1:9-11)。

 

異端の問題

 知性主義とグノーシス主義の異端はいろいろな点で異なります。一世紀の教会における知性主義は使徒的な信仰をほとんどすべての面で受け入れていましが、イウデヤ化主義者たちと反対の極端に走り、救いは「信仰のみ」がもたらすものであり、よき行いは救いの過程の中で何の役割も果たさないと主張しました。グノーシス主義はもっと先まで行きます。すでに見たように、グノーシス主義は物質的世界が本来よきものであること、また神がこの世界を創造したことを否定し、イイススを天使のような者と見なします。物質的世界の邪悪さから人を救い出すのに必要な知識(グノーシス)をもたらすため、人の外見をまとった(実際にではなく見かけだけ)天使です。救いの鍵は物質から霊を引き離すことでした。グノーシス主義の観点からは、人の救いに最も必要なことは、物質的な領域から引き離されて純粋な霊的世界に招き入れられることでした。

 

 グノーシス主義は知性主義に比べてはるかに正統的教えから離れています。しかし、その違いにもかかわらず、グノーシス主義と知性主義は一つの共通性を持っていました。それらはともに、アンチノミアニズム(無法主義)を唱えました。ギリシャ語の「アンチ」は「反」という意味、ノモスは「法」という意味であり、無法主義者は道徳律の権威を否定します。知性主義者はよき行いはなくても信仰によって救われると信じる点で無法主義者といえます。彼らの多くが教会の道徳的教えに反して、特に性的なモラルに反して生きていました。グノーシス主義者たちもまた使徒の教会の道徳的教えを拒否し、性的な放埒で悪名高かったのです。しかしグノーシス主義は、決して知性主義のようによき行いの霊的価値に無関心であったのではありません。グノーシス主義の観点からは、肉体的な罪は結果的に「よき」行いの一つのかたちであり得たかもしれませんでした。霊のみが善きものであり物質は絶対的に悪と見なすのですから、肉体的な乱行にふけることは肉体の軽視、物質的世界に対する道徳的、霊的価値否定をはっきりと表明する「よき行い」の一つとなるのです。暴飲暴食、乱交やその他の肉体的な罪が、霊的生活へ私たちを導くというのは彼らの論理の内ではもっともなことでした。

 

 ペートルが救いの過程にとって正統的信仰と共によき行いが必要であることを強調したのはこのような知性主義とグノーシス主義を強く意識してのことでした。これらの「にせ預言者たち」「にせ教師たち」が「巧みな作り話」によってクリスチャンの共同体に「滅びに至らせる異端」を知らぬ間に持ち込んでしまいました(1:16,2:1)。これらの異端はハリストスに反し、多くの人々を「放縦」に陥らせてしまいます(2:1-2)。多くの信仰のあやふやなクリスチャンが「汚れた情欲に」押し流され、道徳律の権威を軽んじるようになってしまいます(2:10)。「肉欲と色情に」誘惑され、「この世の汚れ」に絡みとられ圧倒されて、多くの人々が事実上背教者となり、ハリストスの救いを失いました(2:18-22;エウレイ6:4-8)。

 

 ペートルは、使徒的信仰を拒否し捨てる人々、また道徳的無法主義を教え実行する人たちは、裁きの日にサタンやその堕天使たちと共に断罪され永遠の罰をうけるだろうと警告します。一方信仰を守り正しい生活を送る者たちは、すべての悪から完全に解き放たれ、神の国に永遠に住まうことになります(2:4-10参照)。

 

ハリストスの再臨

 ペートル後書はハリストスの十字架の死、復活そして昇天後少なくとも30年は経てから書かれました。その公生涯で主は弟子たちに、神の民を天の国に導くためにいつか必ず戻ってくることを約束しました(マトフェイ24:29-31;マルコ13:24-27;ルカ21:25-28;イオアン14:1-4)。初期のクリスチャンたちの多くは、主の再臨は自分たちがまだこの世に生きている間に起きると確信していました。しかし時とともに、再臨の時期を予測することはできないこと、そして主は必ずしも人間の期待にあわせて再臨するわけではないことを認めざるを得なくなってゆきました。ペートルが第2の手紙を書いた頃には(60-68?)、再臨の「遅延」は教会にとってかなりやっかいな問題となっていました。使徒たちの証言の信憑性を踏みにじろうと躍起になっていた人たちはここぞとばかりにこの「問題」に飛びつき、教会の信仰を嘲りました。ペートルは彼らの嘲りを次のように引用しています。「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」(3:3-4)。ペートル後書の第三章はこの批判に答えて書かれたものです。

 

 ペートルは「今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれている」(3:7)と主張し、再臨の遅延は罪人たちへの寛容によるものだと次のように説明します。「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(3:9)。しかし罪人たちに、誤った生き方を悟り悔い改めるために割り振られた時間は無制限ではありません。そこでペートルは読者に、ハリストスの再臨とこの世に向けられる神の審判に躊躇することなく自分を備えよと警告します(3:14-18)。

 

 ペートルは次のように宣言します。「主の日は盗人のように(すなわち、突然予期せぬ時に)襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」(3:10)。「神の日の到来を」待ち望んで、クリスチャンは「きよく信心深い」生活を送るようにつとめなければなりません(3:11-12)。その日まで「わたしたちの主また救主イイスス・ハリストスの恵みと知識とにおいて、ますます豊かに」なるために奮闘しなければなりません。そうすれば「わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地」に入ることができます。

 

イオアンの手紙

 

 イオアンの三つの手紙は90年頃エフェスで書かれました。教会の師父たちはこの三つの手紙を、小アジアの教会の主教となり一世紀末にはエフェスに住んでいた聖使徒イオアンに帰しています*[10]。先に指摘したように、厳密な意味で公同的(カトリック)と言えるのは第一の手紙のみです。第二の手紙は小アジアのある教会に向けられたもの、第三の手紙は著者の友人である「ガイ(ガイオ)」と呼ばれる人物へ宛てられています。

 

 イオアンの手紙、特に第一と第二は、初代教会に蔓延しつつあったグノーシス主義異端に対抗するために書かれました。グノーシス主義の中心的教義は物質的な世界の善性も霊的な意義も認めない霊肉二元論であることについてはすでに触れましたが、彼らはその上に「照明による救い」ということも教えます。それによれば物質世界の束縛から人間を解き放つためには特別な「知識(グノーシス)」の獲得が必要です。グノーシス者たちの仲間に入った者だけが、神が彼らだけに与える「真理」の「知識」を受けることができます。グノーシス主義者たちは人々を三つの種類に分けます。「霊の人(プネウマティコイ)」はグノーシスの神秘に完全に導かれています。「魂の人(プシキコイ)」はグノーシスを追い求めている段階にいます。「肉の人(サルキコイ)」はグノーシスにまったく関心を持たず、したがってこの邪悪な世界に希望なく置き去りにされています。「魂の人」はわずかで、「霊の人」はほとんどいません。人類の大半は「肉の人」です。それゆえグノーシス主義は他の大半の人々を、軽蔑する価値もないと見なす一種の霊的エリート主義です。

 

 グノーシス主義によって道に迷ってしまったクリスチャンたちは、グノーシス主義的な世界観を真実の、しかし隠されてきたキリスト教の真理であると思いこみ、自らを教会内の霊的エリートであると誇りました。彼らは一部の少数者に独占されるのではなくすべての人々に広く宣べられてきた使徒的な信仰を、誤ったもの、また俗悪なものと考えました。物質的世界は神によって本来善きものとして創造され、神の「みことば」は肉体をとってナザレトのイイススとなったと教える使徒的信仰は、グノーシス主義の反物質主義と根本的に両立しません。そこで、使徒たちの「物質的な」証言に固執する人々は「肉の人」、せいぜいよくて「魂の人」でしかなく、グノーシス主義的な霊性主義の「真の信仰」へ引き入れられるべき存在でした。そんなわけで、グノーシス主義者たちが入り込んだ教会ではハリストスの体の一致を破る分裂や内紛が生じました。なぜならグノーシス主義者たちは「彼らだけに与えられた特別の啓示を持つと主張し、自らを霊的な者、照明された特権者、宗教的選良とする俗物(スノッブ)で」あったからです*[11]

 

 イオアンはその手紙の中で、グノーシス主義の道徳的無法主義や藉身の教義の否定とともに彼らの霊的エリート主義も批判します。グノーシス主義者たちの教義的あやまり、不道徳、宗教的俗物性に対し、イオアンはイイスス・ハリストスというお方とそのわざへの正しい理解、人間の罪の深刻さと神の律法に従順であることの必要性、ハリストスにある兄弟姉妹たちが互いに愛し合うことの大切さを強調しました。

 

 イオアンの手紙で取り上げられるグノーシス主義は「ケリントス主義」と呼ばれる一派です。ケリントスはエフェスのグノーシス主義者たちの指導者で、キリスト教の「真実の真理」への鍵を自分は所有していると主張していました。他のすべてのグノーシス主義者たちと同様、彼はハリストスの完全な神性と完全な人間性を否定しました。彼は父と子との間に区別を設け、子(ないしハリストス)を父から放射されて出てきた天使的な存在であって「真の神」ではないと主張しました。ケリントスはまた「子、ハリストス」はナザレトのイイススの肉体をたんに利用しているだけで、それがあたかも自身が「肉体をとった」ように見えるだけであると考えました。「〜のようにみえる」をギリシャ語でdokeoというので、藉身に対するグノーシス主義者たちの見方はしばしば「ドケティズム(仮現論)」と呼ばれます。ケリントスのドケティズムによれば、ナザレトのイイススは前駆授洗イオアンから洗礼を受けるまでは普通の人でした。「その時、天上のハリストスが彼に降り、ハリストスが成し遂げるべき啓示が完成するまでの間、とどまった。超自然的(しかし神的ではない)ハリストスがイイススを離れるや直ちに、彼は一人の人に戻り、一人のたんなる人として十字架にかけられた。すでにその時ハリストスがその肉体から去っていたので、イイススの死は何の意義も持つものではない」*[12]

 

 イオアンはケリントスを「反ハリストス」として拒絶します。父と子の一致を強調して、「御子(の神性)を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである」(1イオアン2:22-23)。イオアンはまた神としての「神の子」がナザレトのイイススに藉身したことを強調して言います。

 

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――」(1イオアン1:1-2

 

「いのちの言」がナザレトのイイススに「現れた」こと、すなわちイイススはハリストスであり、また「イイスス・ハリストスが肉体をとってこられた」ことを否定する者は「惑わす者」「にせ預言者」です(1イオアン2:22,4:22イオアン7-11)。

 

 イオアンはさらに、ケリントスに対し、イイススが神であることはその洗礼の時ばかりではなく十字架の時にも現れたと論じます。「世に勝つ者はだれか。イイススを神の子と信じる者ではないか。このイイスス・ハリストスは、水(洗礼)と血(十字架)とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊(聖神・使徒の教会に生き、それを鼓吹する)である。御霊は真理だからである。あかしをするものが、三つある。御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する」(1イオアン5:5-8)。

 

 イオアンによれば、神の子がイイスス・ハリストスに藉身したという信仰は救いに欠かせません。神と人との位格的(人格的)結合としてのイイススを信じることによって、信徒は天の永遠のいのちに入れます。「すべてイイススのハリストスであることを信じる者は、神から生れた者である。…なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イイススを神の子と信じる者ではないか」(1イオアン5:14-5)。「すべてハリストスの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ」(2イオアン9)。

 

 イオアンは正しい信仰の必要性を強調した上で、さらにクリスチャンの読者に正しい行いを実践せよと勧告します。「神は光であって、神には少しの暗いところもない」(1イオアン1:5)。神との交わりに生きなければならないなら、私たちは罪の闇の中ではなく、人類を罪の力から解放してくれたハリストスの光の中を歩まねばなりません。神の道徳的な戒命を守り自らをハリストスに表された神の像と似姿に一致させるために、あらゆる努力を惜しんではなりません。「『彼におる』と言う者は、彼が歩かれたように(すなわち神への完全な従順を)、その人自身も歩くべきである」(1イオアン2:6)。もちろんクリスチャンはハリストスの完全性にただちにう者ではありません。ハリストスに従う者も、しばしば罪を犯し、それは時にきわめて重い罪です(1イオアン1:810)。しかし「神から生まれた者」は、イオアンによれば、道徳的無関心の内にあからさまな不道徳を生きることはできません。人生の根本姿勢において罪を犯すことはあり得ません。真のクリスチャンはその内なる「神の本性」を自らの内に働くお方=聖神を通じて己のものとし、聖神との共働を通じて成聖の過程を進もうとします(1イオアン3:4-104:13-15)。もし、クリスチャンが神の命じる道徳的、霊的な基準に生きることにしくじったなら、彼はその罪を主に告白し、ハリストスとその教会に、またそれらを通じて神に、赦しと再生を願わなければなりません(1イオアン1:9-2:2)。グノーシス主義の無法主義とは反対に、神の子ハリストスに結ばれ、至聖三者の永遠のいのちに入ることを願う私たちは神の与えた道徳律に従って正しく生きなければなりません(1イオアン3:1-32イオアン4-6参照)。なぜなら「善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者」だからです(3イオアン11)。

 

 イオアンはグノーシス主義の霊的エリート主義も攻撃しています。ハリストスによって真に照らされた者は、教会にあってその兄弟姉妹を愛します。「兄弟を愛する者は、光におるのであって、つまずくことはない。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである」(1イオアン2:9-10)。真のクリスチャンは、グノーシス主義者たちのように仲間のクリスチャンを無知だと言って軽蔑するようなことは決してしません。反対に、ハリストスにある者として彼らを愛し、彼らが真の信仰へと教化されるよう祈ります。

 

 クリスチャンの愛の生活は、神に生きる生活にとって本質的なものです。なぜなら、神ご自身が愛の源泉であるからです。

 

愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。…わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。…わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。(1イオアン4:7-1216-1719-21

 

私たちは神の真理ばかりではなく神の愛にも生きなければならないのです(2イオアン1-6)。使徒的信仰の真実を保持し、ハリストスの教会のすべての兄弟との愛の一致を求めるなら、神の「恵みとあわれみと平安」(2イオアン3)のうちに生きなければなりません。

 

 したがって神とともにある生活には正しい信仰、正しい行い、正しい愛が必要となります。この世での私たちの生活は神への愛と教会の兄弟姉妹への愛にともに根ざしていなければなりません。私たちはハリストスの福音の名によって、「この世の内に」生きるのであり、「この世のもの」として生きるのではありません。イオアンは私たちに「世と世にあるものを」(1イオアン2:15)愛して生きてはならないと忠告します。「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り」(1イオアン2:16)に従って生きることは神の意志への背きです。私たちは常に「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(1イオアン2:17)ことを忘れてはなりません。もし私たちがハリストスを救い主、主と認めて受け入れ、神の意志に従って生きることに懸命に努力するなら、欠けることなく聖神の恵みを受け、光栄を受けるに至るでしょう(1イオアン3:12-244:13)。イオアンは自らもそこに属する使徒の共同体について「わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをする」と言います。そして使徒たちの証言に応えて「もし人が、イイススを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいる」(1イオアン4:14-15)と。

 正しい信仰を持って神のもとに生きるなら、神が与える道徳律の権威を認めて正しく行動し、神がイイスス・ハリストスにあって私たちに示す愛を以て、信仰の兄弟姉妹を愛するのは当然のことです。

 

イウダの手紙

 

 公同書簡の最後は、「イイスス・ハリストスの僕またイアコフの兄弟であるイウダ」によって書かれました。このイウダが誰であるのかはわかっていません。ある者は、ハリストスの早くからの弟子でおそらく使徒でもあったイウダであると信じますが、第1世紀末のある教会の指導者であったと主張する者もいます*[13]。また執筆年代に関しても論争があります。「ある者は第1世紀の60年代とするが、他の者は紀元150年頃と考えている」*[14]。イウダの手紙の正典性は初代教会の多くの教会の権威者たちが取りざたしましたが、4世紀に新約聖書の正典として最終的に認められるに至りました。

 

 この手紙はすべてのクリスチャンに宛てられています。他の公同書簡と同様、教会内に起きる異端の問題に重大な関心を寄せます。イウダの目的は「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰」(1:3)すなわちハリストスについての使徒たちの証言を守ることです。彼は、教会に誤った教師たちが忍び入ってきて、「わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイイスス・ハリストスを否定している」(1:4)と警告します。この記述から彼が念頭に置いていた異端者はグノーシス主義者たちであったと推定されます。すでに見たように、グノーシス主義者たちはイイスス・ハリストスの神性を否定し、人々に道徳的無法主義の実践をそそのかしていたからです。

 

 イウダは読者に教義上でも道徳的上でも異端は神に罰せられると警告し(15-16)、使徒たちの教えに従って生活するように呼び掛けます(2,20-21)。異端者たちは皆最後の日に神の審判の前に立たなければなりません。「しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖神によって祈り、神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イイスス・ハリストスのあわれみを待ち望みなさい」(20-21)。クリスチャンはまた忌まわしい異端から心の弱き人たちを救うために働かなければなりません。「疑いをいだく人々があれば、彼らをあわれみ、火の中から引き出して救ってやりなさい。また、そのほかの人たちを、おそれの心をもってあわれみなさい。しかし、肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい」(22-23)。

 

 イウダの手紙は美しい祝福で結ばれています。

 「あなたがたを守ってつまずかない者とし、また、その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに立たせて下さるかた、すなわち、わたしたちの救主なる唯一の神に、栄光、大能、力、権威が、わたしたちの主イイスス・ハリストスによって、世々の初めにも、今も、また、世々限りなく、あるように、アミン」(24-25)。

 

 公同書簡はいずれも特に、教会内の異端の問題、この世の誘惑による教会の腐敗、キリスト教信仰の実践的なまた神学的な意味に強い関心を示しています。イアコフ、ペートル、イオアン、イウダはクリスチャンの信仰には誤りなき教えの理解とよき行いの両方を求められると強調します。私たちは「信仰のみ」によって救われるのでも、「よき行いのみ」によって救われるのでもありません。使徒的な伝統によればハリストスへの信仰を通じて、また聖神の力を受けて遂行される道徳的・霊的な戦いと成長の生活を通じて、神との交わりに入ります。すなわち「神の性質に与る者」となります(「神化」ペトル後1:4)。教会生活はイイスス・ハリストスというお方とそのわざへの信仰を通じて、神聖神の成聖する恵みの内で成長してゆく生活です。

 公同書簡のメッセージを要約すれば以上のようになるでしょう。                                



*[1] エウレイ人への手紙もパウェルの書いたものではありませんが、伝統的にパウェルの手紙の中に入れられていました。なぜなら最初の何世紀間かのあいだ、この手紙はパウェル直筆か、またはきわめて彼に親しかった者が彼の思想を敷衍したものと信じられていたからです。

*[2] Bruce, The Message of the New Testament

*[3] 本書前章参照

*[4] John R.W. Scott, Basic Introduction to the New Testament (Inter Versity Press 1973) 105

*[5] 本書6章参照

*[6] Cullmann, 102

 

*[7] イアコフの手紙はまた、聖傅機密と痛悔機密についての聖書的な根拠を与えている点で重要です。

*[8] Cullman,107;Neil,519

*[9] Cullmanはペートル後書は150年頃に書かれたと主張しています

*[10] 多くの学者たちがこれらの手紙が聖使徒イオアンによって書かれたことに疑問を持ち、彼の近しい仲間で「長老イオアン」の名で知られる人物が執筆者であったと推測している。

*[11] Stott, Basic Introduction to the New Testament, 128-9

*[12] Neil,527

*[13] Cullmann,111-3

 

*[14] The Harper Study Bible,1857