第六章 イオアン福音書の神学
第四福音書*[1]は1世紀の終わり頃(85-90)今日のトルコのエフェスで書かれました。聖伝はこの福音書の著者を十二使徒の一人聖イオアンであると伝えています(マトフェイ10:1-15)。しかし現代の聖書学者の多くは、この福音書のテクストを今日の形にまとめたのはイオアン自身ではなく、イオアンに親しく従い彼に信頼されていた弟子の一人であったと考えています*[2]。しかし、イオアン自身の執筆か、弟子に口述したかに関わりなく、第四福音書がハリストスの伝道についての聖使徒イオアンの記憶にもとづくものであることは疑い得ません。その意味でこの福音書が「イオアンによる福音書」と呼ばれるのは至当のことであると言えましょう*[3]。
イオアンはイイススの最も親しい友の一人であり(マトフェイ12:1-9、26:36-46;イオアン13:23-25、19:25-27)、初代教会を支える「柱」の一人でした(ガラティヤ2:9-10)。後年、彼はエフェスに居住し小アジアの主教として働きました(85-100頃)*[4]。その頃この年老いた使徒が友人たちや弟子たちに求められて、福音書を執筆ないし口述したのです。新約聖書にはその他にイオアンに帰せられる文書が四つ含まれています。90年頃書かれた三つの手紙と95年頃の「イオアンの黙示録(啓示)」です。彼は100才前後の高齢でこの世を去ったと伝えられます(95-100頃)。
イオアン福音書と共観福音書には多くの違いがあります。イオアンはハリストスの誕生、幼年時代、洗礼、誘惑、変容、昇天について語っていません。また共観福音書の中に集められた主が行った多くの奇跡のかわりに、七つの奇跡だけを取り上げます。共観福音書にはハリストスの説教、たとえ話、物語、断片的なことばが編集されていますが、イオアン福音では主の教えは長大でむしろ込み入った神学的な説教の中に集約されて示されています(3-8章、10章、14-16章)。さらに多くの学者たちが指摘してきたことですが、イオアンが用いた言葉や考え方は共観福音書よりはるかに神秘的、哲学的であると言えます。また、イオアンにはマトフェイ、マルコ、ルカに含まれる資料のうちの多くが用いられていない一方で、イオアン独自のものが多数含まれています。イオアンだけが伝えている出来事として、ガリレヤのカナの婚宴で行われた第一の奇跡(2:1-11)、ニコデモとイイススの対話(3:1-21)、サマリヤの女にご自身のメシヤ性を示されたこと(4:1-42)、墓からラザリを復活させたこと(11:1-57)、最後の晩餐での弟子の足洗い(13:1-20)などがあげられます*[5]。
また、ハリストスの公的伝道の時間的な、また地理的な面でも、イオアン福音書と共観福音書は対照的です。前章で指摘したように、共観福音書は主のガリレヤ伝道と、イウデヤからイエルサリムへの最後の旅を中心に伝え、ハリストスの公的伝道は一年間だけの短いものだったような印象を与えます。しかしイオアンは、イイススの公的伝道の期間には少なくとも三度の過ぎ越しの祭りが行われ(2:13、6:4、12:1)、主はほぼ三年間、ガリレヤ地方のみならずイウデヤ地方でも精力的に働いたことを伝えています。主のイウデヤ地方最後の旅は何ヶ月にも及び、主はその間に一回以上イエルサリムに上っています(7:1-12:11)。
共観福音書とイオアン福音書とのこれらの違いについては、比較的容易に説明がつきます。イオアン福音書は共観福音書の10年から25年後に書かれたと推定されています。イオアンは彼の読者たちはすでにマトフェイ、マルコ、ルカらが伝えた伝承には知悉していると前提し*[6]、彼らがすでにあつかった部分は繰り返す必要がないと考えました。そこで彼は、共観福音書が伝えていない歴史的な、また神学的な伝承を補足しようとしました。すなわち彼は、ハリストスの伝道について共観福音書が取り上げなかった面を伝え、主の神性をより際だたせ、よりいきいきと強調しています。彼の主要な神学的関心は「イイススの人格(ペルソナ)の神秘」を説明し、「この『人以上の人』の永遠の起源と神の本性」*[7]を宣言することにありました。イオアンはこの神学的な目的のためにハリストスの奇跡の中から七つの奇跡のみを選びだし、また主の教えを説教のかたちで示しました。七つの奇跡はハリストスの神性の「しるし」として描かれ、説教は人であるイイススが同時に神の子であることを明らかにすることを意図しています。第四福音書の神秘的かつ哲学的な性格は、旧約聖書の知恵文学に根ざすヘレニズム時代の秘儀的なユダヤ教に由来し、イオアンの神学的な狙いに適合するものでした*[8]。この神学的な性格から、教会の聖師父たちは第四福音書の著者イオアンに「神学者」というタイトルを与えました。
〔解説・補論〕他に「神学者」というタイトルを持つ聖人として、神学者グレゴリイ(ナジアンザスのグレゴリイ、329-89)、新神学者シメオン(949-1022)があげられます。神学者グレゴリイは親友の聖大ワシリイ、ワシリイの弟のニッサのグレゴリイとともにカッパドキヤの三大師父として正教会では圧倒的な尊敬を受けています。アリウス異端に抗して正統教義を守り、また「至聖三者の詩人」とも言われ、三位一体を考えられた理屈としてではなく体験される神秘としてむしろ詩的イメージの中で示しました。新神学者シメオンは神の恵みに直接あずかる自らの神秘体験を報告した数少ない師父です。このように、正教会ではふつう私たち現代の信徒が「神学者」と言ったときにイメージが浮かぶ、理知的、理論的、学究的、書斎的な知識の体系家とはほど遠い、神に限りなく一致しようと信仰を神秘や体験として生き抜いた人たちこそを「神学者」と呼んでいます。
共観福音書とイオアン福音書のその他の違いは歴史的事実に関してのいくつかの点に関わっています。たとえばイオアンはハリストスの「宮きよめ」を公的伝道の最初期に置いている(イオアン2:13-25)のに対し、共観福音書では主の地上での最後の日々に起きた出来事として伝えます(マトフェイ21:12-17;マルコ11:15-19;ルカ19:45-48)。もう一つの例は、共観福音書がヴィファニヤの女によるハリストスへの香油注ぎをイエルサリム入城後としているのに対し、イオアン福音書はこの出来事はイエルサリム入城の前にマルファとラザリの兄姉の妹であったマリヤによって行われたと伝えます(イオアン12:1-11)。さらに大きな違いは、共観福音書がパスハ(過ぎ越しの祭り)の日にイイススが十字架にかけられたとするのに対し、イオアンはパスハの前としていることです。イオアンによれば、「イイススが十字架にかけられた年(30年頃)のパスハは、金曜日ではなく土曜日にあたり」ます。したがって、四つの福音書すべてが「最後の晩餐が木曜の夜にあり、引き続く金曜に十字架刑が執行されたことで一致している一方、最後の晩餐がパスハの食事にあたるかどうかについては両者は一致していない」*[9]のです。
〔解説・補論〕「パスハ(過ぎ越し)の食事」はパスハ祭の重要な行事でした。「ニサンの15日」(パスハ当日)に入った夜(当時新しい一日は夕刻から始まりました。正教会の奉神礼もその考え方で行われています)に、パンを発酵させる余裕もなくあわただしくエジプトを脱出した先祖たちを記憶して「種なしパン」を食べました。共観福音書の記述をたどると「最後の晩餐」はまさにこの「パスハの食事」となり、この解釈をとって西方教会は「種なしパン」をミサ(聖体機密)に用いるようになってゆきました。イオアン福音書では「最後の晩餐」は一日前のニサンの14日(「準備の日」)の食事となり、この日にはふつうの発酵パンが食べられました。正教会はこのイオアンの時系列を採って、おそらく初代教会以来と推定される発酵パンを聖体機密に用い続けてきました。イオアンの時系列に従うと、ハリストスの十字架刑は、パスハの食事のために準備される子羊が屠殺される時刻にあたり、新たなる過ぎ越しの子羊としての象徴性が際だちます。
イオアン福音書と共観福音書のこれらの事実関係の食い違いを解決することはできません。イイススは一度ならず何度か両替人たちを神殿から追い出したのだと考える人たちもいます*[10]。ただ、イオアンが神学的な面を強調するため、イイススの宮きよめの出来事を意識的に歴史的な順序からはずしたということは充分考えられることです。「イオアンは宮きよめの出来事を、イイススの公生涯は最初から危険をはらみ、十字架の影がイイススの公生涯全体にさしていたことを示す重要な象徴として選び」ました。さらに、イイススはそこで「ご自身が誰であるのかを示し、それがイイススを死に導いた。主はご自身の神としての特権を宣言した。イイススはご自身の家に神殿の主としてきたが、彼ご自身のものであるはずの神殿が、イイススを拒否し」ました*[11]。また、イオアンは、主の死を前兆するヴィファニヤのマリヤによるイイススへの香油そそぎの出来事をイエルサリム入城の前に位置づけ、イエルサリムへの最後の旅の持つ意味を際だたせようとしたことも充分考えられます。最後の晩餐がパスハの食事であったかどうかについては、今日ほとんどの聖書学者たちは共観福音書記者たちではなくイオアンに同意しています*[12]。しかし、この件について共観福音書記者たちがまったく間違っているとは早急に結論づけることはできません。なぜなら、たとえ最後の晩餐がイウデヤ人たちのパスハより一日早く行われようとも、イイススと使徒たちにとってはこれは過ぎ越しの儀式であったのであり「その間に、新たなる儀式、ユーカリスト(聖体機密)が制定された」*[13]からです。
このように、イオアン福音書と共観福音書には異なる点や、いくつかの事実関係での食い違いがありますが、これらの異なりや食い違いは決して致命的な矛盾ではありません。共観福音書は初代の使徒たちから伝えられた共通の伝承から材料をとり、イイススが誰であり、イイススが何を言い何をしたかについての初代教会の一つの見方を表しています。そして第四福音書は、聖使徒イオアンの精神と記憶にもとづいて、ハリストスの人格とわざに関しての、もう一つのそしてより深い神学的な見方を表しています。イオアン福音書はハリストスの地上での生涯についての共観福音書の記事を補足し、完全なものとし、「共観福音書を正しく理解するための鍵」となっているのです*[14]。イオアンと共観福音書記者たちは手を携えて「ハリストスの福音的イメージ」を後世に伝えたのです。
イイスス・ハリストス 神の子 イオアン福音書1−11章
イオアン福音書の1章から11章の目的は、ナザレトのイイススとは誰であるのかを明らかにすること、すなわちイイススはイズライリのメシヤであり、同時に「神子」の藉身したお方であると宣言することにあります。この目的のために、イオアンはあの有名なプロローグ(1:1-18)を用意しました。ハリストスの神性の美しくかつ劇的な宣言です。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。
もちろんイオアン福音書は新約聖書の他の文書と同様ギリシャ語で書かれています。英語の「Word」(「言」)はギリシャ語の「ロゴス」の訳語であり、「知恵(ないし理性)」や「言葉」を表します。イオアンはイイススを神のロゴスが藉身(受肉)したお方として示し、神の言葉と知恵が人間性と結合したことを私たちに教えています。旧約聖書の知恵文学の中では、知恵の原理はしばしば人格化され、永遠の先から神と共にあった「神の顕現」として語られています(箴言8:22-36;知恵書7:22-8:1)。また旧約の預言者たちはある意味で神の言葉を主ご自身の臨在、神の存在の啓示と考えていました。また彼らは、宇宙は神の言葉と知恵の力によって創造されたと教えています(創世記1章、詩編33:6,9)。イオアンは神の創造的な知恵と言葉を神の本性の内にあって父と区別される一つの「人格」、「父のひとり子」(イオアン1:14)として語っています。藉身において、この永遠の先在するロゴスが、神父と本質を同じくする神でありながら「人間の救いと回復のために人間性をおとりになるまでに身を落とされ」*[15]ました。
神の言の藉身したお方として、ハリストスはまた、いのちとその光の源泉です(イオアン1:4)。藉身した主の「真実の光」によって、霊的な闇と悪の暗闇は克服されることができます(イオアン1:5,9)。しかし霊的な闇から解放されるためには、すなわち神のロゴスの恵みと真理と永遠のいのちに入るためには、また神と和解するためには、私たちはハリストスを心から受け入れ、ハリストスを信じなければなりません。アブラハムの肉体的な子孫こそが「神の子」であると信じていた当時のイウデヤ人たちに、イオアンは「神の子」であるということは民族の如何によるのではなく、イイススへの信仰によると断定しました(1:12-14)。ハリストス、肉体となった「言」だけが、私たちに神父を知らせることができます(1:18)。そしてハリストスへの信仰によってのみ「神の子となる力」を受け取ることができます(1:12)。人はイウデヤ人の家族に生まれたからといって、ついでに言えばクリスチャンの家庭に生まれたからといって、神の家族の一員になるわけではありません。「父たちへの信仰によって」救われるのではなく、私たち自身の信仰によって救われるのです。
イオアン福音書では神の救いのわざの肉体的・物質的な次元が一貫して強調されています。救いは物質的世界「からの(from)」救い(解放)ではありません。救いは物質的世界「での(in)」救い、物質的世界を「通じての(through)」救いです。神の御子の神性がイイスス・ハリストスの人間性に取り込まれました。ハリストスにあって、「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」のです(イオアン1:14)。そして、このハリストスにあって、神の霊的な光栄が目に見えるものとなりました(1:14,18)。後に触れますが、ハリストスの公的伝道それ自体が神の霊的な力の現実化(具体化)でした。イオアンはイイススが語った説教を伝えています。それらは弟子たちによって実際に耳で聞かれました。またこれらの説教それ自体に水、パン、光、闇、人間の体、肉と血などの物質的な事柄への言及が溢れています。第四福音書が伝えるハリストスの奇跡は霊的な意味に溢れた肉体的な行為です。水はぶどう酒に変えられました(2:1-11)。肉体的な病や生まれつきの障害は癒されました(4:43-54、5:1-9、9:1-41)。飢えた者たちは奇跡的に食を与えられました(6:1-14)、イイススは水の上を歩きました(6:15-21)。そしてラザリは文字どおり死人の内から甦らされました(11:1-57)。さらに言えば、古代パレスティナの特定の場所と特定の時に主は教え、また奇跡を行いました*[16]。そして紛れもなく人間であり同時に完全な神であるハリストスは苦しみを受け、十字架上で息絶え、死者のうちから肉体を持って復活しました。主の肉体が裂かれ、血が流されたからこそ人類は罪と死の力から解きはなたれたのです。
そういう意味でイオアンの神学は機密的な神学であると言えましょう。機密とは広い意味では「神の恵みが働くための目に見える手段」です。神の恵みを現実化し人々がそれに与り得るようにする、この世での出来事や行為です。サクラメントゥムSacramentum は「保証(金)」「約束」を意味するラテン語です。その意味から「サクラメント」は信仰と従順に生きる者すべてに神が与える「救いの保証」と言えるでしょう。正教神学ではサクラメントは機密(ギリシャ語のミステリオンから)と呼ばれ、神の救いのわざの神秘的で超自然的な面が強調されます。イオアン福音書が書かれた1世紀の後半には、教会の奉神礼はかなり高いレベルにまで完成しつつありました。そこでイオアンはこの世に対する究極のサクラメントである神とそのわざの、神秘的かつ現実的で物質的なありかたを強調し、ハリストスの救いのわざと教会の機密的な諸行為(洗礼、傅膏、聖体機密など)を結びつけました。神の救いはハリストスにあって現実となりました。そして神聖神を通じてその救いは教会、すなわち機密的かつ神秘的な「ハリストスの体」において現実に働き続けることとなりました。
イオアンが神の救いのわざの物質的、藉身的、機密的な次元を特に強調したのは、グノーシス主義という異端に対抗するためでした。グノーシス主義はギリシャ、ペルシャ、エジプトなどの密儀宗教に由来する宗教的、哲学的な考え方です。ハリストスの時代以前から、イウデヤ教の中のいくつかのセクトがグノーシス主義的な世界観を取り入れていました。後にキリスト教がパレスティナから地中海地方、中近東に広がっていくにつれて、多くのクリスチャンがグノーシス主義の影響を受けるようになっていたのです*[17]。
異教的、イウデヤ教的、キリスト教的を問わず、グノーシス主義はいずれも苦悩と死からの救いはある秘密の(秘儀的な、オカルト的な)「知識(ギリシャ語で知識や知恵を表す)」を獲得することによって達成されると教えました。救われるためにはこの「真理」を学び霊的な無知と妄想を克服しなければなりません。グノーシス主義者たちにとって「真理」とは、本質的に善である霊と本質的に悪である物質が互いに完全に対立していることでした。最初は神の領域である「霊」と、暗黒と混沌の領域である「物質」は完全に切り離され混じり合っていませんでした。神から多くの天使たち(ないし「アエオン」)が出現し、これらの天使たちの何人かが神に敵対するようになりました。これらの反抗的な天使たちの指導者(悪魔)が、神の意志に逆らって、空間と時間のある世界を造り、そこで霊と物質が混じり合ってしまいました。人間とは霊と物質のこの聖ならざる結合の産物であり、肉体を完全に否定することによってのみ、この物質的世界の腐敗から解放されます。善き天使を通じて神から送られ続けてきたグノーシス主義の特別な知恵を通じて、霊的な光照と物質の束縛からの解放が可能となるのです。
〔解説・補論〕グノーシス主義者たちの「肉体否定」は、極端な肉体的苦行(断食や徹夜)、結婚の拒否などのかたちで現れました。これらの苦行は正教の「肉体を本来のあり方に生かす」ための苦行ではなく、「肉体を殺す」ための苦行でした。反対に、肉体などは霊の世界とは関わりがないのだからと、肉体欲望のおもむくままに性的乱行や放蕩にふけることで「肉体否定」を逆説的に表現する人たちもいました。
グノーシス主義者たちが神から送られてきたと主張する「知恵」については、実に様々なバリエーションがあり、ここで述べることはできませんが、詳しくお調べになりたい方は「グノーシスの宗教」(H.ヨナス 人文書院 1981)などをごらん下さい。
イウデヤ教的、キリスト教的グノーシス主義は、「旧約の神」は実際には悪魔である、なぜなら真の神は、闇であり悪である物質の世界とは何の関わりもないからと主張します。さらにキリスト教的グノーシス主義はイイススを、この世からの解放へと人々を導く「秘密の知識」を啓示するために、人間の外見(とはいっても真の人間の本性と肉体ではない)をとって神から遣わされた善天使の一人と考えます。グノーシス主義者にとってイイススは真の人間でも真の神でもありません。実際に肉体を持って「女から生まれ」、生き、苦しみを受け、死んだのではありません。体を持って復活したのではなく、霊においてのみ復活したのです。
以上が教会史の最初の3世紀間たえず正統派の教会を脅かしたグノーシス主義の教えです*[18]。イオアンはグノーシス異端への反論を意識して彼の福音書を書きました。彼はグノーシス主義が、神による世界創造の教義、籍身における神と人の結合、イイスス・ハリストスの肉体を持っての生涯・死・復活・昇天・神父の右への着座、末の日における全死者の復活、物質的世界の本来の善性、これらをことごとく否定していることを見抜きました。だからこそイオアンは、ロゴス(言)がイイスス・ハリストスにあって「肉体となり」(1:14)、神のロゴスにあって、またロゴスを通じて神が創造し(1:3)、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るため」(3:16)であることを宣言したのでした。グノーシス主義の超霊性主義を反駁するために、ご自身が創造した世界に常に臨在し働く「創造者・神」という正統的教理に対して、イオアンは使徒としての保証を与えました。
〔解説・補論〕グノーシス主義はイオアンの時代の後も続きます。聖イリネイ(130-200)は「異端駁論」という長大な著書を著しましたが、その大部分はグノーシス主義者たちへの反駁に費やされています。こんにちグノーシス主義者たちの思想を知ることができるのはこの著に彼らの教えが反駁するために記録されているからといっても過言ではありません。グノーシス主義は表面的には正統教義が確立するにつれて影をひそめますが、「グノーシス主義的」な霊肉二元論的傾向は、その後も教会を悩まし続けます。肉体を蔑視し結婚を忌避する人たちを教会は何度も教令をだして戒めなければなりませんでした。
聖規則書の索引から結婚を忌避することを戒めるものをあげてみました。いかに教会がこの問題にてこずったかが伺われますね。
婚配は神の制定せし所なり(使徒規則51)。正當の配偶は尊ぶべきものたり(ガングル公会規則21)。貞操敬虔なる婦を誹謗厭忌して恰も天国に入るを得ざるものの如くする者は詛はる(同上1)。童貞の神聖なる故に因らず婚姻を厭ふよりして童貞を守る者は詛はる(同上9)。妻たる者配偶を厭ふて夫を棄つる時は詛はる(同上14)。若し聖位に在る者配偶を厭ふよりして之を避くる時は宜しく悛改し、然らざれば教会の罰に服す。俗人も亦然り(使徒規則5,51)。聖体禮儀に於て有婦の司祭より領聖すべからずと思惟する者は詛はる(ガングル公会規則4)。
その他、極端な苦行にはしる人たちは、いつの時代にも繰り返し現れました。現代でもその危険は現実です。
またグノーシス的ということを、キリスト教ならざる基盤の思想がキリスト教的な装いをまとったり、その用語を用いたり、教えの一部だけをとりだして自分たちの教義を補強することと理解すれば、多くの「キリスト教的」カルトや新宗教は「現代のグノーシス」と呼べるでしょう。
イズライリのメシヤ
イオアンは他の新約聖書記者たちと共に、ナザレトのイイススを、神が旧約の預言者たちを通じてイズライリ民族に約束したハリストス、メシヤ、救世の王と宣言します。すでに論じましたが、メシヤはダヴィドの系統の王であり、世の罪のために苦しみ、死に、神ご自身の顕現(「人の子」)でなければなりませんでした*[19]。また共観福音書にも明らかですが、イイスス時代、大半のイウデヤ人たちは、メシヤ的な王による解放を待望していたにせよ、自らの死によって世界を救う神的なメシヤという預言者たちの見方から離れてしまっていました*[20]。新約聖書によれば、イイススをハリストスとして認めたその弟子たちでさえ、主の復活の後まで、主がどのような意味でメシヤであるのかを理解していませんでした(マトフェイ28章;マルコ16章;ルカ24章;イオアン2:22、12:16;使徒1-2章)。しかしイオアンは主の十字架の死後約70年間イイススの働きについて熟考し続けました。その結果、主のメシヤ性を旧約の預言のほとんど完全な成就として描き出すに至りました。そして予想されるとおり、ハリストスが神の子であることに特別の強調点をおいたのです。
ハリストスが神的な「人の子」であることは、彼の教えとその奇跡的なわざの中に示されています。イオアンは主の奇跡を、イイススのメシヤとしての本性と彼が完全に人であり同時に完全に神であることを指し示す「しるし」(ギリシャ語のsemeion)として語ります。広い意味で言えば、主のわざのすべて――教え、奇跡、受難と死――は主の働きのが何でありどのような意味を持つのかを表すしるしです。第四福音書は主の奇跡は「単に人々の苦痛を和らげ必要を満たすためではなく、人々に神の救いを知らせる」*[21]ために行われたことを強調します。イオアンが主のなさった「しるし」を伝えるのは、イイススが神の子・ハリストス(救い主)であると信じるためであり、またそう信じて、私たちが彼を通じて永遠の生命を得るためです(イオアン20:30-31)。
第四福音書によれば、イイススは最初の奇跡的なしるしをガリレヤのカナで催された婚宴の時に行いました。この状況設定は意味深長です。なぜなら古代のイウデヤ人はメシヤ到来に続いて実現する神とイズライリとの最終的な結合の象徴として婚宴をとらえていたからです。
またこの部分では、他にいくつかの注目に値する点がを見いだすことができます(イオアン2:1-11)。
多くの人々がイイススがその母に言った「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」という言葉にとまどってきました(2:4)。ギリシャ語の原文を文字通りに訳すと「女よ、わたしとあなたと何の関係があるか。まだ、わたしの時ではない」です。自分の母を「女よ」と呼んでも、イイススが無礼な物言いをしたということにはなりません。なぜなら、その当時「女よ」という呼び方は英語で「Lady」と呼ぶのと同じことだったからです。私たちの主の母は祝宴のためのぶどう酒が底をついてしまったことに心を痛めていました。この婚宴のホストである花婿の両親が客たちの前で面目を失ってしまうからです。他にどうしようもなく彼女は本能的にその息子に向かい、彼女の友人たちのために「何かして」欲しいと懇願しました。イイススはさりげなく母をたしなめ、彼が完全に人々の前に自らを現すべき時はまだ至っておらず、彼の「時」は人々の求めによってではなく、父なる神の意向によって決められることを思い起こさせました。「時」という言葉はイイススが人々の前に公に出てゆく時と、イイススの「栄化される」(すなわち死と復活)時の両方を意味します。しかしそうは言っても、イイススは母の願いに応えます。ただカナの奇跡はごく少数の人々――主の母、弟子たち、召使いの幾人か――しか目撃していません。このしるしによって、イイススは彼の母へ敬意を表し、「謙虚なガリレヤの一家が恥をかくことから救い」*[22]、彼の神的な光栄を多くの人々ではなく、ごく少数の人々にしか現わさないことによって、主はご自身の「時」を待ち続け、同時に天の父に光栄を帰しました。
イイススがカナで水をぶどう酒に変えたことは、キリスト教によってイウデヤ教が乗り越えられることを象徴しています。問題の水はイウデヤの祭儀律法の規定に従い食事の前後に儀式的に手を洗うためのものでした。イウデヤ人たちの「きよめの水」を「新しいぶどう酒」(使徒2:13)に変えることによって、イイススは彼の血によって証印される新しい契約を打ち立てつつあったのです。聖体機密の「よいぶどう酒」は、世の終わりに実現するハリストスとその教会との偉大なる婚宴(黙示録19:1-10)に連なることができるように、罪を赦し、私たちをきよめてくれます。
ニコデモへの説教
イオアンはイイススが三度過ぎ越し祭に赴いたことを伝えていますが、その最初の機会に、イイススはニコデモというファリサイ派の人物と対話しています。この対話の内容が、第四福音書に伝えられるハリストスの八つの説教の第一です。ニコデモはイエルサリムのイウデヤ人社会の指導者の一人でした(イオアン3:1)。夜になってイイススを訪問し(同僚たちから見とがめられるのを恐れてのこと)、イイススに尋ねました。「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」(イオアン3:2)。ニコデモが霊的な真実に渇いているのを見抜き、イイススは意味深い、しかし大変難解な教えを語りました。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(3:3)。ニコデモが人が「もう一度生まれる」とはどういうことなのだろうといぶかっていると(3:4)、イイススは次のように教えました。
イイススは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」
ニコデモは主の言葉に不意を打たれ「どうして、そんなことがあり得ましょうか」と応えるのが精一杯でした(3:9)。そしてハリストスは、まるでニコデモをもっと当惑させようとするかのように、あなたは自らの民族の伝承を知らないのかと叱って、「ちょうどモイセイが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」と言いました(3:10-16)。主のこれらの言葉に、第四福音書記者は付言して次のように言います。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。(3:16-18 参照3:19-21、35-36)
ニコデモはまちがいなく不意をつかれ、さらに主の「新しい誕生」、また「人の子」が「上げられる」という教えに驚倒したでしょう。この「霊的な新生」の教えは主が地上での生活を送っておられる間には、弟子たちにも理解されることはなかったでしょう。しかし主の復活と昇天、そして使徒たちと他の弟子たちの上に五旬節の朝起きた聖神降臨の後に、教会は少しずつハリストスがニコデモにお話しになったことの意味を理解し始めました。ニコデモをはじめとする当時のイウデヤ人たちに、イイススはアウラアム、イサアク、イアコフの血筋であることは神の国に入れられる条件ではないと言い続けました。ただ神の子への信仰を通じてのみ人は永遠の生命という賜物を受け取ることができます。そしてそのような信仰は、聖神の力を通じて神にもたらされた霊的な新生に浴してはじめて可能となります。洗礼の水と、聖神の予測できない働きを通じて人は「上から生まれ」、十字架につけられ、復活し、天に昇り、父の右に挙げられた人の子を、世の救い主として認めるに至ります。「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」(3:6)、すなわち天の王国の祝福をつぐのは肉のイズライリではなくむしろ霊のイズライリです。イウデヤ人であることは神の国を見るための保証にはなり得ません。同時に異邦人であるといっても神の国から排除されるのではありません。イズライリ人にとっても異邦人にとってもハリストスへの信仰と従順が神の国に入るための鍵です。
敬虔なイウデヤ人であり、熱心なファイリサイ人であったニコデモにとって、イイススの前述の教えはなかなか受け入れがたいものでした。彼は主の「人の子」が「上げられる」(すなわち、十字架、復活、昇天)という言葉に特に困惑させられたに違いありません。おそらくニコデモも、救いは血筋によるのではなく霊によるのであり、暗闇ではなく光の中への霊的な新生が神の国への入城に必要であることは喜んで承認したでしょう。しかし、メシヤが苦しみを受けて死ななければならないとは! イオアン福音書から判断するなら、ニコデモは混乱して何も言えなくなってしまいました。
ニコデモは最後にはハリストスの弟子となりました。そこに至った霊的な戦いがどのようなものであったか私たちは知ることはできませんが、彼が聖神の促しについに応えることができ、イイススを主と承認したことは確かです。(イオアン7:50-51、19:38-42参照)
イイススが語った水と聖神による洗礼は、ニコデモが理解していたのとは反対に、洗礼者イオアンが施していた洗礼とは異なる性質のものでした。洗礼者イオアン自身がハリストスによって開始される聖神による新しい洗礼を預言しました(イオアン1:33)。第四福音書は明らかにハリストスの弟子たちが行う洗礼と洗礼者イオアンの洗礼を区別しています(3:22-36)。五旬祭の日に教会がその活動を開始し、その後何十日かの間に、使徒たちの共同体はハリストスが「行って万民に施せ」と彼らに命じていた洗礼の意味を完全に理解し始めていました(イオアン3:22-23、マトフェイ28:18-20)。イイススが地上での伝道期間に確立した洗礼の儀式はたんに悔い改めを象徴するものではなく、ハリストスの救いの御言葉を通じて、また聖神の力を通じてこの世が与り得る「新しい生命」のしるしでした。
既に見たように、ハリストスご自身が洗礼者イオアンから洗礼を受けています。罪なきハリストスにおいて、世の罪は洗われました。人類の罪とご自身を一つにすることによって、ハリストスは「完全な悔い改め」となりました。信仰によって自らをハリストスと一つにすることにより、私たちはハリストスの「完全な悔い改め」に入っていくことができます。ハリストスが悔い改めの洗礼を受けたことは、ハリストスが死に沈められることの前奏でした。なぜなら死は人と世界が堕落したことの究極のしるしだからです。死と、死者の内からの復活によって、ハリストスは私たちを悪の専制から解きはなち、神の国で永遠の生命の喜びに与れるようにしてくださいました。かくして使徒の教会での洗礼によって、従来の洗礼の主要な要素であった「悔い改め」の要素は保たれつつ、乗り越えられました。キリスト教の洗礼はハリストスにあっての人の悔い改め、罪と死の腐敗からの解放、聖神の生命による新生のしるしです。すなわち水と聖神による洗礼です。そして聖神の賜物によって、ハリストスに忠実に従順に従う力を受けるのです。
〔解説・補論〕「罪と死の腐敗」からの解放についてご質問がありました。人は物質から造られています。神の息吹き・霊(プネウマ)によって「生きるもの」となりました。罪によって死が私たちの世界に入り、死はこの霊を肉体から切り離します。物質は霊による統合の力を失って土に還ります。これが人の罪と死がもたらした「腐敗」です。しかし、ハリストスの救いのわざによって、ハリストスを信じ、その御言葉に従い、その恵みへ完全に自らをゆだねるなら、すでにこの世にあってこの「腐敗からの解放」に現実に与ることができるようになりました。それを証しするのが聖人の腐敗しない肉体「不朽体」です。不朽体は洗礼の時に受け取った人間の再生を、私たちに確信させるために神が特別な聖人の肉体において啓示する目に見えるしるしです。しかし、聖人ならざる私たち自身の身体も、すでに死が滅ぼされ、洗礼によってハリストスの死への勝利に与っている限り腐敗しても意味が変えられています。罪と死に限界づけられた私たちの姿を端的にあらわしていた腐敗は、すでに死が「眠り」にすぎないように、実は新しい身体をいただくために一度物質世界に還元される「分解」にすぎないものとなりました。ニッサのグレゴリイは次のように言っています。
「人間は土器のように再び土へと分解されるのだが、それは、人が今受け取っている汚れから切り離されて、初めの姿に復活を通して再形成されるためである」(「教理大講話」8-3篠崎栄 訳 中世思想原典集成2)
教会の機密についての神学的理解が深まり、その外面的なかたちが整っていくにつれて、霊的な再生の働きが二つの密接に結びついた機密の中で表現されるようになっていきました。洗礼と傅膏です。正教会はこれら二つの機密を通じて人は「再び生まれる」ことができると教えます。
洗礼の水に沈んで、人はハリストスとともに死にます。そして、水からあがることによって、ハリストスの死からの復活がもたらした永遠の生命へ入っていきます。洗礼によって人は「新しい生命」へ生まれ変わります。
そして引き続き行われる傅膏機密は、人に「この生命を生きるための新しい力」*[23]を与えます。イイススは膏つけられた神、「聖神を注がれた者」*[24]です。イイススを通じて、教会そのものが五旬祭の日に、膏つけられ、聖神のあふれとして生まれました。傅膏機密で、人は聖膏をつけられ、聖神の賜物を受け、その賜物によってクリスチャンとしての人生を歩み始めます(しかし、それは決して押しつけられません。各人が自由な意志によってその賜物をすすんで受け入れるということです)。洗礼が「過ぎ越し」(主の十字架と復活の救い)に与ることであるのに対し、傅膏は聖神降臨の再現です。このペンテコステを通じて、人はハリストスの体、教会の一員(肢体)として聖神によって生まれかわります。「水と聖神から生まれ」、人は神の子となりイイスス・ハリストスの「神の子」性を分かち合い、至聖三者の永遠の生命に入場します。
しかしながら、正教会は洗礼と傅膏が自動的に各人の救いを達成するとは決して言いません。神の救いの恵みは教会の機密的な働きを通じて私たちに伝えられますが、神の恵みは人の自由意志を帳消しにはしません。洗礼を受け、傅膏されることは救いのための十分な条件ではありません。霊的な再生を現実化するためには、自由意志によって神の恵みに忠実かつ従順に応えなければなりません。至聖三者から差しだされた救いは私たちによって「受け取られ」なければなりません。救いが必要であることを深く認め、信仰を持って、罪と死の束縛から私たちを解放できる唯一の希望としてハリストスに向かわなければなりません。そしてその上に聖神を心に迎え入れなければなりません。聖神の力によってのみハリストスを主とする聖なる人生を生きられるからです。ハリストスというお方への、ほかでもない「私自身の(人格的な)」決然とした信仰によってのみ、また聖神の力を得て神に従順に従う生活によってのみ、洗礼と傅膏の機密で約束された救いへと完全に入ってゆけます。正教会は次のように言います。「再び生まれる」ためには、「イイスス・ハリストスと教会を各人が人格的な決断として選び取り」、「教会の信仰を自分自身のものとし」、「洗礼の時に告白した信仰によって日々を生き」、「ハリストスにあって成長し、洗礼の時に与えられた新たなるいのちという賜物を、自らの罪とこの世が覆い尽くしてしまうことを許してはならない」のです。「再び生まれた」クリスチャンであるということは、「神の御言葉に耳を傾け、ハリストスに従うということ」です*[25]。
また、使徒の教会は洗礼・傅膏と各人の信仰の深まりを決して単なる因果関係としてとらえてこなかったことは銘記しておかなければなりません。遅くとも二世紀から教会はクリスチャン家庭の子供たちに洗礼・傅膏機密を施し始めました。そして時と共に、ほとんどのクリスチャンは幼時に洗礼と傅膏を受け、長ずるに従ってキリスト教信仰を意識的に受容していくようになったのです。
〔解説・補論〕正教会では古代からの伝統を守り、洗礼後直ちに傅膏機密を施し、幼児であっても洗礼に引き続く聖体礼儀で領聖しますが、ローマ・カトリック教会では傅膏機密(堅信礼と呼びます)は主教が巡回する別の機会に行い、幼児の堅信礼・はじめての領聖(初聖体)も「物事をわきまえる年齢(7才頃)」(「カトリック要理」改訂版)に達してからとされます。
実際には、先ほどほのめかしたように、洗礼を受け傅膏されたクリスチャンの内の多くは真正なるクリスチャンへと成長してはゆきません。さらに一方、キリスト教の歴史の早い時期に無数の異教人たちが洗礼・傅膏を受ける以前に、まずハリストスへの信仰を己のものとしました。今日でさえ、たくさんの改宗者たちが彼らの信仰に基づき、洗礼と傅膏を受けています。したがってキリスト教の信仰は、洗礼・傅膏の以前であろうと以後であろうとに関わりなく引き出され得るのです。ある人の信仰は機密によって与えられた恵みの実現であろうし、他の人たちの信仰は、彼らを余すところなき教会の機密的生活へと導いてゆく聖神の贈り物なのです。聖神の働きは筋道立った法則的な公式によって決定されるものでは決してありません*[26]。なぜなら聖神は、風のようなものだからです。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」(イオアン3:8)。
サマリヤの女との対話
イオアン福音書4章1節〜42節はイイススのサマリヤ伝道を語ります。サマリヤ人はイウデヤ地方の北側の地帯に住み、イイススの時代にはパレスティナの人口のなかで相当の割合を占めていました。彼らは紀元前8世紀から7世紀にかけてこの地を占領しイウデヤ人たちと雑婚したアッシリヤの植民者たちの子孫でした*[27]。それゆえ彼らは「純潔」なイウデヤ人たちから民族的にも宗教的にも「けがれ」たものと見なされていました。イイススのサマリヤ訪問は、当時のイウデヤ人、とりわけファリサイ派やサドカイ派といった指導的なグループへのきわめて重大な挑戦でした。
主のサマリヤ伝道の中心的出来事は、4章7節から38節に語られる、サマリヤの女と出会い彼女に親しく説教したことです。これもまた、当時のイウデヤ教からの決別と言っても過言ではありません。なぜなら、女性は神学的なことを語り合うにふさわしい相手だとは見なされていなかったからです。主の弟子たちでさえ、主が女と語り合っていたのを知ってとまどいまったほどです(イオアン4:27)。
イウデヤからサマリヤへと北に向かって旅する途中、イイススはサマリヤの井戸に立ち寄りました(4:1-6)。主が腰を下ろしていると、一人のサマリヤの女が「水を汲みに」やって来ました。イイススは彼女に語りかけ、驚くべきことに、自分が「永遠の生命の生ける水」、イズライリのメシヤであると宣言しました(4:7-26)。イイススのことばを悟るや、女は近くの町へ走って行き人々に井戸で起きたことを話しました(4:28-30)。この女の証言を聞いて、サマリヤの人たちはイイススに、しばらく彼らの所にとどまって欲しいと願いました。イイススは、弟子たちに神の救いの計画は「のろわれたサマリヤ人」も含めすべての人々に及ぶべきものであることを説いて聞かせ、(気の進まない弟子たちと共に)その地で二日間すごしたと、イオアンは報告しています(4:40)。その結果、多くのサマリヤ人たちが主を信じるに至り、イイススを「世の救主」であることを宣言しました(4:41-42)。イズライリのメシヤはひとりイウデヤばかりではなくすべての国々にとっての「不死の泉」であり解放者だったのです。
イウデヤの指導者たちとの議論
ハリストスの第二の奇跡的なしるしはガリレヤの町、カフェルナウムで行われました。その地の役人であり貴族でもあった人の若い息子が病気で瀕死の状態でした。イイススがイウデヤからカフェルナウムにやって来たことを聞いて、この人は主を探し出し、助けを求めました。そこで再びメシヤは、人々が「しるしと驚異」を必要としていることを認め、自らについての真理を啓示するために超自然的な力を顕しました。役人の息子は生命を脅かしていた病から奇跡的に癒されました(4:46-54)。
この奇跡に続いてイオアンは第三の奇跡を詳しく伝えます。そこでイイススは始めて神父の子としてのご自身をはっきりと表します。イエルサリムで行われたユダヤ教の祭りに際して、イイススは「三十八年間病気だった」足なえの男を癒しました(5:1-9)。この奇跡でイイススは足なえの男に言いました。「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」(5:8)。ちょうどその日が安息日に当たっていたので、イウデヤの権威者たちはイイススを非難しました。なぜなら、癒された男が床(人が横たわるための薄いマットレス)を持って運んだことが、律法学者たちの口伝律法によれば安息日に禁じられている「仕事」に当たると見なされたからです*[28]。
イウデヤ人(おそらくファリサイ派)の非難を受けたイイススは、この世への神のわざは律法学者たちの安息日規定に関わりなく行われ続けると切り返しました。「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」(5:17)。この言葉を聞いてイウデヤ人たちの怒りは倍加しました。「イイススが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたから」(5:18)でした。
イウデヤ人たちの反応を見てイイススは一つの説教を行い、ご自身の神父との関係、その関係がこの世の救いにどう関わるのかを説きました。主は自分は神の子であり、自分を通じて新しい生命がこの世界に始まったと宣言しました。そして「子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない」と彼らに警告し、いっぽう神の子を信じる者たちは永遠の生命の賜物を受けるだろうと言いました。世の終わりにおける全死者の復活に際しては「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう」と宣言しました(5:19-29)。
〔解説・補論〕この箇所は埋葬式で読まれます。
主の説教は前駆授洗イオアンについても触れています。彼は確かに至高の預言者であり、イイススが救世主であることを証しました(5:31-35)。しかし、天の父が「もっと力ある」証しを与えていました。「父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている」(5:36)。父が子へ与える証しはまた旧約聖書、イウデヤ人たちの聖典そのものにも見いだされます。しかし、イイススはファリサイ派の人たちが聖書の解釈にきわめて習熟していることを認める一方で、彼らを叱って言いました。「神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」(5:38-40 5:41-47も参照)。
第四福音書はここで、ハリストスがイウデヤ人たちの宗教的な考え方の枠を超越していることを再び強調しているのです。イイススはメシヤですが、イウデヤ人たちが期待していたようなメシヤではありませんでした。イイススが神の子であるということは、イウデヤ教徒のうちごくわずかな者たちしか克服できなかった「つまづきの石」でした。このごくわずかな者、最初の弟子たちと使徒たちが「新たなるイズライリ」、ハリストスの教会の核を形成する「残りの者」となったのです。
いのちのパン
ハリストスの教えがイウデヤ教を超越していることはイオアン伝第6章の主題です。ここでは、イイススはその民、新たなるイズライリを神の国に導いてゆく新たなるモイセイとして描かれます。この出来事はイオアンが伝える二回目の過ぎ越し祭りに際し、ガリレヤで起きました。主と弟子たちがこのパスハをイエルサリムではなくガリレヤで祝ったことには大きな意味があります。なぜなら、神殿ではなくハリストスそのお方が、神の救いの計画の中心だからです。
イオアン伝第6章はハリストスを旧約時代の「過ぎ越し」という預象の成就として、また教会の「聖体礼儀的生活(感謝の生活)」の源泉として示します。この章はまず、パスハの時、主に癒しと光照を求めてガリレヤにやってきたおびただしい人々の空腹を奇跡的に満たした出来事を伝えます。五つの大麦パンと二匹の魚が一人の「子ども」から差し出され、このわずかな食物でイイススは五千人以上の人々を満腹させました。食物は豊かに溢れ、集まっている人たちを満たした後も十二のかごにいっぱいの余りが出るほどでした。(イオアン6:1-13)
イイススのこのわざ(イオアンが報告する第四の奇跡的なしるし)を見て、人々はイイススを復伝律例(申命記)18章15節から19節に記されている「預言者」、その民を「なわめ」(束縛)からの解放に導く「新たなるモイセイ」と信じました(6:14)。彼らは実際にイイススをイズライリの王と宣言しようとさえしました。しかし、既に見たように、主がメシヤであるということは、当時のイウデヤ人たちが「メシヤ」に期待していたような軍事的、政治的な解放者であることではありませんでした。主は群衆を離れ「ただひとり、山に退き」ました(6:15)。
五千人を満腹させた出来事に続き、イオアンは第五の奇跡を報告しています。第四の奇跡はガリレヤ湖の東岸で行われました(イオアン6:1)。イイススは弟子たちにその地を去り、ご自身に先立ってカフェルナウムに行くよう命じました。その夜遅く弟子たちは、対岸のカフェルナウムに向かって舟を進ませているとき、イイススが「海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを」見ました。この水の上を歩く奇跡はイズライリの先人たちが紅海を渡った出来事の再現でした。この本の最初の方ですでにお話ししましたが、聖書では水は罪によって腐敗し、死が染み通った世界の象徴です*[29]。モイセイが古きイズライリを導いて自由に向かって海を渡ったように、ハリストス、新たなるモイセイも弟子たち「新たなるイズライリ」を導いて「彼らが行こうとしていた地に」向かって海を渡ったのです。ハリストスが水の上を歩んだのはこの世に対する主の勝利のしるしです。だからこそ、クリスチャンの洗礼は勝利への入場であり「水を経て」の救いです(ペトル前書3:20)。
イオアン伝第6章のクライマックスは、イイススの行った「いのちのパン」の説教です。ここでは主の死と復活の意義、そして神の民の中心的な祝祭「過ぎ越し祭り」がやがて聖体機密に置き換えられることが預言的に語られます。この説教は、イイススがこの世のさまざまな問題を奇跡的に一挙に解決してくれることを期待して、主についてきた大勢の人々に向けて語られました。イイススは人々の心をこの世のことから霊的なものへの関心に向けようと、「朽ちる食物のためではなく」、人の子が与える「永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」と呼び掛けました(6:22-27)。この説教はカフェルナウムの会堂で行われました。主はまず人々に、荒れ野を放浪し飢えに苦しんだ先祖たちが、神から与えられたマンナ「天からのパン」で養われていたことを思い起こさせました。そして今、ハリストス、新たなるモイセイを通じて、神はもう一度その民に「天からのパン」を与えます。このイイススご自身というパンを通じて、神は「世の命」を与えます(6:22-34)。「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない」(6:35)と主は人々に宣言します。このご自身を神から遣わされた者と主張するイイススの言葉を神への冒涜と考えた人々に対して、主は次のように言いました。
「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。…よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。(6:44-45、47-51)
主の言葉を聞いて多くの人々が当惑し、その意味を探りかねました。そこでイイススはもっとはっきりと言いました。
「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」(6:52-58)
主の弟子たちでさえハリストスの肉と血についてのこの教えを「ひどい言葉だ」とつぶやき、多くの者が「去っていって、もはやイイススと行動を共にしなかった」(6:60-66)とあります。しかし十二使徒たちは主のもとにとどまりました。ペートルは使徒たちを代表して言いました。「主よ、…永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(6:67-71)。
イイススの「いのちのパン」についての説教が聖体礼儀に与える意義は明らかでしょう。十字架上でハリストスの体は裂かれ、その血は流されました。この主の死と復活を通して私たちは罪と死の力から解放されました。しかしこの、人の子が「あげられる」ことによって私たちに与えられた救いを、現実のものとして受け取るためには、私たちは主の肉を食べその血を飲まなければなりません。最後の晩餐で主ご自身が定めた聖体機密がその食事の場です。十字架につけられ復活し天にあげられた主の体と血にそこで私たちは与ることができます。洗礼と同じく聖体機密においても、私たちは教会の機密的な働きによって、救いのための過ぎ越しに参与し、ハリストスとともに至聖三者の永遠の生命とその交わりの内に上げられます。なぜなら、私たちの主であり救主であるイイスス・ハリストスの尊い体と血に交わることは神との交わりであるからです。そして神との交わりは永遠の生命への鍵、私たちの完全な幸福の追求の完成です。
世の光
イオアン伝7章−9章は、イイススが仮庵の祭りに際してイエルサリムを訪問したときの出来事を伝えます。仮庵の祭りは秋の収穫祭でした。八日間続きイズライリの先祖たちがシナイの荒野をテント(仮庵)生活を続けながら放浪したことを記憶します。過ぎ越し祭り、五旬祭とともに仮庵の祭りは古代イウデヤ人の三大祝祭の一つです。イオアンによるとその祭りの間(おそらくこの祭りはイイススの最後の年のものでしょう)、イイススは神殿で教え人々の大きな関心を呼んでいました。ある人々は彼を狂人と考え、また他の人々はメシヤであると信じました。またサンヘドリンの議員たちを構成していたファリサイ派やサドカイ派の人々は、パレスティナにおける自らの宗教的政治的権威を脅かす者と感じました(7:1-52)。イイススの人気による自らの権威の凋落と、民衆がローマ当局に対してトラブルを起こすことを危惧したイウデヤの権威者たちは、あらゆる機会を捉えてイイススの権威を引き落とし、イイススが人々にモイセイの律法を破るように教えていることを証明しようと躍起になりました(8:2-11)。彼らはさらにイイススの逮捕をもたくらみましたが不成功に終わりました。
祭りのにぎわいの中、イウデヤの指導者たちは人々の前でイイススに論争を挑みましたが、同時にその裏には政治的な策動もうごめいていました。イイススが第四福音書におけるもう一つの大きな説教を行ったのはそのような雰囲気を背景にしてのことでした。仮庵の祭りを構成する重要な儀式は「神殿の照らし」でした。祭りの最初の夜、神殿の中央部で大きな金の燭台に火が灯されます。この灯りは荒野での放浪の時代、イズライリ人たちを導いた火の柱を象徴します。イイススの説教はこの灯りの存在を念頭に置いています。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(8:12)。主はこう言って、直接ご自身を神の臨在とその働きに結びつけました。この発言に対し当然にも激しい敵意を抱いたファイリサイ派の人たちに対し、主はご自身と神父との関係について語りました(8:13-20)。しかし彼らは、主が神をご自身の父と呼んだことに驚くばかりで、その真意を理解することはできませんでした(8:13-20)。しかし、なかには主のことばに心を動かされ、主を信じ始めた人たちも出ました。この人々に主は「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」と語りました。自尊心を傷つけられたファイサイ人たちが自分たちは「アウラアムの子孫」であり、イイススが語ったような「真理」もしくは「自由」などというものなど不要であると主張したのに対し、イイススは彼らはアウラアムの真の子孫ではないと挑みました。なぜならファイサイ人たちの父とアウラアムではなく、むしろ悪魔だからでした(8:33-47)! 主のこの告発に激怒したファイサイ人たちは、反対に主を「悪霊にとりつかれた者」と主張しました(8:48-52)。そして主が、死の呪いから人々を解放する力を天の父から受けていると発言するに及んで、反対者たちはついに仰天して(8:49-53)尋ねました。「あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」(8:53)。この質問にイイススは、アウラアムが待ち望んでいたメシヤであると言明し*[30]、さらに再度ご自身を神の子であるとされました。反対者たちのあざけりを受けて、主はこの仮庵の祭りの説教で最も衝撃的な言葉をついに発しました。「よくよくあなたがたに言っておく。アウラアムの生れる前から『わたしはいる(I am)』のである」(8:58)。当時のイウデヤ人たちにとって、イイススのこの言葉は直接に、明白に、まがうことなくイイススがご自身を神と等しいと宣言したことでした。なぜなら「わたしはいる」( I am)は燃える柴の中に顕れた神がモイセイにあきらかにした神の名前だったからです(出エギペト3:13-15)。イイススはこのように語って、ご自身が世の光でありいのちであること、そして同時に神父の
永遠の存在と働きとともにある「唯一者」であることを宣言したのです。イウデヤ人たちはこれを最も言語道断の冒涜であるとみなし、「石をとって、イイススに投げつけようと」しました。石打の死刑はモイセイの律法で定められた冒涜に対する罰でした。しかしイイススは彼らを離れ神殿を出て行きました(8:59)。
神殿での説教に引き続いて、イイススは生まれつきの盲人の目を開けました(9:1-12)。これは第四福音書の6番目の奇跡であり、まさにイイススが「世の光」であるという事実の「しるし」です。イオアンはこの奇跡と、その後の出来事をきわめて詳細に描いています。癒しは安息日に行われ、ファイサイ人たちの一層大きな怒りを引き起こしました(9:13-23)。しかし、目を開けられた男はイイススを預言者かつ「人の子」であると讃えました。ファリサイ人たちは彼に、自分たちと共にイイススを罪ありとし、民衆がイイススに抱く信頼感を傷つけるよう求めましたが、彼はそれを拒否しました。ファイリサイ人たちは彼を会堂から「追い出し」ました(9:24-34)。生まれつき盲人だった男は、会堂から追われた後、ハリストスの弟子になりました。イオアンは、イイススは彼の肉体の目を開けると同時に、心の目を開けたと告げています。彼は「人の子」が神であることを見ることができ、主を拝しました(9:35-38)。
最も大切なのはこの霊的な視力です。生まれつきの盲人の目が肉体的に癒されたことは、より深い癒しのたんなる「しるし」にすぎません。ハリストスに対して心を開き、彼を信じることによって、霊的に盲目だった私たちは真理を見るに至ります。しかし、「世の光」に照らされなくとも真理を見ることができ、見ていると考える者たち(たとえばファリサイ人)は、霊的な視力も、感覚も持っていません(9:39-41)。ハリストスの光のまばゆさはあるものにとっては照らしであり、他のものにとっては「めくらまし」となってしまいます。
よき羊飼い
イオアン伝第10章はイイススがイエルサリムで、イウデヤ人の指導者たちとのもう一つの出会いを経験したことを伝えています。この出会いは仮庵の祭りからほぼ三ヶ月後のことでした。イイススはここでもまた「宮きよめの祭り」(ハヌーカ)と呼ばれるイウデヤの祝祭のためにイエルサリムにあらわれました。この祭りは光の祭りとも呼ばれていたイウデヤの歴史を記念する小さな祭りの一つです。紀元前二世紀から行われ、イウダ・マッカウェイが紀元前164年にセレウコス朝を打ち破りイエルサリムをギリシャ勢力の支配から解放しイズライリの神に再びイエルサリムの神殿を献げたこと(セレウコス朝の王、アンティオコス・エピファネスは紀元前168年に神殿を汚しました。マッカウェイ前書1-4章参照)を記憶します。ハヌーカは十二月に行われる八日間の祭りで、神殿でも各家庭でも灯火をいくつも灯しました。この祭りは今でも世界中のイウデヤ人たちによって祝われています。ただ、神殿での灯火は、神殿そのものが紀元70年ローマ軍によって破壊されてしまったため、灯すことはできませんが。イオアン伝10章は世の光としてのイイススを再び強調するものですが、皮肉なことにイウデヤ教徒たちが神殿を再び神に献げたまさにそのことを祝う時に、イウデヤ人たちがハリストス「世の光」を拒絶してしまったことを思い起こさせます。
イエルサリムを訪れたときはいつものことでしたが、イイススはこの祭りに際しても、説教しています。名高い「よき羊飼い(牧者)」としてのイイススご自身についての説教です(イオアン10:1-18)。旧約聖書はしばしば神とメシヤを羊飼いとして、神の民を主が世話をする羊の群れとして語っています(詩編23:1-6、80:1、95:7、100:3、イサイヤ40:11)。また、パレスティナでは羊は食用としてではなくミルクと羊毛採取のために飼われていることも忘れてはなりません。羊飼いと羊の関係は親密で愛情のこもったものであり、羊飼いが世話をするそれぞれの羊に名前を付けて呼ぶことはふつうのことです。さらに、羊は彼らの羊飼いの声を聞き分け「見知らぬ人の声には決してこたえない」*[31]のです。そこでイイススはご自身を「羊の羊飼い」と主張し、再び自らをメシヤであるとし、その働きを神の働きに結びつけています(10:1-2)。羊飼いである主は、まことの神の民に対して名前で呼び掛け、羊の群れである神の民は主の声を聞き分け、主に従い、自分たちを取り囲むこの世の囲いから出てゆき、神の国の緑豊かな牧草地に連れ出されます(10:3-5)。主はまた、主の声を聞き分けない者たち(例えばファリサイ人たち)を神の牧群の一員ではないと婉曲に示唆します(10:6)。
いつものことながらファリサイ人たちは主の言うことを理解できませんでした。というより理解しようとしませんでした。そこで主はもっとはっきり言います。
「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。…わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。…わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである」(10:7-10)。
ご自身を「門」とよぶことで、イイススは「羊の羊飼い」であることを主張し続けます。なぜなら、パレスティナの牧草地では、羊飼いたちは夜になると羊の群れを集め壁で取り囲まれた囲いの中に入れます。そのような囲いには羊たちのための出入り口が一ヶ所開けてあります。羊飼いたちは夜の間、羊たちがさまよい出ないよう、その出入り口をふさぐように横たわって過ごすのです。「文字通り羊飼いは門であり、彼を通じてしか羊の囲いに入ることはできない」*[32]のです。彼を通じてのみ私たちは天の父の牧草地に、自由に安全に出入りすることができます。
続いてイイススは「よい羊飼は、羊のために命を捨てる」と宣言します。主はご自身の死が近ずき、その死によって主の民は神父と和解されるだろうと予告しているのです。ご自身と父の愛による一致を強調して、主はご自身の生命をあがないのためにすすんで差しだし、そして父は死からのよみがえりの力をご自身に与えるであろうと告げました。また、主の死はイズライリの「残りの者」のみならず信仰と従順を以てご自身に従うあらゆる異邦人たちにも救いの力を持つことも明言されました。よい羊飼いの羊の群れには、忠実なイズライリの羊たちと共に他の国々から集まられた他の羊たち(「この囲いにいない他の羊」)も含まれます(10:11-18)。
よい羊飼いの説教のクライマックスは、ファイサイ人たちが敵意から発した非難と疑問への答えとして語られます。ファイサイ派と他のイウデヤ教の指導者たちは、イイススがメシヤなのかそうでないのかをはっきりと告げることを求めました(10:19-24)。主は彼らにご自身がメシヤであることを示し、三ヶ月前に仮庵の祭りに際して発した大胆な宣言を繰り返します。「わたしと父はひとつである」(10:30)。その言葉を神への冒涜であると主を告発する(10:31-33)人々に、主はご自身が神の子であるということについて、聖書に基づき、心を開いて調べてみるように訴えました(10:34-38)。
「もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(10:37-38)。
しかし彼らは耳を傾けようとはせず、反対に主をとらえようとしました。しかし今度もうまくゆきませんでした(10:39)。
復活といのち
イオアン福音書の11章には有名な「ラザリの復活」の出来事が語られています。ヴィファニヤのラザリと二人の姉妹、マルファとマリヤは主のよき友人であり同時に忠実な弟子でした。ラザリが病に倒れたとき、マルファとマリヤはイイススに報せを送りました(11:1-3)。主はラザリの死が避けられないものであること、しかしその死によって主ご自身の神としての栄光が顕されることを知っていました(11:4)。
イイススと弟子たちがヴィファニヤに到着する前に(11:5-6)ラザリは既に死んでおり、「四日間も墓の中に置かれて」いました(11:17)。マルファは家を出て、近づいてくるイイススに言いました。「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」(11:21-22)。イイススは答えました。「あなたの兄弟はよみがえるであろう。…わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(11:23-26)。これを聞いたマルファは、彼女がイイススを主と信じていることをもう一度確言するとともに、イイススをメシヤであり神の子であると宣言しました(11:27)。
〔解説・補論〕ラザリが四日間をへて復活されたことは、ラザリの復活がたんなる蘇生ではなく真正なる死からのよみがえりであったことを証しています。イイススは人々が決してラザリのよみがえりを仮死状態からの蘇生であると解釈しないようにわざと出発を遅らせていたのです。ハリストスご自身が三日目に復活し、復活の真正性が疑うべくもないことを示しているのですから、四日間は実に念の入った配慮です。
マリヤもイイススが到着したことを聞き、主にあいさつをしに行きました(11:28-32)。イイススと弟子たちは、マリヤとマルファそしてその家族の友人たちと共に入り口を岩でふさいであるラザリの墓に行きました(11:33-38)。主は入り口から岩を取りのぞくように命じました(11:39-40)。天の父に感謝の祈りを捧げると、イイススは「大声で『ラザロよ、出てきなさい』と呼ばわり」(11:41-43)ました。イオアンは次のようにこの奇跡を証言しています。「すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イイススは人々に言われた、『彼をほどいてやって、帰らせなさい』」(11:44)。
第四福音書はハリストスが神であることを示す七つの奇跡を伝えますが、この驚くべき出来事がその最後です。この奇跡はハリストスの死そのものへの支配力のしるしであり、従って主ご自身の輝かしい復活によって可能となった「すべての死者の復活」を確証するものでした。しかし厳密に言えば、ラザリはよみがえったのであり「死から復活」したのではありませんでした。なぜなら復活した者はもう死を味わうことはありません。伝承によればラザリはハリストスによって奇跡的によみがえらされてから数年後に肉体において死にました
。ラザリの復活はハリストスご自身の真の復活の「影」または「写し」、罪と死の力への主の勝利を表す最終的で究極的な「しるし」でした*[33]。
〔解説・補論〕 ラザリが「手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた」ことは、布や顔覆いが象徴する「死」をラザリが相変わらずさだめとして負っていることを表しています。一方ハリストスは身体にまかれていた亜麻布を空っぽの墓に脱ぎ捨てておられました。ハリストスの復活の身体は、全く新しい、死を克服した身体であったわけです。
ラザリのよみがえりは、イイススに敵対するイウデヤの宗教的指導者たちにとって、イイススが行ったしるしのなかで最も衝撃と脅威を与えるものでした。この「イイスス問題」について話し合うためにサンヘドリン(イウデヤの議会)の緊急会議が招集されました(11:45-53)。一人の議員が次のように言いました。「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」(11:47-48)。大祭司カイアファは他の議員たちに宣告しました。「あなたがたは、何もわかっていないし、ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」(11:49-50)。イオアンは、この大祭司の言葉は期せずして、イイススの死はイズライリと世界中に散らばっている神の民すべてのためであることを言い当てていたと指摘します(11:51-52)。もちろんカイヤファは自分の言葉のこのような預言的な意味を完全には理解していませんでした。しかし彼の指導によってイイススを逮捕し処刑しようという陰謀がますます真剣で実際的なものになってゆきました(11:53)。
ラザリの復活の出来事をのべることを以て、使徒イオアンは「神の子」ハリストスの肖像を完成させました。すなわち、藉身した御言葉、メシヤ、神の子、いのちのパン、世の光、そしてよき羊飼いとしてのハリストスです。ヴィファニヤでのエピソードは我らの主の地上での働きがその絶頂を極め、ハリストスがまことに復活でありいのちであるという深く世界を揺るがす真実を露わに示す出来事へと導く「前奏曲」だったのです。
イイスス・ハリストスの受難と復活 イオアン12-21章
イオアン福音書が伝える三度目の過ぎ越し祭は、主の地上の生涯での最後のイエルサレム訪問の舞台となりました。エスカレートするばかりの主とイウデヤの権威者たちとの葛藤、またラザリを甦らせた主の奇跡は、町中に興奮を巻き起こしていました。群衆は主の教えを聞きたいと願い、主が祭りにやってきたのはご自身の奇跡的な力を証すためにちがいないと期待していました。またサンヘドリンの指導者たちも、「イイススを捕らえる」ため、イイススが町に現れるのを待っていました(イオアン11:55-57)。
ラザリを甦らせた後、イイススはイエルサリムからほど近いヴィファニヤを去り、聖都の北方10マイルほどのエフライムに行ってそこにとどまっておられました(11:54)。過ぎ越し祭が近づくと、主はヴィファニヤに戻り、枝の日曜の前日(「ラザリの土曜」)、ラザリ、マリヤ、マルファたち兄姉妹の家で過ごしました。イオアンによればこの時、ヴィファニヤのマリヤによって主に油が注がれました。ハリストスにとって、これは近づく死と埋葬の象徴としての心のこもったもてなしでした(12:1-11)。翌日、主はイエルサリムに入り、その救いのわざの最終局面を開始しました。
〔解説・補論〕「イエス時代の日常生活」(ダニエル・ロプス著 山本書店)は当時の埋葬の習慣について次のように伝えています。
人が死ぬと直ちに目を閉じさせ――創世記がすでにそのことを語っている(創世記46:4)――愛情をもって口づけし(創50:1)、身体を洗い(使徒9:37)、香料や香水でこすった。…これはエジプト風のいわゆる屍体保存のためでなく、祝祭の食事の時客の頭に香油を注いだように生きている人に与えるのと同じ一種の敬意であった。ナルドの香油はもっともふつうのこうりょうであった。マグダラのマリヤはこの香油をイエスに注いだ。この行為をイエスは「この女は埋葬の用意をしてくれた」と解釈した。
主のイエルサリム入城についてのイオアンの報告は、マトフェイ21:1-11、マルコ11:1-11、ルカ12:28-44と大筋はほとんどかわりませんが、イオアンは主が凱旋者の姿で入城した後の行動を、共観福音書の記者たちのように日を追って詳細に報告していません。その代わりに、ハリストスが語った、ご自身の差し迫った死と復活、主の「栄化」についての説教を報告します(イオアン12:20-50)。
「人の子が栄光を受ける時がきた。…今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」(イオアン12:23、31-32)。
主の死と復活によって、すべての人類が永遠のいのちに再生すると、主は宣言しました。しかし、そのために私たちは死にいたるまでハリストスに付き従う覚悟を定めなければなりません(12:24-26)。
このイオアン12:20-50に伝えられる説教をもって、イイススの公衆に向かっての宣教と教えは終わりを告げます。これからは、主はご自身と使徒たちを彼の最後の「栄化」、主の裁判、死、復活へ向けて備えることに集中します。
最後の晩餐
イオアンは最後の晩餐について彼の福音書の13-17章で伝えています。ここでは直接的に主が聖体機密を制定されたことは述べられていません。イオアンが福音書を執筆した時代(85-90)には、共観福音書が伝える機密制定の出来事は信徒たちにすでに充分知悉されていたからです。そこでイオアンの記述は共観福音書記者たちを補足するために、彼らが用いた伝承にはなかった出来事に集中しています。
イオアンは、最後の晩餐に際して、イイススが使徒たちの足を洗いぬぐったと伝えます(13:1-20)。この行動は、古代中近東では手厚いもてなしのかたちとして一般的でしたが、通常は奴隷や家僕たちが行いました。主が自分たちの足下に奴隷のように身をかがめたとき使徒たちが受けた衝撃が、どれほど大きかったかは想像に難くありません。ペートルが主を押しとどめるとイイススは「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と答えました(イオアン13:6-8)。足洗の後、主は使徒たちにこの行為はご自身が使徒たちをそのために送り出そうとしている「務め」の象徴であることを説明しました。主ご自身が神と人類の僕であったように、彼らもまた神と彼ら互いのために奉仕しなければなりません。ハリストスが救いを人類にもたらしたように、使徒(「遣わされた者」)たちもまたこの救いをすべての国々に届けなければなりませんでした(13:12-20)。使徒の教会の将来の伝道に関して、主は「わたしがつかわす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをつかわされたかたを、受けいれるのである」(13:20)と宣言しました。
ペートルに「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」と言ったとき、イイススは疑いなくご自身の死と復活の持つ「洗い」の力をほのめかしたに違いありません。初代教会にとって、イオアンが伝えているこの言葉と足洗いは機密的な意味合いを帯びていました。既に見たように、洗礼と聖体機密はそれによって私たちがハリストスの死と復活に入ってゆき、よみがえりの主と交わり、「全身(すなわち身体的にも霊的にも)がきれい」(13:10)にされる機密です。教会の師父たちは最後の晩餐での足洗いを、洗礼と聖体の機密の中でこの世に存在し続ける、ハリストスの「上げられること」を示すしるしと理解しました。
足洗いに続いて、イイススは一人の使徒が自分を裏切ることになると予言し、それはイスカリオテのイウダであるとしました。他の使徒たちはイイススがお話しになったことを理解せず、またそれがイウダを指していることも悟りませんでした。イイススはイウダに、使徒たちの集まりから出て行き、後はためらいなくその裏切り行為を成就せよと命じました。(イオアン13:21-30)
イウダが去ると、イイススは彼の地上での生涯における最後の教えを話し始められました。これらの教えはイオアン13:31-16:33にまとめられています。第四福音書のこの部分は、イオアンの伝える主要な説教の最後となるため、しばしば「告別の説教」とよばれます。
イイススは説教を、もう一度ご自身の来るべき「栄化」について語ることで始めました。父と子に共通の光栄はイイススの死によって顕されなければなりませんでした。その死によって、神はご自身の闇に対する力の勝利を示し、神の人類と世界への愛が確証されなければならなかったからです。ハリストスの死からの復活は神の光栄と、力と、愛の確かなしるしとなるべきものでした。
ハリストスの死と復活と昇天はまた、一面では使徒たちと他の弟子たちのもとから主が去ってゆくことです。なぜなら、主が行こうとしている所には、彼らは「来ることができない」からです(13:33)。しかし、この分離は永久的なものではありませんでした。死からの復活、栄光に満ちた昇天、父の右への着座を通じて、イイススは信じる者すべてが神の国に入ることができるようにしたのです。そして、主は世の終わりに再びこの世に帰って来て、ご自身の民を完全な救いに導いてゆきます(14:1-4)。イイススは「道であり、真理であり、いのち」です。主は救いへいたる「道」です。主とその救いのわざの中に私たちは神と世界と私たち自身についての「真理」を見いだします。この真理を受け入れ、この道を行くことによって、私たちは天の王国の「いのち」を受けることができます(14:6)。なぜならハリストスにあって、私たちは神と和解されるからです。使徒たちに向かって主は次のように語りました。「わたしを見た者は、父を見たのである。…わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい」(14:9、11)。このように、父と子の間に完全な一致があるからこそ、私たちは子を信じ従うことを通じて、神との交わりに入ることができるのです。私たちの神子ハリストスとの関係は、私たちの神父との関係を決定づけます。ハリストスを拒絶するなら、父を見いだすことはないでしょう。しかし、ハリストスを信じ、ハリストスに従うなら、私たち自身が「神の子たち」となるでしょう(16:16、20-28)。
旧約聖書では、神による世界の救済は原則的に(例外はありますが)、未来形で語られます。神の国は世の終わりに打ち立てられるであろう。この旧約聖書の「未来終末論」に対して、新約聖書は神の国はすでに到来し、またハリストスの人格とそのわざの内に、またそれらを通じて到来するであろう、と教えます。新約聖書には「未来終末論」と同時に「現在終末論」があるのです。言い換えれば、新約聖書の終末論は「開始された終末」論なのです。そこではハリストスのはたらきの過去、現在、未来のそれぞれの次元が同時に展望されています*[34]。その生と死と復活そして昇天を通じてイイススは私たちを悪の力から救いました。そして、主の再臨によって一切の被造物の神との和解が完全かつ最終的に成し遂げられます。ハリストスにあって私たちは救われました、そして救われつつあり、やがて救われます。神の国は到来しました。到来しつつあり、やがて到来するでしょう。常に働き続ける神の救いの経綸(訳注:もともと家計という意味のギリシャ語で、いわば「やりくり」)の中に過去、現在、未来が有機的に結びつけられているのです。
〔解説・補論〕聖体礼儀が表しているのも同じ終末論です。聖体礼儀は主が再臨され打ち立てられる神の国における神の民の終末的な宴です。未来にあるはずの喜びの宴に「この世の時間」のなかで今私たちはいわば「先取り」として与ります。同時に聖体礼儀は二千年前の「十字架と復活」という主の救いのわざを記憶します。すでにそこで救いは成就され、終末が開始されたからです。救いはすでに達成され、今達成されつつあり、達成が約束されています。終末はすでに到来し、今到来しつつあり、到来が約束されています。
「告別の説教」はいくつかの箇所で聖神の働きについて教えます。イイススは弟子たちに彼等がまもなく聖神の賜物を受け、聖神は彼等の内にとどまり、ハリストスが地上にある間に弟子たちに告げた救いについての真理を理解させるであろうと語りました(14:15-17、25-26)。しかし、その前にハリストスは死に、復活し、昇天しなければなりませんでした。イイススは世を去って後、「父から出る」聖三者の第三の位格「聖神」を世に送ると約束します。そして、聖神は使徒たちとハリストスの教会の全信徒の内に生き、彼等を生かすと言うのでした(15:26-27、聖使徒行実第2章)。
イイススは聖神を「弁護者(助け主、慰むる者、パラクレトス)」、また「真実の神」と呼びました(イオアン14:15-17、26;15:26-27;16:7、13)。ハリストスがご自身の民の弁護者(助け主)であったように(イオアン1公書2:1)、聖神も教会を助け、勇気づけ、慰め、この世と「肉」と悪魔の猛襲から守ります。使徒たちの心の内と使徒の教会の生活の内に生き、真実の神はハリストスに従う者たちに「いっさいのことを」教え、イイススが地上におられたときに教えたことを思い起こさせます(14:26-27)。ハリストスが弟子たちの霊的な準備が不十分だったために教えなかった真実を、聖神はあらためて明かします(16:12-13)。ある注解者がこう言っています。「神の啓示は少しずつ展開していくものである。ハリストスは弟子たちが受け入れ理解する用意ができていることに限りお示しになった。主は弟子たちに昇天の後、聖神降臨の時に示されるさらなる啓示を待てと言い、その啓示を神の言葉として受け入れよと教えた」*[35]。
「告別説教」はさらに、聖神はハリストスによってもたらされた救いを有効に証すための力を教会に増し加えるだろうと、続きます(15:26-27)。聖神の働きによって教会はハリストスの救いの業を引き継いでゆき、主ご自身がなさったよりも「もっと大きいわざ」でさえ行うでしょう(14:12-14)。これは教会の救いの働きがハリストスの救いよりすぐれているということを意味するのではなく、ハリストスの内にあって始めて可能となる教会の働きを通じて、神の救いは世界全体に及ぶということです。
ハリストスは聖神の働きについて、主ご自身がこの世を去った後の時代に弟子たち(すなわち教会)を準備させるために語りました。ハリストスは世を去っても教会をこの世にうち捨てません(14:18)。教会は聖神の力と臨在によって、父からハリストスにあって与えられる平安を受け取ります(14:27)。聖神を通じて、ハリストスに従う者たちは、子は父の内にあり、教会は子の内にあり、子は教会の内にあることを知るにいたります(14:19-20)。聖神は、ハリストスへの愛と従順のために力と励ましを教会に与えます(14:21)。そして聖神の内に、父と子は教会に彼らの家を造ります(14:22-23)。かくして聖神の働きによってハリストスは教会の内に光栄を顕し、教会は至聖三者との結合の内に生きます(16:14-15)。
イオアンの福音は、弟子たちはハリストスが最後の晩餐の席で語ったことの意味を理解しなかったと伝えます。彼らは主をイズライリのメシヤであると信じていました。そして主が神からきたものであることを承認するように準備されました。しかし、彼らは主がご自身が世を去らねばならないことを語り、聖神の降臨を約束されたその時には、主の言うことを理解できませんでした(14:5、8-9、22;16:17-18)。この無理解があったからこそ、使徒たちは主が逮捕されたとき主を見捨てたのです(16:31-32)。主のために喜んで死にますと宣言したペートルでさえ、一夜に三度「主を知らない」と否定したのです(13:36-38)。
これらをすべて予知していてなお、ハリストスは使徒たちに、彼らが救いの福音の力強い証人となるだろうと約束しました。主の復活の後、とりわけ聖神降臨の後、使徒たちはハリストスの救いの真の本質を理解するでしょう。彼らはこの世から拒まれ、この世から厳しい迫害を受けるでしょう(15:18-25、16:1-4)。しかし聖神を通じて、彼らは「きよめられ」、どのように生活し、ハリストスが彼らを愛したように互いが愛し合うためにはどのようであるべきかを学び、神の救いの使信を地の果てまでもたらすでしょう(15:1-17、34-35、14:12-14)。使徒たちの内に働き、また彼らを通じて、ハリストスと聖神の力は新約の教会を打ち建て「世に勝ち」ます。そして教会は徐々に神の国に近づいていきます。
「告別説教」の最後で、イイススは「目を天にあげて」父に祈りました。この「大祭司の祈り」と呼ばれる祈りは、三つの部分に分けられます。第一の部分でイイススは、死と復活によるご自身の差し迫った「栄化」によって弟子たちが神と永遠のいのちを知ることができますように、そして死と復活の彼方で、天の光栄のうちで父と再び一つになれるように祈ります(17:1-5)。
第二の部分でイイススは、使徒たちが愛の一致を保つように、艱難のうちにあってさえも喜びに溢れているように、悪魔の計画によく抵抗できるように、この世への福音伝道の働きを彼らが全うできるように祈ります。
わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。…聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。…今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。…真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします(17:6-19)。
第三の部分でイイススは教会全体のために、教会が未来永劫、愛と一致の内に生きるように祈ります。
わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。…わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい(17:20-26)。
ハリストスの裁判と死
最後の晩餐(聖週間の木曜の夜)を終えてイイススと使徒たちは「ケデロン谷の向こう」の園(ゲフシマニヤ 18:1)へ行きました。そこでイイススは、サンヘドリンが派遣し、裏切り者のイスカリオトのイウダに手引きされた神殿警備隊の者たちに捕らえられました(18:2-11)。
イオアンはサンヘドリンでのハリストス審問の様子について詳しい報告をしていません。彼は、イイススが「自分を神の子とした」ことによって冒涜の罪に定められたことを言うのみです(19:7)。主がサンヘドリンで尋問されている間(18:12-14、19-24)、使徒ペートルは自分がイイススの弟子でも友でもないと、躍起になって言い張っていました(18:15-18、25-27)。他の弟子たちもほとんどが、ハリストスが予告したように彼らの主を捨てて逃げ去ってしまいました。
サンヘドリンはモイセイの律法が定めるとおり、冒涜者イイススを死に定めました。すでに述べたように、イウデヤ人たちには犯罪者の処刑を行うことが許されていませんでした。判決文はイウデヤを統治するローマの総督ポンティ・ピラトの承認を受けなければなりませんでした。彼が承認してはじめてサンヘドリンの判決は有効となり、ローマ兵によって処刑が行われたのです。かくて、大祭司カイヤファ(カヤパ)はイイススを総督の官邸ににつれていくように命じました。ピラトの前でサンヘドリンの指導者たちはイイススを、冒涜者であるばかりではなく政治的な陰謀を企てた者として告発しました(18:33-38、19:7)。
共観福音書同様、イオアンはローマの権威者たちがイイススに何の罪も認めなかったことを報告しています(18:38)。ピラトはさまざまな手をつくしてイイススを釈放しようとしました(18:38-40、19:1-11)が、イウデヤの指導者たちはそれに猛烈に抵抗し、総督に向かってこう叫びました。「もしこの人を許したなら、あなたはケサリ(カイザル)の味方ではありません。自分を王とするものはすべて、ケサリにそむく者です」(19:12)。ケサリかイイススかという選択の前に立たされ、ピラトは言うまでもなく彼の皇帝(ティベイウス帝、在位14-37)を選びました。イウデヤ人たちも「ケサリのほかに王はいません」(19:15)と言い切りました。ここに至り、ピラトはサンヘドリンの決定を承認し、イイススの処刑を命じました(19:13-16)。
イオアン福音書は主の十字架を19:17-37で伝えます。イオアンによればイイススは「ほかの二人の者」とともに十字架にかけられました。ピラトはイウデヤ人の権威者たちの反対を無視して、ハリストスの十字架にエウレイ語、ラテン語、ギリシャ語で「イウデヤ人の王、ナザレトのイイスス」と記した札を打ち付けました(19:17-22)。ピラトの兵たちは主の着ていた上着をわけ、下着はくじで取りました。この彼らの行動は詩編22:18のメシア預言の成就であるとイオアンは指摘します。「彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする」(19:23-25参照)。
イイススの母と他の弟子たちは十字架のかたわらに立っていました。この弟子たちの一人が「最愛の弟子」、聖伝が伝えるところでは使徒イオアン自身でした。「イイススは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、『婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です』。それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」(イオアン19:25-27)。第四福音書の著者は「そのとき以来、この弟子はイイススの母を自分の家に引きとった」(19:27)と告げています。「神の母」、――「女」新たなるエヴァ――はこの時、教会と言いかえることもできる「最愛の弟子」の母となりました。そして、教会=最愛の弟子はこの聖なる母を自分自身の家に入れたのです*[36]。カナの婚礼の時、マリヤは友の願いを主に取り次ぎました。いまや彼女は神の民全体のための取り次ぎをする者(「転達者」)となりました。
ご自身の母と、最愛の弟子にお言葉をかけた後、「イイススは今や万事が終ったことを知って、『わたしは、かわく』と言われた。それは、聖書(詩編69:21)が全うされるためであった」。ローマ兵が酢の入ったブドウ酒を主に与えました。「イイススはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終った』と言われ、首をたれて息をひきとられた」(19:28-30)。イオアンは更に続けます。安息日(その日の夕刻から始まる)が迫っていたため、「イウデヤ人たちは、…ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした」(19:31)。ローマ兵たちはハリストスと一緒に十字架にかけられた二人の者の足を折りましたが、「彼らがイイススのところにきた時、イイススはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった」(19:33)。一人の兵士がやりで主の脇を刺すと「すぐ血と水とが流れ出」ました(19:34)。このようにメシヤについての旧約の預言者たちの預言が成就しました。ハリストスの骨は折られることなく(出エギペト12:46、詩編34:20)、やりによって「刺し貫かれ」ました(ゼカリヤ12:10)。
〔解説・補論〕聖体礼儀の奉献礼儀で司祭は「こひつじ」として取り出された聖パンの右脇を聖矛で刺し「一卒ほこをもってその脇を刺す、たちまち血と水と出でたり、」とこの出来事を記憶します。
ひそかに主に私淑していたサンヘドリンの二人の議員、アリマフェアのイオシフとニコデモが、主の遺体を埋葬のために十字架から取り下ろすことをピラトに願い出て、許されました。「彼らは、イイススの死体を取りおろし、イウデヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻」きました(19:40)。イオシフとニコデモ(そしておそらく他の何人かの人たち)は近くの墓に遺体を埋葬し、大きな岩で墓の入り口をふさぎました(19:38-42、20:1)。ハリストスの弟子たちにとって、この埋葬は主が悪の力に打ち負かされた決定的なしるしとして受けとめられたでしょう。ハリストスによる救いへの希望は、疑いなくこの絶望によって打ち砕かれたにちがいありません。
ハリストスの復活
第四福音書20-21章で、イオアンはハリストスの復活について証言しています。そしてここでもイオアンは共観福音書が報告しなかった出来事を補足します。イオアンはマグダリナのマリヤが主の死後最初の日曜日の朝早く、主の墓に行ったことを報告しています。福音記者イオアンは他の携香女たちのことについては触れていませんが、決して彼女らがその場にいた可能性を否定しているのではありません。イオアン20:1-18はマグダリナのマリヤの視点から書かれており、おそらく彼女がそこで述べられていることのほとんどを報告したと思われます。墓の入り口からすでに石は取りのぞかれ、墓が空っぽであることを見いだして、マリヤは走って行ってペートルと「最愛の弟子」に告げました。「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」(20:1-2)。ペートルと最愛の弟子は墓に走ってゆき、そこが空であることを確認し、「ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行」きました(20:3-10)*[37]。マグダリナのマリヤと同様、彼ら二人もおそらくローマ人かイウデヤ人の指導者たちが主の遺体をどこかへ持って行ってしまったと考えたでしょう(20:9)。
空の墓の発見に続いて、イオアンは復活したハリストスが四度顕現したことを報告しています。最初は、ペートルと最愛の弟子が帰ってしまった後、墓の前にたたずんでいたマグダリナのマリヤ(と他の携香女たち?)への顕現です。マリヤはこのハリストスの出現を弟子たちに告げてこう言いました。「わたしは主に会った」(20:11-18)。
イオアンが報告するよみがえった主の第二の顕現は復活の日の夜のことでした。イイススはイエルサリムにいた弟子たちの所に現れ、彼らに釘あとのある手と刺された脇腹を示し、ご自身のわざを受け継いで行えと命じました。(20:19-23)
「『安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす』。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖神を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。(20:21-23)
この主の言葉は、神品機密と痛悔機密の聖書的な根拠とされてきたものです。主がこのように使徒たちを成聖し力づけ、さらにこの使徒たちが彼らの使徒的な働きの継続のために他の人々を叙聖し、ハリストスご自身の祭司性は歴史の中を歩む教会の主教や司祭によって教会に受け継がれていくのです。また次のことは注意を要します。すなわち、ここでの使徒たちへの聖神の授与は、五旬節に教会にもたらされた聖神降臨(使徒行実2章)とは異なるものだということです*[38]。その違いは、ここで与えられたのは(ごくわずかなクリスチャンのみが召命される)「使徒的な司祭性」であり、五旬節にもたらされたのはクリスチャンであるならば信徒すべてが分かち合う「司祭性」であるということです。
〔解説・補論〕司祭は神と人を、また神とこの世を橋渡しするものです。そのような意味で言えば、司祭は大祭司ハリストス以外にはあり得ません。主教や司祭という聖職者が担う司祭性は、教会がこの唯一の司祭ハリストスに率いられていることの顕れともいえます。だから司祭たちは復活のハリストス・神の光栄をかたどるきらびやかな祭服に身を包みます。また男性が務め、ひげを生やすのも、ハリストスが教会を率いていることを私たちがまちがいなく体験できるようにという意味です。一方、ハリストスという大祭司の神と人、神とこの世を仲介するという「司祭性」が現実に働くのが、聖神を受けた教会のメンバーすべての日々の生活そのものです。職場で、家庭で、学校で、またある時は路傍で、さらに艱難の中で楽しみの中で、悲しみの中で喜びの中で、苦痛の中で愉悦の中で、どんな場所でもどんな時にでもクリスチャンは神の恵みを体現し、また人々を神の恵みに招く司祭であることを忘れてはなりません。
フォマは復活の夜、主が他の使徒たちのもとに現れたとき、そこに居合わせませんでした。彼は、そこで起きたと聞かされたことを決して信じませんでした(イオアン20:24-25)。復活の八日後、主は再びフォマも含めた使徒たちのもとに現れました。その時、「疑い深いフォマ」とあだ名されることになった聖フォマは、否応なく疑いを捨てなければなりませんでした。そして、盲目の男が悟ったハリストスの神性(9:1-41)は、今まさにこの懐疑家によって「わが主よ、わが神よ」(20:28)と告白されたのです。しかし、イイススは「目で見ること」に固執したフォマをたしなめ、直接目に見える証拠なしに信じることになる人々を讃えました。しかしながら、伝承によれば、聖フォマもまたハリストスによって成聖されて使徒的な司祭性を与えられ、福音のための献身的で実り多き働き手となったことを付け加えておくべきでしょう。実際、イオアンはよみがえったハリストスの第三の出現は、特にフォマを仲間に加え使徒たちの交わりを完全なものにすることにあったと、暗示しています(20:26-29)。
復活の主の第4の出現については21章に述べられています。イイススは七人の使徒たちがガリレヤ湖で漁をしているときに現れました(21:1-14)。この顕現のハイライトは主と弟子のペートルの間に交わされた対話です(21:15-19)。ここでは、ペートルは彼の主への愛が他の使徒たちより優っていると誇ってはいません。ペートルがハリストスの裁判の夜、主を三回知らないと否定した出来事は、ここで、ペートルの主への愛を三回告白させることによって繰り返され、ペートルは赦されます。ペートルは主の牧群を世話することを委ねられます。これは、ハリストスがペートルを使徒たちの仲間として完全に復帰させることのしるしです。この節の結語は、その時以来ペートルは、死に至るまで忠実に、ゆるぎなく主に従い続けるであろうことを暗示しています(21:18-19)。
〔解説・補論〕この箇所を、ローマ・カトリック教会は、主がペートルに全使徒たちの中の首位権を与え、全教会を率いる権威を与えたと解釈し、ペートルの後継者としてのローマ教皇の特別な権威を正当化するために用いています。正教会では、そのような解釈は曲解であり、ここで述べられているように、ハリストスが躓き傷ついたペートルへの愛のために、共に牧群の世話を委ねられた「使徒たちの仲間」のひとりとして回復したことと、解釈します。
この最後の顕現記事をもって、イオアンの福音書は終わります。21章20−24節で「最愛の弟子」がこの福音書が伝える伝承の最も主要な担い手であることが明かされます。すでに見たように、第四福音書の執筆者が聖使徒イオアンである可能性は高いものがあります。その執筆者はまた、彼がこの福音書を書いた目的を、彼の証言によって私たちが「イイススは神の子ハリストスであると信じるためであり、また、そう信じて、イイススの名によって命を得るため」だったと告げています(20:30-31)。
イオアン福音書によれば、ナザレトのイイススはイズライリのメシヤ、藉身した神の子、「世の救主」(4:42)です。神の子は人となり「人の子」となりました。このイイススこそ、神と人とが出会う結合点です。信仰と従順によってハリストスと結合することは、神と結合することに他なりません。アレクサンドリアの聖大アファナシイ(†373)は「神ご自身のみことばが人となったのは、私たちが神(と一つ)になるためである」と言いました*[39]。ハリストスは「まことのぶどうの木」(15:1-17)です。そして、ハリストスにあって私たちは神と一つになり、至聖三者の神的な生命と結びつきます。
光照する者・ハリストスを通して、また主のしるしと教えの働きによって、私たちは神と人と世界についての真理を受け取ります。ハリストスは「世の光」であり「いのちの光」です(8:12)。主が下さる真理は、私たちを霊的な盲目性、罪と死、永遠の苦しみから解きはなちます(8:31-32、9:1-41)。ハリストスの真理は「救う力を持つ真理」にほかなりません。
ハリストスは私たちを牧場、神の国に連れてゆく「よき羊飼い」です(10:1-18)。主は救い、神との一致にいたる「門」です。主は「道」であり、「真理」であり、「いのち」です。すなわち救いと、真の光照による真理と、神のいのちへの道です(14:6)。ハリストスを道として、真理として、いのちとして受け取らない者は、神にいたることはあり得ません。人は罪の結果神から切り離されました。ハリストスはご自身の藉身と、真理と、その死、復活、昇天そして父の右への着座によって、神との和解と結合を人にもたらしました。ハリストスは死によって私たちの罪と死を自らのものとし、そして、それによって私たちを罪と死の呪いから解放しました。なぜなら、絶対の義であるお方が罪ありとされたとき、罪は根絶されたからです。完全ないのちである方が死んだとき、死は滅ぼされました。「死をもって死」が「滅ぼ」されました。死からよみがえったとき、ハリストスは人間性を墓から起こし、神の内に生きる「新たないのち」を一切の被造物にとっての現実的可能性としました。そして光栄ある昇天と神父の右への着座によって、ハリストスは「人間の神化」(テオシス)のための門を開きました。ハリストスにあって、またハリストスを通じて、私たちは「命を得」、「豊かに得」るのです(10:10)。
*[1] 正教会では宝座(祭壇)上に安置される福音経に関しては、イオアンの福音が第一番目である。正教会ではこの最も神学的かつ神の奥義をあかす書が最後ではなく、最初におかれるのである(訳者注、理由は定かではないがロシヤ系教会、日本教会で用いている福音経では最後です)。
*[2] William Barclay, The Gospel of John, 2nd ed.,
vol.1(Westminster Press, 1956) xxxi-xl; and Neil,403
*[6] Oscar Cullmann, The
New Testament: An Introduction to the General Reader(Westminster Press 1968)44