なごや「聖歌」だより 15
2003年6月号
聖歌作者の聖人から
旧約聖書に出てくる
ユダヤの王ダヴィード。
部下ウリヤの妻との浮気発覚を恐れたダヴィド王は、彼を激戦地に送って死なせてしまう。後に、自分の罪深さに気づき、痛悔して歌ったのが50聖詠。
日曜日には、三時課や痛悔のお祈りで読まれ、早課でも歌われる。「神よ、爾の大いなる憐れみによって、我を憐れみ、爾が恵みの多きによって我の不法を消し給へ」
列王記2(サムエル記下)11章、第50聖詠(詩篇51番)
聖ロマン (生神女庇護祭のイコンの部分から)
聖人といえども、魔法のように歌がくり出せたのではありません。
以前にもご紹介しましたが、降誕祭のコンダク「今処女は」で有名な聖ロマンは、どうしても歌ができなくてうちひしがれて泣きながら祈っていると、生神女が現れ巻物を彼の口に入れ、あの美しいコンダクができたといいます。
やはり真剣に取り組み、悩み、苦しみ、大変な努力の末に自分の無力さを知って、初めて神の力が恩寵として受け取られたということではないでしょうか。
【編集後記】
ある、声楽家の話です。その人は歌を歌う時は、歌詞の内容を、一つ一つ辞書を引いて調べるのはもとより、作られた時代や作者の意図、背景を徹底的に調べるそうです。はて?と考えました。私たちは聖歌を歌うとき、そこまで徹底してやっているだろうか、と。ちょっと恥ずかしくなりました。もちろん聖歌の作者は、とどのつまりは神さまですが、はて、神さまの意図は?