なごや「聖歌」だより 1 2002年4月号
聖歌練習会 「主憐めよ」からもう一度
名古屋教会の「聖歌」としては初めての試みでしたが、去る3月3日に「主憐めよからもう一度」と題して、1日がかりの、ちょっと大がかりな聖歌練習会を開き、23名が参加しました。
松島姉から「聖体礼儀を一幕のお芝居にたとえて」という題で話があり、 午後からは、野村姉から、気持ちよく声を出すための発声指導、日頃なかなか時間が取れない「主憐れめよ」など初歩からの練習も行われました。質問や聖歌に対する思いなどのご意見もたくさんあり、また、同様の聖歌練習会を開きたいというご希望も出されました。お昼にはおいしいお弁当が用意されました。司会進行は廣石(淑子)姉が担当しました。
一幕のお芝居にたとえて 聖歌練習会のお話から 講師 マリア松島純子
正教会のお祈りは、「ひとり」ではできません。祈りをリードするもの、聖歌を歌うもの、読むもの、堂役、聖堂の世話をする人、さまざまな人たちのチームワークでなりたっています。一幕のお芝居にたとえて考えるとわかりやすいでしょう。(見せるための芝居ではありませんが。)
たとえば、ある役の人が「主に祈ろうよ」と声をかけているのに、忘れた頃に、「主憐めよ」と答えたのでは、だいなしです。また、聖歌だけが突出して上手でも、至聖所で祈られる司祭のことばや動きとバラバラでは、「成功」とはいえません。
聖体礼儀は、全員参加の「お芝居」です。セリフや歌がなくても、そこで静かに十字をきり、祈る人も大事な役を演じています。壁のイコンの聖人たち、生神女マリア様も一緒に参加しています。この祈りの監督は誰でしょう。個々の祈りをつかさどるのは、主教や司祭ですね。
では、総監督は?そうです。ハリストス、神さまです。
正教会の歌の名前には、「天にいます」など歌の冒頭をそのままとったものも多いのですが、その他に、よくわからない「カタカナ」名前があります。だいたいギリシア語かスラブ語です。
トロパリとかスティヒラというのは歌の詩の形から、アンティフォンやカタワシャは歌い方の隊形からついた名前です。
正教会の聖歌は、長い時間がかかって作られました。前の時代から受けついだものに、新しい歌が加わったり、時代や地域の必要から変化がおこりました。
最初は、ユダヤ教のお祈りの形を踏襲し、その中に即興の祈りを加えていったと思われます。キリスト教が公認され国教になり、大きな聖堂が造られるようになると、荘重な祈りの形が生まれました。さまざまな異端論争の結果、「正しい」教えを伝えるための歌も加えられました。ロシアや他のスラブ地方に広がっていくと、現地の言葉に翻訳され、歌のメロディも変わってゆきました。やがて、西洋音楽の影響を受け始ます。そして日本へ....
この2000年の積み重ねの集合体が、今の聖歌なのです。言ってみれば、神と人間が2000年のかかって織りなした共働作品が「正教会の聖歌」なのです。
聖詠(旧約聖書の歌)
聖歌の中で一番古いのは「聖詠」です。聖詠以外にも旧約聖書の歌が歌われますが、ここでは聖詠に含めて考えましょう。
聖詠はユダヤの人たちが何千年にもわたって、神を讃美するとき歌ってきました。聖詠の大半はダヴィード王が作ったとされています。イイススやお弟子さんたちも、ユダヤの民でしたから、会堂で一緒に聖詠を歌っていたと思われます。
キリスト教がユダヤ教と分かれて集まりを持つようになっても、「聖詠」を歌う習慣は受け継がれました。
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誦経者が読む「聖詠」も朗読とは違い、音の高さは一本調子ですが、一種の歌と考えられます。
また私たちが歌っている聖歌の大部分が聖詠から取られています。たとえば、日曜日の第1第2アンティフォン、領聖詞は聖詠そのままです。ポロキメンは聖詠の抜粋です。
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これら聖詠に加えて、キリスト教独自の新しい祈りの歌が作られ、聖詠と組み合わされてゆきました。それがトロパリやスティヒラです。
これについては次回お話ししましょう。
マメ知識
聖詠は正教会では「聖詠経」という1冊の本になっています。(2000円)
市販の新教の聖書では「詩篇」として含まれています。ただ、章分けの番号が若干違います