なごや聖歌だより
聖王ダヴィード
聖詠作者
2008年7月号

 5月21日から1週間、名古屋半田教会主催、西日本主教区協賛の巡礼団13名はモスクワ郊外の至聖三者聖セルギイ修道院に滞在しました。祈りの体験については場を改めて紹介するとして、ここ では聖歌にかかわるものの目から見た印象をお話ししたいと思います。

 至聖三者修道院は14世紀に聖セルギイによって始められたロシア最大の修道院のひとつで、敷地内には大小さまざまな教会があり、いろいろなタイプの聖歌が歌われています。
 たとえば中心聖堂であるウスペンスキー大聖堂では左右両隊に分かれた大規模な合唱聖歌、一番古いトロイツキーソボール(至聖三者聖堂)ではズナメニイ聖歌で聖体礼儀が行われています。併設の神学校や神科大学では、学生の実習を兼ねてさまざまな聖歌が歌われていました。
 どこに行っても感じたのが「聖歌は奉神礼である」ことでした。当然といえば当然のことですが、聖歌だけが突出することも、妨げになることもなく、他の要素と一体になって、聖堂に立つものを祈りに引き込んでゆきます。
 具体的に、何が違うのか考えてみました。
 まず、途切れ目がないことです。連祷、アンティフォン、連祷・・・。司祭高声の中からわき出すように次の聖歌が歌われ、聖歌の終わりから途切れ目なく連祷が続きます。聖歌隊のすぐそばで見ていましたが、指揮者は早め早めに次の歌を指示し、音を与えていました。勉強中の学生指揮者の場合は音取りに気を取られて、間が開いてしまうことがありました。ほかの部分がスムーズなだけに、動きが止められると、天国から地上に引き戻されるようなもどかしさを感じました。
 二つめは奉事の内容に合った的確な「テンポ(速さ)」です。ヘルビムの歌などは教役者の動きに合わせてゆったりと繰り返すこともなく大聖入を導いていました。 
 復活祭期中だったので、トラペズナヤ聖堂のアカフィストではパスハのカノンが歌われていました。これが「疾走する」と言っても過言でないほどのスピードで、それに合わせるように司祭が二人一組で聖堂両側から早足で全堂炉儀をしつつ、会衆に向かって「ハリストス復活」「実に復活」を繰り返し、中央の通路を至聖所に戻って行きます。それが何度も繰り返され、スピーディな聖歌と動作が一体になって、復活祭の喜びが駆け昇っていくような雰囲気を作っていました。
 選曲に関しても、大聖堂や主教祈祷にはより荘厳で華やかな歌が選ばれていましたが、全体としては私たちもよく知っているシンプルな歌が多く、聖歌そのものに注目を集めてしまうようなコンサート風な華美なものは見あたりませんでした。

ズナメニイ聖歌の祈り

 至聖三者聖堂(トロイツキー・ソボール)では5時半からのモレーベンで聖セルギイの不朽体に叩拝し、続いて聖体礼儀がズナメニイで歌われます。
 薄暗い聖堂の壁面は聖人たちのイコンで埋め尽くされ、早朝というのに人でいっぱいです。至聖所の小さな窓から細い朝日が差しこみ、天蓋付きの宝座の前で祈る司祭をぼんやりと照らしだし、光のすじの中を香炉の煙がたちのぼってゆきます。男声5−6人がズナメニイ聖歌を力強く歌い、古代教会で使徒たちと祈っているような感覚を覚えます。
 指揮者は小声で次のメロディを教え、手の動きで歌い方を指示してゆきます。ズナメニイにはイソン(通奏低音)を用いるところもありますが、ここでは大半がイソンのない全くのユニゾン(単音)で歌われていました。
 第1第2アンティフォンは聖詠全体を省略せずに単純なメロディの繰り返しで歌っていました。第3アンティフォンの「真福九端」も簡単なメロディの繰り返しですが、後半では句の間にスティヒラを挿入していました。
 平日は祈祷文とその上に書き加えたズナメニイの記号クリュキーだけを見ながら歌い、主日や祭日には五線譜に書き直したものも使っていました。
 祈祷後、指揮者のジノヴィ修道士にお話を聞くことができました。20世紀に入って西洋画風イコンからビザンティン・スタイル伝統のイコンが見直されたのと同様、17世紀以降西洋音楽風の合唱聖歌に押されてすっかり下火になっていたズナメニイ聖歌も、90年代から注目されるようになり、今ではかなりの数の教会で歌われ、小学校で教えているところもあります。至聖三者修道院はズナメニイ復興の中心の一つで、早くからテキストの再版などを行ってきました。
 ズナメニイに関心があるとお話ししたところ、五線譜に書き直した聖体礼儀の楽譜をくださいました。「日本語はスラブ語と語順が異なるし、音節数が多いので難しい点がある」と言うと、「ズナメニイは音の数がとても多いので、音節数が多い言語には適していると思いますよ」と励まされました。いただいた楽譜を見ながら真福詞の冒頭に日本語の歌詞をあてはめて歌ってみると、「とてもきれいですよ。わからないときは、私がアドバイスしてあげましょう」と微笑みました。
 また正教会聖歌の伝統として「一声で歌う」ことの大切さを強調され、今あるメロディでもかまわないからユニゾン(単音)で声を合わせて歌うことを勧められました。


祈りの声

 冷たい雨がやっと上がった月曜日、近郊のマフラにある聖ステファン女子修道院を訪ねました。修道女4人の重唱は美しく清らかで、彼女たちの浄められた心がそのまま顕れているようでした
 ハーモニーの確かさから見ても、優れた指導者がいて練習を積んでいることがうかがえました。もともと混声用に作曲されたものを女声の編成に変え、いろいろな国の聖歌の伝統も取り入れていました。帰りぎわに歌ってくれた「ムノガヤレタ」はルーマニアのメロディ、CDにはグルジアやビザンティンの聖歌も含まれていました。
 「Living Tradition生きる伝統」の意味を考えました。前の時代から伝えられた伝統を従順に受け取りつつも、それに固執も安住もせず、古い伝統を発掘したり、ほかの国の聖歌も歌ってみたり、伝統の中にあり、かつ今ふさわしい聖歌を自由に探し、試していました。
 修道院に滞在し、聖歌の「美しさ」とはなんだろうと考えました。修道士や修道女はこの世の芸術家のように「美」の探求も、創造もしません。それにもかかわらず、たとえようもなく美しいのです。
 聖歌は祈りの生活のなかにありました。奉神礼のなかにありました。祈りとは神との交わり、奉神礼はそこに聖神が働いて、神の国を顕す場です。ということは私たちが感じた美しさは神の国の美しさにほかなりません。
 ロシアの大修道院であれ日本の小さな地方教会であれ、奉神礼のひとつひとつに神の国が顕れると正教会は教えます。それを実現するためには、教会に集う私たちも、一層真剣に祈り、聖神の導きに耳を傾け、神の国を顕す器となるよう求められていることを修道院は教えています。