『誰でも知っておきたい正教会の諸習慣と常識』



    ≪ 痛 悔 機 密 ≫
     痛悔は人が司祭に対して自分の心からの事を告白
   し,罪の許しを基督者として受ける機密を言います。

 (問) 司祭が私たちの罪を許す事ができますか。
 (答) 罪を許す権は主基督のみに属します。彼まこの力
   を聖使徒達に与える事を望みました。聖使徒達は,ま
   た一方にこの権を主教や司祭に伝え,基督白身に依つ
   て定められたと同じように権をもつているのです。主
   基督は福音書の中で言つております。”我誠に爾等に
   語ぐ,凡そ爾等が地に縛る者は,天にも縛られ,爾等
   が地に釈く者は,天にも釈かれん”(マトフェイ18
   の18)。人として司祭は誰の罪をも許す事はできま
   せん。けれども,主の代理者としてあるいは彼の後継
   者として司祭は権をもち,告白されたこれらの罪を許
   す義務があります.許しは司祭からきませんが.主か
   ら来ます。基督者は神の前に罪を告白します。司祭は
   単なる証者であり道具にすざません。彼は主基督から
   この代理を受けたところの大使とも言うべき人であり
   ます。罪を縛つたり,解いたりする司祭の権はこの代
   理の上に全く基礎を置いているのです。正教会では更
   にこれを強調して,すべての司祭が告白を開く権をも
   っておりません。たゞ,主教からこの代理を受けた司
   祭のみが行う事ができるのです。この代理は普通司祭
   になった時に,その司祭に主教の特別な祈りに依つて
   考えられるめです。

 (問) しかしながらもしも司祭自らが罪人であつたなら
  ば,どうしたら良いのでしょうか。
 (答) もちろん,司祭は基督者の生活を通して,その例
   が期待された希望に満ちたものである事が望ましいの
   ですが,司祭は人間でありますので,やはり過ちをお
   かします。人の罪を縛つたり解いたりする権は,司祭
   連の値する人格に依る事よりも、むしろ弱き魂を度々
   ためす神の権に依るものです。それ故に,罪の告白の
   許しは,司祭の生活となんのかかわりあいもないもの
   ですが,むしろ,彼の聖なる招きである使命をもつた
   司祭が望ましいのです。

 (問) どんな人が痛悔機密に行くべきですか。
 (答) 普通,善悪の分別がつくようになつたすべての 
   正教徒(7オ頃)が痛侮こ行くべきです。罪なき人は
   誰もいないからです。聖イオアンは言つております。
   ”若し我等罪なしと言はば,則自ら欺きて、真実は我
   等の中に在らず。若し我等の罪を認めば、則彼は信且
   義にして,我等の罪を赦し,我等を悉くの不義より潔
   めん”(イオアン第ー公書1の8〜9)。

 (問) 痛悔には何度行かねばなりませんか。
 (答) 正教会においては,その人が必要を感じる度毎に
   痛悔に行く事を自由にしております。少なくとも全部
   の基督者は最低年に4回は斎の諸週間に行くべきです。
   最悪の場合でさえも大斎には必ず一度行くべきです。
   一年に一度の痛梅に行かないような人は良き正教徒と
   は申されません。教会の掟に従わないからです。いつ
   でも誰かが病気の時は,その人は司祭に痛悔を行い,
   聖体をうけ,そうする事によつて万一の場合にそなえ
   るのです。これは死に自分を準備するはかりでなく,
   痛悔と領聖を通して,病める人が恩恵をうけ,自分の
   精神的,身体的病いを克服するカを受けるのです。あ
   る人が病気で痛悔も領聖も受ける事ができなくなる迄
   まつているという事は間違つております。そのような
   時は,司祭のそこにいる事は,病める人が自分は死め
   のではないかと恐れるはかりです。痛悔はどめような
   正教会の司祭に依っても聞かれますが,できるならば
   自分の痛悔神父の所に行く事が望ましいのです。

 (問) 痛悔はどこで聞かれますか。
 (答) 痛悔は主の家である教会で聞かれます。病気の場
   合だけはどこでもかまいません。

 (問) ー変にいく人もの人が痛悔を受けるのは可能です
   か。                    
 (答) 正教会では一グループの人が公に痛悔したり、心
   のうちで痛悔するという痛悔の仕方(public Confession)
   というのは禁じられております。各々一人の人が司祭
   の前こ行つて自分の罪を口答で正確こはつきりと告白
   しなけれはなりません。特殊の場合を除いたほか(例
   えば身体障害者)すべて口頭で罪を告白しなければ許
   されない事になております。
 
 (問) 痛悔のためにはどのような事を準備しなければな
   りませんか
 (答) 良き痛悔を行うためには,次のような事に注意し
   なければなりません。
     1.自分の良心を注意深くし,すべての罪を思い
       起す事。
     2.犯した罪を悔いる事。
     5.罪を行わないように決心する事。
     4.主の救いの力を信じる事。
     5.あなたの隣人に対して犯したすべての罪を許
       してもらい,彼の罪をも許してあげる事。

 (間) 司祭に対してどのような罪を告白すべきですか。
 (答) すべての罪が告白されなければなりません。告白
   しないところの罪は許されません。私たちが知つてい
   るにもかかわらず告白しなけれは,それらの罪は増々
   深くなるでしよう。私たちの罪のよき基準として次の
   ようにわけられます。
     1.神に対する罪
     2.あなたの隣人に対する罪
     5.あなた自身に対する罪

 (問) 神に反する罪にはどのようなものがありますか。
 (答) 神こ反する罪には次のようなものがあります。
     1.神の名をみだりに用いる事。
     2.神の掟こ反する事。
     5.神への不信仰。
     4.私たちの罪に対する神の許しにあまりにも期
       待する事。
     5.信仰の真実に対して反するような態度をとる
       事。
     6.希望を失う事。

 (間) 隣人に反する罪にはどのようなものがありますか。
 (答) 自分自身に対する罪の事を主罪と申します。とい
   うのは,それらは他の罪をも生む事になるからです。
   いくつかの例をあげますと,高慢,貧欲,怨み,呪い
   怒り,怠り,無駄事などです。

 (間) 司祭が聞いた告白を,その司祭が他人に告げるよ
   うな事があるという時がありませんか。
 (答) ある人は恥ずかしいために痛梅に行きません。し
   かし,もうすでに罪を犯していながら痛梅に行くとい
   うのがはずかしいと言うのはありえるでしようか。あ
   る人には言います。痛悔に行かないのは司祭が自分の
   痛悔した事を他人に告げられたら大変であるという事
   を言います。しかし,正教会の司祭はどんな人でも告
   白された罪を他人に告げる事は許されておりません。
   教会法ではこれを堅く禁じております。もしも司祭が
   告白の秘密を破るような事があれは,永久に司祭とし
   ての聖職を失わなけれはなりません。司祭は一般社会
   あるいは法的権威の場所でさえも,他人の罪について
   はたとえ尋ねられても話す事はできません。正教会に
   於ては,決して痛悔はスパイの道具や宗教裁判所こよ
   っても告白を強いる事はありません。それ故に,司祭
   は罪の告白の細部こ亘つたり,名前を開いたり,住所
   を聞いたりされる必要はありません。司祭は人に罪の
   犯した事を思い起させる一般的質問を尋ね,決して私
   的な事こ入るべきではありません。罪を告白した人に
   対して司祭はその人を非難したり,ないがしろにする
   事なく,正しく彼を導くよう努めなければなりません。
 
 (問) 許しにはどのような事が与えられますか。
 (答) 痛侮を行なつた者はその許しとして一つの苦行を
   なして,自分の行なつた罪の精神的な薬,あるいは精
   神的な忠言をうけ,正しい道に進まなければなりませ
   ん(それを教会の懲罰あるいはエピテミヤと言う時が
   あります)。司祭は痛梅レた人に基督者として正しい
   生活をするように導き,場合によつては暫くの問は領
   聖を禁止し,あるいはそれに似たような制限を与えま
   す。どんな事があつても,それが教会の罰になつたり
   あるいは強制されたりする事なく,神の許しと神との
   和平の表現とならなければなりません。


     ≪ 聖 体 機 密 ≫ 
     聖体機密は罪の許しを受けた基督者がパンとプド
   ウ酒の形のもとに尊体,尊血を受ける事です。更にそ
   れは基督との和平となり,私たちの精神的生活の充実
   を意味します。この機密は最後の晩餐の時に,主自ら
   がバンとブドウ酒をとって使徒達に与え言われました。
   ”取りて食へ,是れ我の體なり。皆之を飲め,是れ我
   の新約の血,衆くの人の為に流さるる者,罪の赦を得
   るを致す”(マトフェイ26の26〜28)。

 (問) 私たちの主の尊体,尊血にバンとブドウ酒が変化
   するのはいつどのようにして行われるのでしようか。
 (答) この変化は聖体礼儀中に行われます。聖体礼儀の
   最初の部分(奉献礼儀 プロスコミデヤ)に司祭はバ
   ンの部分と水をまぜたブドウ洒を準備し定められた祈
   りをします。この準備された聖祭品を奉献台から宝座
   に移すのを大聖入と申します。プロスコミアヤは基督
   がお生れになつた洞穴を象り.大聖入によつて奉献台
   から宝座に移される事はゴルゴファの道を意味してお
   ります。大聖入の間こ基督の右側に葬られた盗賊が永
   遠の生命に入る言葉を思い起します。”主よ,爾の国
   に来らん時,我を記憶し給え”(ルカ23の42)。聖祭
   品の置かれた宝座はこの時より主の墓として象られま
   す。アンチミンスはその墓そのものを示します。聖祭
   品はつまりパンとブドウ酒は聖歌隊が”主や,爾を崇
   め歌い・・”を歌う時,尊体,尊血に変化します。司
   祭はこの時,聖変化の祈りをします。これは最も大切
   で,最も荘厳な一瞬です。この時、信者は皆跪きます。
   この素晴しき驚異の事についてのこの聖変化ほ私たち
   の思慮では悟る事はできません。私たちはバンとプド
   ウ洒を見,味わいますが,主の尊体尊血はその爵中に
   臨在しておるのです。

 (間) どのパンとブドウ酒が聖体礼儀に使われますか。
 (答) 私たちの家庭で使うような発酵したパンが正教会
   では使われます。というのは最后の晩餐の時にそのテ
   ーブルで使われたものは発酵バンだつたのです。ブド
   ウ酒は純粋でまざりけのないものが使われます。ロー
   マカトリック教会では無酵のバン(ウェハウス),つ
   まり種なしパンを使います。これはユダヤ教の習慣で
   初代教会の慣習ではありませんでした。バンは純粋の
   小麦粉で作られプロスフォラと呼はれます。そのバン
   の上には十字架に印した四隅にIΣ,]Σ,NI,KA,と
   いうギリシャ文字を刻みます。これは基督は勝利する
   という意味です。 
 
 (問) 領聖はいつ行われますか。
 (答) 聖体礼儀の終りの方に王門が開かれ,司祭が聖爵
   をもつて現われます。”神をおそるる心と信とをもつ
   て近づき来たれ”。聖体を受ける信者は前に出て来て
   聖体聖血をスプーンで受けます。

 (問) 聖体を受けるために人はどのように準備しなけれ
   ばなりませんか。
 (答) 聖体を受ける基督者は最初こ痛悔を受け司祭から
   許しをうけてから受けます。この準備は痛梅機密の祈
   り,告白,斎を必要とするので,正教会でほ普通の時
   に誰にでも聖体を与えるという事はしません。聖体機
   密の厳粛と神聖さはきちんとした準備なしでは感じら
   れないのです. 
 
 (問) 聖体機密はどこで受けますか。
 (答) 聖体機密は教会で準備したところの者に依つて受
   けられます。そして定められた祈りをしなけれはなり
   ません。御聖体が受けられるのは教会の外こ,家か病
   院ですが,病気の人や病弱の人のみに限られておりま
   す。これらのために使われる御聖体は聖大木曜日に特
   別に準備されたもので,常時に宝座の上の聖櫃の中に
   おさめられています。御聖体は主教か司祭のみに依つ
   て与えられます。

 (問) 御聖体を受けられない人は誰ですか。
 (答) 洗礼を受けないで傅膏も受けない人々(正教徒で
   ない人),あるいは定められた通りに準備をしなかつ
   たり,痛悔抱密を受けなかつたり,今何がおきている
   かさつはりわからないような病者や,精神的に異常な
   人々は受ける事ができません。

 (問) 領聖の効果は何ですか。
 (答) 私たちの主の尊体,尊血を受ける者は神秘のうち
   い彼と結合し,多くの賜を受けます。主自身が言いま
   した”我が體を食ひ,我が血を飲む者,我に居り,我
   も彼に居るなり”(イオアン6の54)


     ≪ 神 品 機 密 ≫
     神品繊密はそれに達する人があつて召され,祈り
   を通して主教に依つて抜手の礼が行われ,神の言を説
   教する祝福が与えられて,聖諸機密を執行し,教会の
   諸祈祷を行ない,自分の牧群を救いに導く事を意味し
   ます。この機密は救主こ依つて設けられ,使徒達に命
   ぜられました。”父が我を遺しし如く,我も亦爾等を
   遺す”(イオアン20の21)。 最初の基督教の司祭達
   ほ使徒達でした。使徒達はこの恵みを主の命令に依つ
   て自分達の後援者である主教や司祭に伝えたのであり
   ます。聖使徒パウエルは言っております。”故に爾等
   自ら慎み,亦全群を慎め,乃聖神爾等を其中に立てて,
   監督と為し,主神が己の血を以て獲たる教会を牧せし
   む”(行実20の28)。

 (間) 司祭の使命と権限は何がありますか。
 (答) 司祭には三つの権限があります。
      1.教権。司祭と主数は基督に依つて命じられた
        事を他人に伝えなければなりません。”爾等
        往きて,萬民に教えを傳えよ”(マトフェイ
        28の19)。
      2.聖機密を執行する権と他人を祝福する権。こ
        の権は基督に依つて与えられた。 ”憫等此を
        行ひて,我を記念せよ”(ルカ22の19)。
      5.司牧権。この権は主に依つて与えられました
        ”爾等に聴く者は我に聴く,爾等を拒む者は
        我を拒む,我を拒む者は我を遣しし者を拒む
        なり”(ルカ10の16)。

 (問) 司祭や牧者の義務は何ですか。
 (答) 司祭の権限の他に義務もあります。他人を教え得
   る事ができるためには,司祭は自ら学はなけれはなり
   ません。聖書を知る事。教会史を知る事。教理を知る
   事。教会法。規定,規則などを知る事。しかもこれら
   すべての上に,彼の生活が善なるものでなけれはなり
   ません。それは他人こ対する影響が強いからです。信
   者を聖機密や諸祈祷を通して精神的に高めるには,司
   祭は教会の祈祷を良く知り,青葉と動作の意味を知り
   自己を殺した謙遜な気持で祈祷をしなけれはなりませ
   ん。司祭が指導者であるためには,忍耐強く,理解力
   があって彼の住んでいる所の人々の社会を良く知って
   いなけれはなりません。

 (問) 聖職者の候補者として必要なものは何ですか。
 (答) 自分の機密執行の事を完全に理解し行うために,
   聖職者への候補者は学術的あるいは実務的な事を神学
   校で学はなければなりません。神学校にほ聖職者養成
   の神学校,神科大学あるいは総合大学の神学部などが
   あります。自己の使命と教会の規則について良く知つ
   ている主教はこれらの事を知らない人を司祭こ叙聖し
   ません。もしも候補者が町の司祭や伝道者である事を
   欲するならは上記のような神学を勉強する学校へ行か
   なければなりません。また学術的な勉強の他に侯補者
   は他の条件もそなえていなけれはなりません。
      1.聖職者としての使命観−→神こ仕える愛。
      2.正教徒である事。
      3.道徳的に立派で罪罰の経歴がない事。
      4.身体的にも精神的にも健康な者。手,足,目
       耳,指など身体的障害の人は司祭になれませ
       ん。たとえこれらが自然の事故であつたとし
       てもこれらが信者を惑わさないためです。
      5.司祭になるには少なくとも21才, 主教にな
       るに30才でなければなりません。
      6.もしも補祭や司祭になる事を希望する人は叙
       聖の前に結婚しなけれはなりません。あるい
       はもしも主教になるような時があれは,修道
       の書いをたてなけれはなりません。聖職者は
       再婚できません。彼は叙聖前に一度だけ結婚
       が許されているのです。

 (間) 神品(聖職者)の階級にはどのようなものがあり
   ますか。
 (答) 三階級あります。
       1.主教職‥‥これは使徒継承を通して使徒達
       から直接こ伝えられてきたものです。この継
       承は使徒達の時代から今日に至る迄,按手礼
       によつて伝え続けられました。主教は次の三
       つの権力をもつております。 
          A.教える事。
          B.祈祷を執行する事。
          C.指導する事。
       主教職は更にその治める教区の大小から種々
       の名称をもって呼ばれております。それは総
       主教,府主教,大主教,主教です。

       2.司祭戯‥‥主教から諸権限を受け継ぎます。
       主教だけが司祭を叙聖する事ができます。主
       教に依つてならないところの司祭は正教会で
       は司祭と呼ばれません。首司祭,長司祭,司
       祭などの名誉称号があります。

       5.輔祭職‥‥輔祭職は主教に依って按手され
       司祭と主教の職を助けるためにおかれたもの
       です。主教職こ与かるにはこの輔祭職から始
       まつて司祭職に至り主教になります。輔祭は
       機密執行はできません。名誉的に長輔祭とい
       う名称があります。

 (問) 神品職の諸階級こはどのようにしてなりますか。
 (答) 神品職の諸階級は叙聖式を通して受けます。言葉
   ”叙聖”は按手の意味をもち,主教は自分の手を叙聖
   されるべき司祭や輔祭の頭上にのせます。主教叙聖に
   は少なくとも二人以上の主教を必要とします。叙聖式
   は聖体礼儀中に行われます。輔祭は聖変化の後すぐに
   司祭はへルウイムの歌の後すぐに,主教は聖体礼儀の
   始めにそれぞれの叙聖式が行われます。叙聖式の間,
   新しく叙聖された者はその諸階級こ従つて祭服を着せ
   られます。その一つ一つが着せられる時,主教はアク
   シオス(彼は適当である)と言い,続いて司祭団がア
   クシオスを唱え,更に聖歌隊がアクシオスを唱えます。
   正教会においては,叙聖式において,その使命観から
   すべての会衆の出席する所で行われ,秘密裡こなされ
   るものではありません。

 (問) 神品機密は繰り返す事ができますか。
 (答) この機密は繰り返す事ができません。


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