なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院ペテルブルグ 2006年3月号

西日本主教区冬季セミナー資料から

みんなで歌おう、聖体礼儀


 今月号は先日大阪で開かれた西日本主教区の冬季セミナーの実習資料をお届けします。連祷、信経、天主経などを全員で歌い、アンティフォンは左右に分かれて掛け合いで歌いました。
 領聖詞のリフレインは誰でも歌える覚えやすいメロディで、くりかえすうちに、小さな子供たちまでも輝くような笑顔で参加していました。聖堂いっぱいに神に出会い、神と交わる喜びがあふれていました。
 声をひとつに心をひとつに歌うとき、天と地の教会はひとつになり、文字通り「神の国のイコン」になるのです。

ステップ 1 聴いて歌おう

連祷--受け答えの決まり文句を覚えよ



ステップ 2 みんなで行こう 

今回のセミナーでは、「内容を理解して歌う」ことも取り上げました。歌詞の語句の理解だけではなく、奉神礼全体の流れを理解して歌うことが大切です。聖体礼儀の最初は、「神のことば」を聞くことへ向かう「動き」があります。今はアンティフォンも行列も行われませんが、その心を感じて歌うことは大切です。


アンティフォン-神の国への行進曲

 聖体礼儀の始まりに3つのアンティフォンが歌われます。アンティフォンというのはanti・phone「音vs 音」という意味で、左右の聖歌隊が交互に歌う歌い方を言います。昔のビザンティンの街の教会で行われていた歌い方です。
 アンティフォンは教会へ向かう行進曲です。その日聖体礼儀が行われる聖堂に向かって、総主教や皇帝も一緒に行進してゆきまます。ソロの聖歌手が左右の聖歌隊をリードし、人々はリフレイン「救世主や、生神女の祈祷によって我等を憐れめよ」を繰り返して唱和します。街の広場ではリティヤを行い、そこにいる人々も次々と行列に加わります。
 聖堂の門の前に着くころには数千の群衆にふくれあがり、そこでその日の祭りのテーマソング「トロパリ」を何度も歌い、門が開き一斉に教会の中に入っていきます。これがもともとの「聖入entrance」の意味です。ちなみに「王門」は皇帝と総主教だけが通る特別の門のことで、アギアソフィア大聖堂にはほかに54の入り口があったそうです。
 ロシアの伝統を継承した日本では、主日には第102聖詠(103詩編)、第145聖詠(146詩編)から選ばれた句と真福詞(マタイ6章)を歌います。
 いずれにしても、アンティフォンには神の国へ入っていく動きがあります。わたしたちのたましいに神の国への歩みを促しています。そこにはハリストスの福音が待っています。











行進して、聖堂の前でトロパリを歌って・・・何か思い出しませんか。
そう、復活祭の十字行とパスハのトロパリです。復活祭の夜、暗闇を歩いて、光り輝く聖堂に入っていくのと同じことが、毎週行われているのです。復活祭や五旬祭の奉神礼には最も古い形が残っていると言われます。



替え歌で歌うためのセット--八つの調
 聖体礼儀の三つのアンティフォンは一般的にトロパリ1調のメロディで歌われています。飾りの付け方に多少の違いはありますがメロディはだいたい同じです。楽譜のなかった時代「替え歌」はとても便利な方法で、多くの聖歌が「替え歌」で作られました。簡単に言ってしまえば、その替え歌のセット(歌詞の韻律リズム、音階、旋律定型)を八つに分類したのが「八調」です。
 ロシアでは一般的に、トロパリ1調といわれたらこのアンティフォンのメロディや「十字架のトロパリ」と同じメロディ、トロパリ4調なら「使徒と等しく同座なるもの」、8調は「常に福」と同じです。国によって地域によっていろいろなメロディのセットがありますが、「替え歌」セットで歌うという原則はどこの正教会にもあります。
 今日は楽譜を離れて、ドドレミミ ドドレミファ・・というおなじみの1調のメロディを心に思い浮かべて、歌詞を見ながら正教会伝統の「替え歌」の手法で歌ってみましょう。


ステップ 3 みんなでいただこう

領聖詞-待ちに待ったご聖体

「聖体礼儀」の究極の目的はご聖体を頂くことにあります。集まって、神を讃美し、神のことばを聴き、捧げものをし、祈り、とうとうご聖体を頂くときがきました。「領聖詞」はその喜びの歌です。
 初代教会時代では神品も信徒も一緒に領聖していましたから短い領聖詞で十分でした。信徒の数がふえ、聖堂が大きくなって、至聖所が区切られるようになり、領聖も別々に行われるようになったために神品領聖の時間を満たす歌が必要になってきました。
 ビザンティンや中世ロシアでは、領聖詞に装飾音をたくさんつけて引き延ばして歌いました。近代ロシアではコンツェルトという華やかな合唱曲が歌われ、日本ではイルモスなど適当な歌が歌われてきました。
 夏の講演会ではモロザン博士が簡単なメロディの領聖詞を会衆がリフレインとして歌い、ソロの聖歌手が聖詠の句を歌う会衆参加の領聖詞の歌い方を紹介してくれました。10世紀ごろビザンティンで行われていた手法です。
 ティピコン(奉事規則書)や祈祷書には領聖詞のほかに何を歌うべきという規定はありませんが、領聖を目前にした期待と喜びあふれる歌、領聖に向かって進んでいくような歌がふさわしいのではないでしょうか。


 


聖書のことばや聖書の内容をテーマにしているという共通点はありますが・・・・

 聖歌のことばの大半を占める聖詠(詩篇)はダヴィド王(ダヴィデ)が書いたと言われます。ふたつのダヴィド像随分雰囲気が違いますね。聖歌に対する考え方の違いは、イコンと比べるとよくわかります。

 ルネサンス以降、西洋では人間中心主義が主流になり、音楽や美術は礼拝から切り離され自由に発展しました。これはミケランジェロという作家がイメージし表現したダヴィドです。宗教音楽でも、○○作曲のミサ曲と言われるように、作曲家個人の創造性や個性が重視され、聴衆に聴かせるのを目的にするようになりました。発信源は作者です。

 それに対して正教会は「神が主」というキリスト教の考え方をかたくなに守ってきました。聖歌は教会が讃美を捧げ、神のメッセージを伝え、神と交わるためのもので、常に奉神礼のうちにあり、教会という共同体に属するものと考えます。人間中心ではなく神中心です。神が発信するものを受けて描きます。正教会のイコンは作者の個性ではなく、教会がどう伝えてきたかが重要視され原則的に無記名です。
 聖歌の伝統とは単に古い形を盲目的に守ることではありません。それぞれの時代、聖歌者たちは現実の教会の課題を見極め、祈りを通して神の意図に耳を傾けながら多彩な聖歌を作り神の旨を表してきました。
 私たちには豊かな聖歌の伝統が与えられています。教会の現状をよく見て、神の愛を伝えるのに最もふさわしい聖歌、最も美しい日本語の祈祷文を活かす聖歌を探してゆく努力が必要でしょう。いつか本当の日本正教会の聖歌が生まれます。



楽譜は便利 でも要注意

 「聖歌は楽譜どおり歌えばよい」のではありません。聖歌譜はト音記号やヘ音記号の五線譜と思っている方がありますが、伝統的な正教会聖歌の楽譜は五線譜ではなく祈祷文の上に書かれた記号(ネウマ)です。五線譜は西洋音楽で発展したもので作曲家の意図を演奏者に正確に伝えるために考案されました。合理的で大変便利な道具なので、正教会でも聖歌譜に使われるようになりました。
 しかし、音符どおり正確に歌うだけでは聖歌になりません。音符にガンジガラメになると「ことば」がおろそかになり、内容がないがしろになってしまいます。また楽譜ばかり見て自分と楽譜の世界に閉じこもり、「聴く」ことを忘れ、まわりとの調和がなくなり、バラバラになってしまいます。
 ギリシアでは今でもネウマ記号を使っていますが、これは楽譜というより歌い方の目安で、聖歌は教会で一緒に歌いながら覚えるもの、師から弟子へと伝授されるものです。
 聖歌のリズムを作るのはことば自体の音楽と教会にある「祈りの息」です。楽譜だけにたよらずに、それを感じてみましょう。
 まず、ことばを何度も唱えて味わう、そこには言語の自然なリズムやメロディがあります。音楽はそれを活かすものです。ことばと音楽が一体になって初めてよい聖歌が生まれます正教会の奉神礼は共同作業です。祈祷書に書かれた祈りのことばをたくさんの人が分担して唱え、歌います。互いの「祈りの対話」を聴いて下さい。そこにあるリズムを体で感じてみましょう。息が一つになって、心が一つになったとき、本当のハーモニーが生まれます。生き生きと自由でありながら一つになった「三位一体」の神と同じハーモニーです。







ビザンティン・チャントのネウマ
これは日本語のパスハのトロパリにビザンティンのメロディをつけてもらった。





ロシアのズナメニイのネウマ記号で、クリューキ((鉤)と呼ばれる。










原則は西洋音楽の五線譜と同じ。キエフ表記と呼ばれる。






ロシアの楽譜
 ビザンティンから聖歌が伝えられたロシアでも、クリューキとよばれる聖歌記号(図2)が用いられました。原則はビザンティンと同じで、祈祷文の上に歌い方が示されています。
 下は西洋音楽の影響を受けて五線譜に四角音符で書かれた楽譜(図3)です。棒の短くて上に突き出ているのが2分音符、長いのが4分音符にあたります。よく見ると音符の長さよりもことばが読みやすいように配慮して音符が並べられています。たとえば一行目の最後のゴスポダГоспода(主)のГосにたくさんの音符がつめて配置されています。
 また左端の記号がドの位置を表しますが、ドの音の高さは絶対的ではなく、極端なことをいえば歌い手の声域に合わせてどこから出てもいいことになります。日本の明治の横長楽譜も左端に「く」のような記号が書かれていますが、同じ意味です。今ヘ長調やハ長調の五線譜に書かれているものも、もともとこういう楽譜に書かれていたものを書き直したものですから音の高さは絶対的なものではありません。
 今でもロシアでは基本的な歌は楽譜ではなく、聞き覚えている八つの調のパターンにあてはめて歌い、フレーズの区切り方や音のあてはめかたなどは聖歌者に任されています。明治日本ではそれが難しかったので、ニコライ大主教は暫定的にすべて楽譜に書き下ろしましたが、正教会の聖歌の伝統からみても楽譜は絶対的なものではありません。