受難週
聖大木曜日
聖大木曜日の早課
定刻に及びて鐘を撞き、衆聖堂に集まりて、司祭始めて誦す、「我等の神は恒に崇め讃めらる」。誦經者常の如く誦し始む、次に六段の聖詠。「アリルイヤ、」第八調に。并に讃詞、第八調、三次。
光明の門徒が晩餐の濯に照されし時、惡心のイウダは貪の疾に昧まされて、爾義なる審判者を不法の審判者に賣り付す。財に耽る者よ、此が爲に縊れし者を觀よ、饜き足らぬ靈、夫子に斯ることを爲すを恐れざりし者を避けよ。衆人を慈む、主
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よ、光榮は爾に歸す。
次に福音經、ルカ百八端、超えず、「彼の時除酵節卽逾越と名づくる節は近づけり」、終は百九端の中、其門徒も彼に從へり。并に第五十聖詠を誦す。祝文、「神よ、爾の民を救ひ」を誦せず。
規程、コスマ師の作。第六調。イルモス二次、讃詞六句に。其冠詞は、大木曜日に長き歌を歌ふ。
第一歌頌
イルモス、紅の海は截り分たれ、禱充てる淵は涸らされて、武具なき者の爲には濟り易くなり、武具備はれる者の爲には墓と爲れり。故に神の喜び給ふ歌は歌はれたり、ハリストス吾が神は嚴に光榮を顯せり。
萬有の原にして生を施す。限なき神の智慧は、夫を識らざる潔き母より己が爲に居所を作れり。蓋肉身の堂を衣て、ハリストス吾が神は嚴に光榮を顯せり。
神の眞の智慧は其愛する者に機密を予へて、信者の爲に靈を養ふ糧を備へ、不死の飮料の爵を醻め給ふ。我等敬虔にして就きて籲ばん、ハリストス吾が神は嚴に光榮を顯せり。
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我等信者は皆造られざる永在なる神の智慧が高き聲を以て召し給ふを聽かん、蓋彼呼びて曰ふ、味へよ、而して我がハリストスたるを織りて籲べ、ハリストス吾が神は嚴に光榮を顯せり。
畢りて後復イルモス、兩詠隊共に歌ふ。
第三歌頌
イルモス、萬有の主、造物主たる者、苦に與らざる神は貧しくなりて、造物を己に合せ、救はんと欲する者の爲に己を死に備へて、「パスハ」と爲る者は、預め己を獻祭して呼べり、我が體を食ひて信に堅固なれ。
至善者よ、爾は悉くの人類を救ふ己の爵を以て、樂を之に充てて、爾の門徒に飮ませ給へり。蓋爾は己の上に機密を行ひて呼ぶ、我が血を飮みて信に堅固なれ。
寛容の主よ、爾は己の門徒に預言せり、無知の人、爾等の中に在る、叛逆者は、此の機密を知らざらん、愚昧の者にして之を悟らざらん。惟爾等我が中に在りて信に堅固なれ。
坐誦讃詞、第一調。
池と河と海とを造りし者は我等に完全なる謙遜を訓へて、手巾を以て自ら帯して、
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門徒の足を濯へり。獨人を慈む主は慈憐の多きに因りて己を卑くして、我等を罪惡の淵より擧げ給ふ。
光榮、第三調。
爾は慈憐に因りて謙りて、己の門徒の足を濯ひて、之を神聖なる途に向はしめ給へり。濯ふに從はざるペトルは直に神聖なる命に從ひて、濯はれて、熱切に爾に我等に大なる憐を賜はんことを祈る。
今も、第四調。
主宰よ、爾は己の門徒と偕に食ひて、奥密に爾の至聖なる屠宰を顯し給へり、此に縁りて我等爾の尊貴なる苦を尊む者は朽壞より救はる。
第四歌頌
イルモス、ハリストスよ、預言者は爾の言ひ難き秘密を預見して唱へたり、仁慈の父よ、爾は權能の厚き愛を顯せり、蓋爾は、至善者よ、世界を潔めん爲に獨生子を遣し給へり。
ハリストスよ、爾は凡そアダムより出づる者の苦を釋く苦に往く時、爾の友に謂へり、我此の「パスハ」を爾等と偕に食せんことを甚望めり、蓋父は世界を潔めん爲に我獨生子を遣し給へり。
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不死の者よ、爾は爵を取りて門徒に呼べり、我復爾等と偕に在りて、葡萄の實より飮まざらん、蓋父は世界を潔めん爲に我獨生子を遣し給へり。
ハリストスよ、爾は友に謂へり、我言ふ、我が國に於て我が神として爾等諸神と偕に居る時に、新なる言ひ難き飮料を飮まん、蓋父は世界を潔めん爲に我獨生子を遣し給へり。
第五歌頌
イルモス、愛の繋にて繋がれたる使徒等は萬有を司るハリストスに己を委ねて、美しき足を浄めたり、往きて衆人に平安を傳へん爲なり。
高く虚空に漫りたる禦ぎ難き水を保ち、淵ち停め、海を鎮むる神の智慧は水を盤に盛り、主宰として僕の足を濯ふ。
主宰は門徒に謙遜の則を示す、雲にて天を覆ふ者は手巾にて自ら帯し、其手に萬有の呼吸を執る者は膝を曲めて僕の足を濯ふ。
第六歌頌
イルモス、今を限の罪の淵は我を圍めり、我復暴波に耐へずして、イオナの如く爾主宰に籲ぶ、淪滅より我を引き上げ給へ。
救世主よ、爾呼べり、鳴呼門徒よ、爾等我を謂ひて主と爲し、師と爲す、我誠に是
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なり。故に爾等我に於て見し所の則に效へ、
汚なき者は足を濯ふを要せず、鳴呼門徒よ、爾等も潔し、惟盡く然るには非ず、蓋爾等の中一人は大く亂れ狂へり。
小讃詞、第二調。
主を賣る者は手に餅を受けて、潛に其手を伸べ、己の手にて人を造りし者の價を受く、而して奴隷及び詭る者たるイウダは悛まらざりき。
同讃詞
我等皆敬畏を懐きて機密の筵に近づき、主宰と偕に在りて、潔き靈を以て餅を受けん、何如にして彼が門徒の足を濯ふを觀ん爲、又觀るが如く行ひて、互に順ひ、互に足を濯はん爲なり、蓋ハリストスは其門徒に斯く行はんことを命じ給へり。然れども奴隷及び詭る者たるイウダは之を聞かざりき。
第七歌頌
イルモス、少者はワワィロンに於て爐の燄を懼れざりき、乃火の中に投げられて、霑されて歌へり、主吾が先祖の神よ、爾は崇め讃めらる。
イウダは頷き諾ひて、巧に惡事を營み、萬有の主吾が先祖の神たる審判者を定罪
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に付さん機を窺へり。
ハリストスは其友に呼べり、爾等の中一人我を賣らん。彼等喜を忘れて、悲と懼とを懐きて曰へり、是れ誰ぞ、吾が先祖の神よ、告げ給へ。
我と偕に敢て手を盂に著けん者は、斯の者永く生命の門に入らざりしならば、彼の爲に善かりしならんと、斯く吾が先祖の神は賣る者の誰たるを示し給へり。
第八歌頌
イルモス、福たる少者はワワィロンに於て先祖の律の爲に危を顧みずして、君の無知なる命を輕じ、火に擲たれて其中に焚かれずして、全能者に適ふ歌を歌へり、造物は主を歌ひて、萬世に崇め讃めよ。
シオンに於て言と偕に晩餐せし福たる使徒等は離れずして之に随へり、羊の牧者に随ふが如し。ハリストスに體合して之と分れず、神聖なる言に養はれて、感謝して籲べり、造物は主を歌ひて、萬世に崇め讃めよ。
惡名のイスカリオトは故に愛の規を忘れて、濯はれたる足を叛逆の爲に揺かし、爾の餅、神聖なる體を食ひて、ハリストスよ、爾に向ひて踵を擧げ、造物は主を歌ひて、萬世に崇め讃めよと籲ぶを暁らざりき。
良心なき者は罪を釋く體と世界の爲に流さるる神聖なる血とを領けたり。價を以
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て賣りたる者を飮むことを恥ぢざりき、惡事を厭はずして、造物は主を歌ひて、萬世に崇め讃めよと籲ぶを暁らざりき。
第九歌頌
イルモス、信者よ、來りて、高きを仰ぐ智慧を以て、高き處に設けられたる主宰の優欵と不死の宴とを樂しみ、我が讃め揚ぐる言に敎へられて、來りし言を悟らん。
言は門徒に謂へり、往きて高き處に「パスハ」を備へよ、此れに因りて、我が眞實の無酵の言にて機密を授けらるる者の智慧は固めらる、爾等恩寵の力を讃め揚げよ。
父は世の無き前より我造成する智慧を生む、彼は其道の始として、我を今奥密に行はるる事の爲に造れり。蓋我性に由りては造られざる言にして、今受けし所の性に屬せらる。
我幻たるに非ずして實體に人と成りし如く。斯く我に合せられたる性は、其體合に依り神成せられたり。故に我が惟一のハリストス兩性を有つ者たるを知るべし、
差遣詞、三次、
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我が救世主よ、我爾の飾りたる宮を見れども、之に入らん爲に衣を有たず。光を施す者よ、我が靈の衣を照して、我を救ひ給へ。
「凡そ呼吸ある者」に四句を立てて、自調の讃頌を歌ふ。第二調。
イウデヤ人の會は馳せ集まる、萬有の造成主及び造物主をピラトに解さん爲なり。鳴呼不法の者や、鳴呼不信の者や、生死者を審判する爲に來らん者を審判に備ふ、苦を醫す者を苦に定む。恒忍なる主よ、爾の憐は大なる哉、光榮は爾に歸す。
主よ、不法なるイウダ、晩餐に於て爾と偕に手を盂に著けし者は、銀を取らん爲に不法の者に手を伸べたり、香膏の價を量りし者は、爾價なき者を賣らんことを畏れざりき。濯はん爲に足を伸べし者は、詐りて主宰に接吻せり、之を不法の者に付さん爲なり。使徒の會を離れ、銀三十を擲ちて、爾の三日目の復活を見ざりき。此の復活に因りて我等を憐み給へ。
賣主者詭譎者たるイウダは主救世主、萬有の主宰を奴隷の如くイウデヤ人に賣りて、詭の接吻を以て之を付せり。神の羔、父の子、獨大仁慈なる者は屠所に就く羊の如く、斯く隨へり。
奴隷及び詭る者たるイウダは行に由りて門徒及び惡謀者、友及びディアワォルと
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顯れたり。蓋夫子に隨ひて、彼を付さんことを企てて、己の衷に謂へり、此を賣りて産業を獲んと。彼は香膏をも賣り、イイススをも詭を以て執へんと圖れり。接吻を爲してハリストスを付せり。獨慈憐にして人を愛する者は屠所に就く羊の如く、斯く隨へり。
光榮、今も、第二調、イサイヤの傳へたる羔は自由なる屠宰の爲に往き、其背を笞に與へ、其頬を批に與へ、其面を唾せらるる辱より避けざりき、醜き死に定めらる。罪なき者は甘じて一切を受く、衆人に死よりの復活を賜はん爲なり。
挿句に自調の讃頌、第八調。
今日兇惡の會集まりてハリストスを攻め、彼に對ひて徒に謀りて、罪なき者をピラトに死の爲に付す。今日イウダは銀の爲に己に縊死を定めて、現世及び神聖の生命を兩ながら失ふ。今日カイアファは不自由に預言して曰う、一人民の爲に死するは益ありと。蓋彼は我等の罪の故に因りて苦を受けん爲に來れり、我等を敵の奴隷より救はん爲なり、至善にして人を愛する主なればなり。
句、我が餅を食ひし者は我に向ひて其踵を擧げたり。
今日イウダは貧者を愛する面を隠して、貪婪の姿を顯す、已に貧者の爲に慮
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らず、已に罪女の香膏を賣らず、乃天の香膏を賣りて、其銀を己の有と爲す。イウデア人に走りて、不法の者に謂ふ、爾等我に幾何を與へんと欲するか、我彼を爾等に付さんと。吁主を賣る者の貪婪や、買ふ者の意を邀へて、廉價の交易を爲す、賣られざる者を賣り、價の事を論ぜずして、逃れたる僕の如くに賣る、蓋盗む者には貴きを遺つる風あり。今門徒は聖物を犬に投げたり、貪が彼を己の主宰に對して狂はしめたればなり。我等此くの如き誘惑を避けて籲ばん、恒忍なる主よ、光榮は爾に歸す。
句、外に出でて共に述べたり。
不法なるイウダよ、爾の風習は詭譎を充つ、蓋爾は貪を病みて、人を惡む質を得たり。若し爾富を愛せしならば、何ぞ貧しきを敎ふる者に來りたる、若し彼を愛せしならば、何ぞ價なき者を賣りて、殺害の爲に付したる。日よ、畏れよ、地よ、歎息して動きて呼べ、惡を懐はざる主よ、光榮は爾に歸す。
句、我を疾む者は相謀りて、我を害せんと欲す。
鳴呼信者よ、主宰の晩餐の奥義に達せざる者は誰も敢てイウダの如く詐りて筵に就くべからず、蓋彼は片を受けて、餅に離れたり。外貌にては門徒にして、實體にては殺人者なり。イウデヤ人と接近して、使徒等と居住せり、惡みて接吻し、接吻し
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て我等を詛より贖ひし神及び我が靈の救主を賣れり。
光榮、同調、「不法なるイウダよ、爾の風習は詭譎を充つ」。
今も、第五調、主よ、爾は己の門徒に奥密の敎を授けて曰へり、鳴呼友よ、慎め、何如なる懼も爾等を我より離すべからず、我苦を受くとも世界の爲なり。故に我の爲に惑ふ勿れ、蓋我が來りしは人を役はん爲に非ず、乃人に役はれ、且我の生命を與へて世界の贖を爲さん爲なり。若し爾等我の友ならば、我に效へ、第一の者たらんと欲する者は末の者と爲り、君は僕の如くに爲るべし。我に居れ、實を結ばん爲なり、蓋我は生命の葡萄の樹なり。
「至上者よ、主を讃榮し」。其他常例の如く、終に至る。
併せて第一時課を誦す。其中に預言の讃詞、第三調。
人類の爲に頬を批たれて怒らざりし主よ、我等の生命を朽壞より脱れしめて、我等を救ひ給へ。
光榮、今も、同上。
提綱、第八十二聖詠、第一調、願はくは諸民は爾獨主と稱へらるるを知らん。句、神よ、黙す毋れ、言を出さざる毋れ。
イェレミヤの預言書の讀。第十一、十二章。
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主我に告げしに、我之を知る、爾は我に彼等の作爲を示せり。我は屠宰の爲に牽かるる温柔なる羔の如く、彼等が我を害はんとする謀を爲すを知らざりき、彼等云ふ、我等毒の木を其糧に加へて、彼を生ける者の地より絶たん、其名も亦記憶せられざらん爲たりと。然れども爾主サワオフ、義なる審判者、心腹を試みる者よ、我に爾が彼等に仇を報ゆるを見しめよ、蓋我爾に我が訟を託せり。故に主はアナフォフの人人に付きて是くの如く言ふ、彼等爾の生命を索めて云ふ、主の名を以て預言する毋れ、恐らくは爾我等の手に死なんと、故に主サワオフ是くの如く言ふ、視よ、我彼等に臨まん、彼等の少者は劍に由りて死なん、彼等の諸子諸女は饑饉に由りて死なん、彼等に遺る者も無からん、蓋我アナフォフの人人に我が降臨の年に於て災を降さん。主よ我爾と訟を爲さば、爾義と爲らん、然りと雖我鞠の事に付きて爾に言はん胡爲れぞ惡人の途は榮え、悖れる者皆福なるか。爾彼等を植えたり、彼等は根ざし、成長して果を結べり、爾彼等の口には近けれども、彼等の心には遠し。然れども主よ、爾我を知り、我を見、我が心の爾に向ひて如何なるかを試みる。彼等を別ちて、羊の屠に於けるが如くせよ、彼等を屠の日の爲に備へよ。地は哀しみ、草は悉くの田に枯るること何の時に至らんか、獸と鳥とは地に居る者の惡に縁りて滅ぶ、蓋彼等曰う、彼は我等の途を見ざらんと。野の悉くの獸、
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來り集まれ、來りて之を食へ。衆くの牧者は我が葡萄園を壞り、我が業を足下に踐めり、彼等は我が悦べる業を荒野と爲し、荒地と爲せり。我が民イズライリに我の嗣がしめし業を侵す所の我の悉くの惡しき鄰に付きて、主是くの如く言ふ、我彼等を其地より抜き、亦イウダの家を其中より抜かん。然れども我彼等を抜きて後、復轉じて彼等を憐み、各其業に、各其地に歸らしめん。
提綱、第七十五聖詠、第八調、主爾等の神に誓を作して償へよ。句、神はイウデヤに知られ、其名はイズライリに大なり。
知るべし。死者の安息の爲の「リティヤ」はフォマの週間に至るまで行はず。
其他の時課は三聖詠、常例の如し。
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聖大木曜日の晩課
定刻に及びて鐘を撞き、司祭祝讃して後晩課を始む、「來れ、我等の王」、并に首誦聖詠。大聯禱。次に「主よ、爾に籲ぶ」、第二調に、十句を立てて、本日の自調の讃頌を歌ふ、各二次、第二調。之を歌ふ時司祭奉獻禮儀を行ふ。
イウデヤ人の會は馳せ集まる、萬有の造成主及び造物主をピラトに解さん爲なり。嗚呼不法の者や、嗚呼不信の者や、生死者を審判する爲に來らん者を審判に備ふ、苦を醫す者を苦に定む。恒忍なる主よ、爾の憐は大なる哉、光榮は爾に歸す。
主よ、不法なるイウダ、晩餐に於て爾と偕に手を盂に著けし者は、銀を取らん爲に不法の者に手を伸べたり、香膏の價を量りし者は、爾價なき者を賣らんことを畏れざりき。濯はん爲に足を伸べし者は、詐りて主宰に接吻せり、之を不法の者に付さん爲なり。使徒の會を離れ、銀三十を擲ちて、爾の三日目の復活を見ざりき。此の復活に因りて我等を憐み給へ。
賣主者詭譎者たるイウダは主救世主、萬有の主宰を奴隷の如くイウデヤ人に賣りて、詭の接吻を以て之を付せり。神の羔、父の子、獨大仁慈なる者は屠所に就く羊
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の如く、斯く隨へり。
奴隷及び詭る者たるイウダは行に由りて門徒及び惡謀者、友及びディアワォルと顯れたり。蓋夫子に隨ひて、彼を付さんことを企てて、己の衷に謂へり、此を賣りて産業を獲んと。彼は香膏をも賣り、イイススをも詭を以て執へんと圖れり、接吻を爲してハリストスを付せり。獨慈憐にして人を愛する者は屠所に就く羊の如く、斯く隨へり。
イサイヤの傅へたる羔は自由なる屠宰の爲に往き、其背を笞に與へ、其頬を批に與へ、其面を唾せらるる辱より避けざりき、醜き死に定めらる。罪なき者は甘じて一切を受く、衆人に死よりの復活を賜はん爲なり。
光榮、今も、第六調、イウダは實に蝮の類の裔、野に「マンナ」を食ひて、養ふ主を怨みたる者の裔なり。蓋彼の恩を知らざる者は糧猶其口に在るに神を謗れり、此の不虔の者も天の糧を猶口に含みて救主の賣付を爲せり。鳴呼飽かざる質、殘忍強暴や、己を養ふ者を賣り、己が愛せし主宰を死に付す、實に彼の者の不法の子にして、彼等と偕に滅亡を繼ぎたり。獨恒忍の言ひ盡されぬ主よ、此くの如き殘忍より我等の靈を免れしめ給へ。
福音經捧持の聖入。「穏なる光」。
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提綱、第百三十九聖詠、第一調、主よ、我を惡人の手より救ひ、我を強暴者より護り給へ。句、彼等心に惡を謀り、毎日戰を備ふ。
エギペトを出づる記の讀。第十九章。
主はモイセイに謂へり、爾下りて民に告げよ、今日明日彼等を浄めよ、彼等其衣を澣ひ、第三日の爲に己を備ふべし、蓋第三日に主はシナイ山に衆民の前に降らん、爾民の爲に四周に界を設けて云へ、愼みて山に登る毋れ、聊も之に捫る毋れ、凡そ山に捫る者は必死せん、手を之に觸る可からず、蓋石を以て撃たれ、或は矢を以て射殺されん、家畜と人とを論ぜず、生くるを得ざらん。角の長く鳴り、雲の山より離るるに迨びて、彼等山に登るを得べしと。モイセイ山を下り、民に至りて、之を聖にし、民其衣を澣へり。彼民に謂へり、第三日の爲に己を備へよ、妻に近づく毋れと。第三日の朝に迨びて、シナイ山の上に雷、電、黒雲あり、角の聲甚厲しくして、營に在る民皆戰ひ慄けり。モイセイ營より民を率いて、神を迎へしめん爲に出でたり、民山の麓に立てり。シナイ山皆烟れり、神が火の中に於て其上に降れるに因りてなり、其烟は爐の烟の如く立ち騰り、全山大に震ひ、民皆甚懼れたり。角の聲彌大にして、其鳴ること甚厲し、モイセイ言を發し、神聲を以て之に應へたり。
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提綱、第五十八聖詠、第七調、我が神よ、我を我が敵より援け、我を攻むる者より護り給へ。句、我を不法を行ふ者より援け給へ。
イオフ書の讀。第三十八、四十二章。
主は大風と雲との中よりイオフに謂へり、無知の言を以て議を昧ます者は此れ誰ぞや。丈夫の如く爾の腰を束ねよ、我爾に問はん、爾我に答へよ。我地の基を置きし時、爾安に在りしか、若し悟らば、我に告げよ。誰か其度量を定めたる、爾之を知れるか、誰か準縄を其上に舒べたる。其基は何の上に固められしか、其隅石は誰か之を置きたる。星の造られたる時、我が悉くの天使は大なる聲を以て我を讃美せり。海が涌きて胎内より出でし時、我門を以て之を閉ぢ、雲を以て其衣と爲し、昏黒を以て其襁褓と爲せり、之に其限を定め、楗と門とを設けて曰へり、此にまで至れ、之を踰ゆべからず、此は爾の驕れる浪の爲に界なり。爾生れし日より以來、晨に命を下ししか、暁に其處を示して、之をして地の極を懐きて、不虔者を其上より振ひ落さしめしか。爾地の塵を以て生ける者を造りしか、此の言ある者を地の上に置きしか。爾不虔者より光を奪ひしか、驕れる者の手を折りしか。爾海の泉源に至りしか、淵の底を歩みしか。死の門は畏を以て爾の爲に啓けしか、地獄の門を守る者は爾を見て懼れしか。爾天下の廣を窮めしか、其幾何なるかを我に告げよ。光
--------------------[聖大木曜日 晩課 1071頁]---------------------
は何の地に住めるか、晦冥の在る處は何處なるか、爾我を其境に導き得るか、此等に往く途を知れるか。爾之を知れるならん、蓋當時爾已に生れたり、爾の年の數は多し。爾雪の府庫に入りしか、雹の府庫を見しか、此等は爾の用に、敵のある時、征戰と争闘との日の爲に蓄へられしか。イオフ答へて主に謂へり、我知る、爾は一切を能す、爾謀る所に於て能せざる所なし。知ることなくして議を蔽ふ者は誰ぞや。然り、我は曾て悟らざる事を言ひ、知らざる所の奇妙なる事を述べたり。主よ、我に聽け、我も言はん爲なり、我爾に問はん、爾我を敎へよ。我嚢に耳を以て爾の事を聞きしが、今は我が目を以て爾を見たり。
イサイヤの預言書の讀。第五十章。
主神は我に智者の舌を予へたり、我が言を以て弱れる者を扶くるを得ん爲なり、彼は朝毎に我を醒まし、我が耳を醒ます、我が學ぶ者の如く聽かん爲なり。主神は我が耳を啓けり、我は逆ふことをせず、退くことをせざりき。我は我が背を以て撻つ者に任せ、我が頬を以て批つ者に任せたり、我が面を辱及び唾より掩はざりき。主神は我を助く、故に我羞ぢず、故に我が面を火石の如く堅くし、我が恥に居らざらんことを知る。我を義とする者邇し、誰か我と争はん、我等共に立つべし、誰か我と訟
---------------------[聖大木曜日 晩課 1072頁]---------------------
を爲さん、我に近づくべし。視よ、主神は我を助く、誰か我を罪せん。視よ、彼等皆衣の如く古び、蠧は彼等を食はん。爾等の中誰か主を畏れて、其僕の聲を聽ける、暗の中を行きて光なき者は主の名を恃みて己の神に倚るべし。視よ、爾等皆火を起し、火箭を佩ぶる者は、爾等の火及び爾等の燃やしたる箭の燄に往け。此れ我が手よりして爾等に在らん、爾等苦の中に死なん。
次に小聯禱。聖三祝文。
使徒の提綱、第七調、諸侯相議りて主を攻め、其膏つけられし者を攻む。句、諸民何爲れぞ騒ぎ、諸族何爲れぞ徒に謀る。使徒はコリンフ書百四十九端、「兄弟よ、我が爾等に傳へし事は、我の主より受けし所なり」。「アリルイヤ」、第六調、貧しき者乏しき者を顧みる人は福なり、患難の日に主は彼を救はん。句、我の敵は我が事を惡言して曰ふ、彼は何の時に死して、其名滅びん。句、我が餅を食ひし者も亦我に向ひて其踵を擧げたり。福音經はマトフェイ百七端、「主は其門徒に謂へり、爾等知る、二日の後は逾越節なり」。
并に次第に循ひて大ワシリイの聖體禮儀を行ふ。
ヘルワィムの歌に代へて左の讃詞を歌ふ。第六調。三次。
---------------------[聖大木曜日 晩課 1073頁]---------------------
神の子よ、今我を爾が機密の筵に與る者として容れ給へ。蓋我爾の仇に機密を告げざらん、又爾にイウダの如き接吻を爲さざらん、乃盗賊の如く爾を承け認めて曰ふ、主よ、爾の國に於て我を記念せよ。「アリルイヤ」、「アリルイヤ」、「アリルイヤ」。
「常に福にして」に代へて第九歌頌の「イルモス」、「信者よ、來りて、高きを仰ぐ智慧を以て」を歌ふ。領聖詞に代へて、右の讃詞、「神の子よ、今我を爾が機密の筵に」を歌ふ。「主よ、願はくは我が口は讃美に滿てられて」に代へて、同じく右の讃詞を數次歌ひて、衆が聖機密を領け畢るに至る。升壇外の祝文の後に足を濯ふ式あり、規定に載する所の如し。次に代聖錫を分與す、并に發放詞。
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聖大木曜日の、晩堂小課
其中に三歌頌を歌ふ。クリトのアンドレイ師の作。第八調。
第五歌頌
---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1074頁]---------------------
イルモス、光を施すハリストス神、創造の始の淵の暗を退けし主よ、我が靈の晦冥を散らして、言よ、我に爾が誡の光を與へ給へ、我が夙に興きて爾を讃榮せん爲なり。
ハリストスよ、爾が命ぜし如く、晩餐は飾られ「パスハ」は爾の爲に備へられたり然れどもイウダは爾を賣らんことを謀り、爾と偕に在りて、外に於ては貪に由りて爾の價を共議せり。
ハリストスは晩餐より起ち、手巾を以て腰に帯し、甘じて首を俯し給ふ。ペトルは籲ぶ、我が造成主よ、爾永く我が足を濯はざらん、然れども先濯へ。
詭詐なる門徒イウダは爾を付さんとする手を伸べて、餅を受け、其足を伸べて、爾が親ら之を濯ひ、手巾にて拭ふを受く。
言よ、接吻する者及び賣り付す者、奴隷及び詭詐者たるイウダは、當時詭詐の接吻を以て爾の口に就き、其口を以て爾の體を汚して、爾に籲べり、夫子、憂べよ。
ペトルは其時に行はるる事を見て、畏懼に堪へずして、婢の卑しき問に由りて表證せられて、爾主を諱みたり、爾が言ひし如きのみならず、卽爾萬事を知る者の知り給ひしが如し。
---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1075頁]---------------------
造物主は頬を批たれて、造物は其辱を以て打たる。甘じて杖にて撃たれて、天軍は首を俯す。審判者は唾せられて、地の基は皆動く。
光榮、花卉を以て全地を飾りたる神は荊棘を冠らせられ、傷を受け、寛忍を以て恥辱を忍び、汚辱の紫袍を衣せらる、神にして一切を忍び、其體にて苦しみ給ふ。
今も、生神女讃詞、イオアンは神聖なる敎を以て爾が人體を取りたることを宣べて籲ぶべし、言は童貞女に藉りて變易なく肉體と爲り、舊の如く父の懐を離れずして、性に於て神たるを失はざりき。
第八歌頌
イルモス、水の上に己の宮を建て、沙を以て海の界を定め、一切を持つ主よ、日は爾を歌ひ、月は爾を讃め、造物は皆世世に爾萬有の造成主に歌頌を獻る。』
雲を以て天に服せ、不死の父と偕に光榮の寶座に、王たるイイスス、人體を取りたれども、全く火たる言よ、爾は手巾を取り、之を帯にして、塵土なる足を濯ひ給へり。
イイススは衆を濯ひ畢りて、席坐して其門徒に謂ふ、我が今何をか行ひしを爾等皆知れ、蓋我爾等衆に謙遜の模範を與へたり、第一の者たらんと欲する者は甘じて
---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1076頁]---------------------
衆の下たる者とならん爲なり。
爾等潔し、然れども盡く然るには非ずと、ハリストスは晩餐に席坐する友に謂へり、彼等其言を訝りて、相互に語れり。故に彼は其後明に賣る者の名を示し給ふ。
衆の審判者は門徒と偕に語りて、橄欖山に來れり。彼處に於て彼等に謂ふ。起きよ、行かん、視よ、我を付す者は邇づけり。何人も我を諱む毋れ、蓋我は自由に苦を受く。
鳴呼詭詐の接吻や、イウダは、夫子慶べよと、ハリストスに曰ひ、言と共に屠宰に付す。蓋此の號を不法者に予へたり、我が接吻せん者は卽我が爾等に付さんと約したる人なり。
我等の神よ、爾は不法の人人に執へられて、一切を忍び給へり。神の羔よ、爾は聊も逆はず、號ばずして、詰られ、審かれ、撃たれ、縛られ、劍と棒とを持てる者にカイアファに曳かれたり。
イイススハリストスは十字架に釘せらるべしと、エウレイ人は司祭等及び學士等と共に呼べり。嗟吁不信の民よ、現れてラザリを墓より起し、人人の爲に救の道を啓きし者は何をか爲したる。
---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1077頁]---------------------
不法の人人はピラトの審判座に對ひて、號びて呼べり、之を十字架に釘せよ、縛られたる殺人者ワラウワを我等に釋せ、ハリストスを先鞭うちて、取りて、犯罪者と偕に十字架に釘せよ。
我等主なる父と子と聖神とを崇の讃めん。
鳴呼言ひ難き謙遜、鳴呼測り難き定制や、救世主よ、爾は火にして、賣主者の足を濯へり、之を濯ひて焚かざりき、晩餐の時に餅を與へて、機密の奉事を訓へ給へり。
今も、生神女讃詞、鳴呼新なる聲聞、神は女の子、種なき産なり、母は夫なし、生れし者は神なり。鳴呼驚くべき聲聞。鳴呼畏るべき孕、鳴呼童貞女の不朽の産や、實に皆智慧に超え、明悟に過ぐ。
第九歌頌
イルモス、祝讃せらるる哉主、イズライリの神、我等の爲に救の角を其僕ダワィドの家に興しし者よ、東旭は上より我等に臨みて、我等を平安の道に向はしめたり
ハリストスは門徒に謂へり、爾等尚寢ぬ、儆醒せよ、時至れり。我が友よ、起きて往かん、視よ、我を付す門徒は全隊を率いて、我を殺人者に付さん爲に來る。』
---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1078頁]---------------------
爾の問安は僞なり、接吻は苦し、詭る者よ、爾は夫子慶べよと曰ひて、誰にか呼ぶ、ハリストスはイウダに謂へり、友よ、胡爲れぞ來れる、若し接吻せん爲に來りしならば、何ぞ蜜を抹りたる刃を進むる。
ハリストスよ、爾は罪なき審判者にして、甘じてピラトの審判座の前に立ちて、我等を我が債より救はん爲に來れり。故に爾仁慈なる者は肉體の傷つけらるるを忍び給へり、我等皆釋かるるを得ん爲なり。
鳴呼慈憐の淵や、如何にして神性の火たるハリストスは草、稈及び塵土たるピラトの前に立ちて、之を焚かざりし、性の自由なる者は寛忍を以て之を待てり、人を愛する主なればなり。
ハリストスと稍ふる者を去れ、之を去れ、十字架に釘せよと、彼の時イウデヤ人はピラトに呼べり。彼は手を盥ひて、筆を以て、彼等の爲にハリストスの罪、衆に不死を賜ふ者を書せり。
不法の者はピラトに向ひて、ハリストスを去れ、之を去れ、十字架に釘せよと劇しく呼びて、定罪せられし者の如く殺さんことを求めたり。然れども是れ死者を起し、癩者を潔くし、血漏者を痊し、癱瘋者を健にせし者にあらずや。』
ピラトは其時無知の人人に向ひて呼べり、彼何の惡を行ひしに由りて、爾等は之を去れ、之を去れ、十字架に釘せよと甚しく呼ぶ、我其中に罪あるを見ず。然れども---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1079頁]---------------------
彼等愈號びて呼べり、之を去れ、之を去れ、衆人の救主を十字架に釘せよ。
鳴呼不法なるイウデヤ人、嗚呼無知なる民よ、爾等何ぞハリストスの奇蹟、其醫治の多きを記念せざりし、何ぞ其神たる能力を全く暁らざりし、昔の爾等の先祖の如く、今爾等も暁らざりき。
光榮、我が造成主よ、爾は我の爲に鞭うたれて、十字架に釘せられん爲に己を付せり、我の救を地の中に作して、世界に生命を流さん爲、爾の尊き血を以て爾に伏拜する者に不死を賜はん爲なり。
今も、生神女讃詞、主宰よ、爾の牝羊は十字架の側に立ち、爾の恒忍を見て、爾萬有の造成主の爲に哭けり。蓋爾は甘じて身を以て生れ、此を以て悉くの苦を忍び給へり、世界を救はん爲なり。
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---------------------[聖大木曜日 晩堂小課 1080頁]---------------------