なごや聖歌だより | |
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生神女マリヤ アギア・ソフィヤ大聖堂 |
2007年8月号 |
省略しないで・・・
日本に限らず、街の教会ではどこでも、かなり省略してお祈りを行っています。正教会の奉事規則は修道院を基準にしていますから、普通の生活を営む信徒がもれなく行うことは不可能です。とはいえ「省略形」だけしか知らないと、全体像がわからず応用がきかなくなります。
8月17日から修道司祭のゲラシム神父さんをお招きして、できるだけ省略しないで、省略する場合も元のかたちが推測できるよう考えて奉事を行いました。
半田では平日晩課を行いました。いつもの土曜日には歌う「我が霊や(103聖詠)」も読み、「聖にして福たる」も門が閉まったまま静かに読みます。歌うのはスティヒラと最後の「生神童貞女や、慶べよ」だけでした。平日晩課は土曜日や祭日の前晩祷に比べると歌が少なく、ずっと地味なことが実感されます。
名古屋の変容祭の徹夜祷では、いつもは二つか三つに省略しているスティヒラも全部唱え、早課では「主は神なり」も輔祭の句ごとに4回歌い、カフィズマ(聖詠の読み)やセダレンもとばさずに読みました。
静かで長いカフィズマのあと王門が開き、ポリエレイ「主の名を讃め揚げよ」に続いて讃歌を歌います。今回は至聖三者修道院のやり方を真似て、讃歌の「生命を賜う」の一回めは神品が歌い、二回めからは間に聖詠の句をはさみながら聖歌隊が繰り返し歌い、炉儀が終わるのを見計らって、「光栄は父と子と・・・」「今も何時も・・・」に続いて「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ神や光栄は爾に帰す」を二回歌い、神品が三回目のアリルイヤを引き継ぎ、続けて「生命を賜う」をもう一度歌います。神品と聖歌隊の間に歌のキャッチボールができて華やかな構成になりました。
ゲラシム神父さんは「ティピコン(奉事規則)にはこう書いてあります。でも、ラウラ(至聖三者修道院)ではこうやっています。一般の街の教会ではこうすることが多いです」などと、ロシアの教会で行われている様々な方法をわかりやすく教えて下さいました。通常は一時間半ほどで終わる徹夜祷が三時間かかり、ちょっと大変でしたが、全体の流れや祭日の祈りの特徴が体験できました。
奉神礼と聖書4 新シリーズ
聖詠に親しむ
序に代えて
教会の楽譜を整理している友人からメールが来ました。「『主のけいしをまもり』ってどの祈祷書に出てるの?」
埋葬式の「道にきずなくして」に続く118聖詠の第2句です。日本では冒頭の2句だけが歌われますが、本当は176句にも及ぶ長い聖詠全体が歌われます。118聖詠は「ネポロチニ」とも呼ばれ、埋葬式だけでなく、死者を記憶する土曜日の早課や聖大土曜日の早課で歌われ(唱えられ)ます。
日頃「聖歌の歌詞」がどこからとられたかはあまり意識せずに歌っていますが、大半は「聖詠」そのものの引用、抜粋、あるいは聖詠をベースにして言い換えて作詞されたものです。今回のシリーズでは奉神礼の中に織り込まれた聖詠の句を取り出し、聖詠全体も眺めながら意味を考えていこうと思います。
ところで聖詠は旧約聖書に含まれ、一般に詩編と呼ばれます。もともとユダヤの民が神を讃えたり、祈ったり、嘆いたり、助けを求めたりした歌ですが、キリスト教徒たちは旧約の歌である聖詠をハリストスの預象(ハリストスにおいて実現されることが、旧約時代にあらかじめ知らされていた)の歌として見、自分たちの祈りの中に織り込んで歌ってきました。
ビザンティン時代、修道院でない街の教会ではかなり早い時代からトロパリなどの新しい聖歌を聖詠の句の間に挟み込んで歌いました。パスハの始まりや祭日の第三アンティフォンに昔のかたちが残っています。
またエジプトやパレスティナの砂漠の修道院では聖詠がたくさん用いられました。祈りのために砂漠に出て行った修道士たちは日に何度も聖詠を唱えました。彼らは聖詠をすべて暗記していました。後に主教が修道士から選ばれるようになったときも、候補の条件の一つが「聖詠経」を全部暗記していることだったそうです。「時課経」(ホロロギオン)はパレスティナの聖サワ修道院での祈り方に合わせて聖詠経を編集したものです。
時代が下って七世紀、八世紀、修道院の祈りと街の教会の祈りが次第に統合され、聖歌の詩作の中心が修道院に移り、聖詠と密接に結びついた聖歌が作られました。
今でも聖体礼儀のアンティフォンや晩課の『我が霊』は聖詠の句の抜粋(聖詠全体を歌うこともある)が歌われ、ポロキメンは祭日のテーマに合わせて、2句から4句が選ばれます。晩課の『主や爾によぶ』では140、141、129、116聖詠の終わりの方の句の間にスティヒラと呼ばれる歌を挟み込んで歌います。
特に修道院では聖詠誦読が大切にされ、150編を20区分(カフィズマ)して毎日の日課のなかに配分し、1週間で全部を読み終わります。大斎中は週に2回どおり読むように組み込まれます。
聖詠経を開いて口に出して唱えてみてください。あちらこちらに「聞いたことのあることば」、「お馴染みのセリフ」が見つかります。やはり聖詠は読むものというより唱えるもの、歌うものです。
(118聖詠そのもののについては次号で解説します)
『聖詠経』と口語訳(新共同訳)聖書の『詩編』の番号の違い
正教会では伝統的に70人訳と呼ばれるギリシア語聖書を用いてきたので番号のふり方が一般の聖書と異なります。番号の違いは以下の通りです。
1から8聖詠まで 同じ
9聖詠は詩編の9と10
10から112聖詠までは1を足す(例:50聖詠は51詩編)
113聖詠は詩編の114と115
114聖詠は詩編の116:1-9
115聖詠は詩編の116:10-19
116から145聖詠までは1を足す
146聖詠は詩編の147:1-11
147聖詠は詩編の147:12-20
148から150聖詠まで 同じ。