なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院ペテルブルグ 2006年2月号

聖歌を一緒に歌いましょう

 名古屋では、新しく来られた方や、久しぶりに参祷された方にも、「ご一緒にいかがですか」と聖歌にお招きしてきました。最初はおずおずと主旋律について歌っていた方も、いまや4部聖歌のパートをしっかり支えておられます。

 もっぱら上手な聖歌隊が美しい合唱聖歌を歌うようになったのは近代ロシアになってからのことです。もともと正教会の奉神礼は会衆が参加する、教会全体の仕事でした。
 確かにビザンティンの時代から聖歌者、聖歌隊「PSALTES」と呼ばれる人たちがいました。しかしその役割は今の聖歌隊とはだいぶ異なり、聖詠を全部暗記していて聖歌をリードできる人のことでした。当時は多くの人が文盲で、楽譜はもとより祈祷書も希少な写本でしたから皆が手に持って見ながら歌うことはできません。そこで聖歌者は代表で祈祷書を見ながら日替わりのトロパリやコンダクを歌い、聖詠の句を歌って聖歌をリードし、人々は覚えやすいリフレイン(繰り返し)の部分や連祷の応答句を歌って参加しました。
 もともと奉神礼に積極的に聖歌を取り入れたのは修道院ではなく街の教会でした。街に住む普通の人々を正しく導くためでした。聖歌の歌詞にはたくさんの教えが含まれています。「神の独生の子」や「信経」などの大切な教義も繰り返し「歌う」ことで知らないうちに身に付きます。聖人たちが聖神に満たされて書いた歌は聖書の解説書となっていて、歌っているうちに正教会の理解にもとづいて聖書を学ぶことができます。さらに祝いのテーマは適切な音楽と結びつくことによって、より実感のあるものとなります。そして何よりも、教会に集まったすべての人が、それぞれの役割を全うしながら、心を合わせ、声を合わせて神に向かって祈り、ご聖体を分かち合うとき、神が望まれた人間本来の姿が回復します。教会は「ハリストスの体」、「神の国のイコン」となり、人々はそれを体験します。
 会衆参加の方法はいろいろあります。聖歌全部を全員が歌うのもひとつの方法ですが、ビザンティンのようにリフレインや連祷だけ参加する方法、リーダーが先導してオウム返しに繰り返して歌う方法もあります。
 もちろん合唱聖歌も楽しいですから大いに楽しみましょう。そのとき密集(ヘ長調で主に書かれている狭いハーモニー)のものを選ぶと音域に無理がなく主旋律がとりやすいので、初めての方や合唱経験の少ない方でも参加しやすくなります。


聖歌者ロマンと一緒に歌う教会。ロマンだけが巻物(祈祷書)を持っている。(生神女庇護祭のイコンから















連載



3.教義を歌う--神の独生の子

神の独生の子 ならびに言よ、
死せざる者にして、我等を 救わんために 甘じて 聖なる生神女、永貞童女マリヤより 身を取り、
[神の]性を易えずして 人と為り、
十字架に釘うたれ、死をもって 死を踏み破りし ハリストス神よ、
聖三者の一として、父 及び 聖神と共に さんえい讃栄せらるる主よ、
我等を 救い給え。
 (※[神の]は祈祷書にはない。聖歌譜のみ)

神のひとり子、神ことば、
死なない者であるのにもかかわらず、私たちを救おうと、あえて生神女、永遠の処女マリヤから肉体をとり、
本性を変えずに人となり、十字架に釘うたれ、
死によって死を踏み破ったハリストス神よ、
至聖三者の神のひとつとして、父と聖神とともに讃栄される主よ、
我等を救ってください。

 第2アンティフォン(145聖詠)が歌われたあと、「光栄は父と子と聖神に帰す、今も何時も世々にアミン」に続いて、「神の独生の子」が歌われます。日本では第2アンティフォンの「我が霊」が省略されていることが多いので、この歌が第2アンティフォンと思っている方がありますが、別の歌です。

 これは6世紀の皇帝ユスティニアヌス(ユースティン)が作ったと言われます。ユスティニアヌスは政治的にもビザンティンの黄金時代を作った皇帝ですが、信仰熱心で神学論争にも積極的にかかわり公会議を招集しました。この歌の中でも、ハリストスが神の本性と人の本性の二つを完全に持っていること、至聖三者の神の一つであることなどが確認されています。

 この歌はもともと第3アンティフォンの最後、聖入の前に、聖堂の前庭で会衆全員によって歌われていました。教会が、歌うことで民衆に正しい教義を教えようとしたためです。


聖書との関わりで見ていくと、たとえば

神の独生の子 ならびに言よ
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった(イオアン1:1)。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた(1:14)。

死せざる者にして、我等を 救わんために 甘じて 聖なる生神女、永貞童女マリヤより 身を取り、[神の]性を易えずして 人と為り、
(ルカ1:26~38、2:1~21)受胎告知と降誕の話。

十字架に釘うたれ、死をもって 死を踏み破りし ハリストス神よ
(各福音書の復活の話、コリント前15章)などがあります。


参考資料:新共同訳聖書、「聖体礼儀注解」(ニコラス・カバシラス)、正教基礎講座「奉神礼」「教義」(トマス・ホプコ著) 「正教会455の質問」(スタンリー・ハラカス)「ビザンティン奉神礼の発達」(P.メイエンドルフ講演)「キリスト論論争史」(水垣渉、小高毅)


初めて聖歌を一緒に歌ったときのこと
 
 今から20年近く前、親戚の葬儀がありました。高松には聖堂がないために自宅で行われましたが、徳島から小川神父さまと聖歌隊の方が7、8人来られて埋葬の聖歌を歌って下さいました。親族も、小さな冊子を手渡され、ロウソクを持ってお棺の横で一緒に歌うように誘われました。今考えてみれば、それが最初に聖歌を歌った体験です。
 やがて家族で横浜教会に通うようになったとき後ろの方に座っていたら、聖歌隊の方が楽譜を持ってきてくださいました。まもなく「こちらにどうぞ」と誘われて聖歌隊席で一緒に歌わせて頂くようになりました。
 あのとき小さな冊子を頂いたこと、楽譜を持ってきて下さった心遣いが教会や聖歌に馴染んでいくきっかけになったと思います。
 一緒に歌うことは楽しいことです。これからも多くの方をお誘いして、喜びを分かち合っていきたいと思います。