なごや聖歌だより | |
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福音者聖イオアン修道院 ペテルブルグ |
2006年11月号 |
聖体礼儀は一息で
ロシアの聖体礼儀や晩祷に参祷しました。何より感心したのは、お祈りの最初から最後まで中断せず一息に行われていたことです。連祷から聖歌へ、聖歌から誦経へとなめらかに進んでいきました。
ダニロフ修道院の聖歌指揮者は「聖体礼儀は最初の高声『父と子と聖神の国は崇め讃めらる』から最後の『アミン』までが一体でなければならない。だから頻繁に音の取り直しが必要になるような調(キー)の変化は極力避けるべきだし、全体の一体感にも配慮して選曲する」と話されました。実際途中の音取りはほとんど行われていませんでしたし、必要な場合でも司祭や輔祭が最後のことばを唱え終わる前に小声ですばやく音を与えていました。
正教会の奉神礼は「神と出会う場」です。特に聖体礼儀はハリストスのことばを聴き、ハリストスの体と血をいただきます。教会そのものが天に上げられていきます。
自動車で上り坂を進んでいくとき、何度も何度も止まってエンジンをかけ直していたらエンストしてしまいます。聖歌も何度も止まって、そのたびにヨッコラショと音を取りなおしていたのでは、聴いている人も気が散って「神の方へ向かって」行く気持ちが薄れてしまいます。
指揮者だけでなく歌う側も、司祭が高声で「今も、何時も世々に」を唱えるときには「アミン」と歌う用意をしています。連祷も「主憐れめよ」を歌う準備をして、指揮者の指示を待ち、揃ってでます。指揮者の指示を見てから慌てて用意したのでは間に合いません。
また連祷の最後の「アミン」を歌う時には、次のページをめくって、次の歌を歌う用意をしています。リレーのバトンタッチと同じです。走り出す用意をして待ちかまえていましょう。
聖歌のくふう
結婚式
ルーマニア語の
「イサイヤよろこべよ」
10月8日と15日、ルーマニア人と日本人のカップルの結婚式が行われました。異国に暮らす人たちに少しでも喜んでいただけたらと「大連祷」と「イサイヤ慶べよ」をルーマニア語で練習して歌いました。
この「イサイヤ慶べよ」はビザンティン・チャントのメロディで、名古屋大学で勉強中のルクサンドラさんのお母さんスマグラダさんが楽譜を探して下さり、オアナ・ムラルさんが発音指導してくださいました。
ルーマニア語では「イサイヤ踊れよ。」新郎新婦や保証人が輪になってアナロイのまわりを巡る美しい歌です。
こどもたちの「主日領聖詞」が定着しています。
8月27日の「こどもお泊まり会」以来、領聖詞の句の誦経は参祷した子供たちが交替で行っています。日によって一人だったり、三人だったりしますが、だんだん上達しています。
連載
信者の礼儀
10.増連祷と安和の接吻
領聖準備--愛と信仰
連祷の始まりに「献げたる尊き祭品のために主に祈らん」と、大聖入で宝座に移された機密の献げもののために祈ります。今そこで起きようとしていることのため、祭品のパンとぶどう酒が成聖され、ように祈ります。
機密の献げものを行うためには信徒が果たすべき条件があります。それは愛と信仰です。これから機密の献げものを行うためには、私たちが互いに祈り合い、愛に結ばれ、一つの信仰に結ばれた集まりであることが不可欠です。
マトフェイ伝5:23-24には「祭壇(宝座)に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい」と書かれています。
またローマ書にも「心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イイスス・ハリストスの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。だから、神の栄光のためにハリストスがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい(15:6)」と愛による一致の大切さが述べられています。」
司祭は「衆人に平安」(皆さんに平安があるように)と唱え、私たちは「爾の神°にも」(あなたのとたましいにも)と答えます。続いて、輔祭は「我等互いに相愛すべし、同心にして承け認めんがためなり」と唱え、聖歌隊が「父と子と聖神一体にして分かれざる聖三者を」と続けます。
このとき、複数の神品がいるときは、「ハリストスは我等の間にあり」「誠に在り、また長く在らんとす」と呼びかけあいながら互いに接吻し合います。昔は神品だけでなく信徒も互いに接吻し合い、愛の集まりを確認します。
愛なくしては生命も真理も神との交わりもあり得ません。「神は愛だからです(1イオアン4:8,16)」
ロシア聖歌紀行
9月6日から3週間、モスクワとペテルブルグの教会や修道院を訪れ、晩祷11回、聖体礼儀には10回参祷し、聖歌指揮者の方や聖歌学校の先生からお話を聞いてきました。
ロシアでは教会の形がそれぞれ違うように、教会によってさまざまな聖歌が歌われていました。教会の大きさや聖歌隊のメンバー構成、祭の大きさなどに合わせて聖歌の内容が工夫されていました。たとえば日本でもおなじみの聖歌はオビホードと総称されますが、聖歌隊の編成や規模によって和声を色々に展開していました。合唱聖歌ばかりでなく、ズナメニイという美しい単音聖歌を実施している教会もたくさんありました。
日本では省略されることの多い第2アンティフォンやアリルイヤの句は、どこの教会でも祈祷書どおり歌われていました。
ペテルブルグの北東にあるワラーム修道院に滞在しました。ここは美しい聖歌で知られていますが、聖歌主任のダヴィード修道司祭に名古屋の聖体礼儀を聞いて頂きました。「いい聖歌ですね。ここには祈りがあります。教会は大きくなりますよ」、また「ニコライ大主教の遺志をついで、これからも日本の文化の中にハリストスを伝えるように」と言われました。
詳しいレポートは「正教時報」に掲載されます。