なごや聖歌だより | |
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福音者聖イオアン修道院ペテルブルグ | 2006年1月号 |
他の教会に行ったら
仙台教会の主教祈祷に参祷し、聖歌隊で一緒に歌わせていただきました。「我が霊」「ヘルビム」「平和の憐れみ」などは名古屋では歌っていない曲だし、連祷などもハ長調の広いハーモニーで歌われ、細かい抑揚も幾分違いがありました。正教会はこういう違いをどう考えているのでしょうか。
この日は私のほかに、アメリカやロンドンの聖歌隊で歌っておられた方も参加しました。他の教会で歌わせていただくとき何に気をつけたらよいでしょうか。
ロシアには「郷に入っては郷に従え」の意味で「ある修道院のティピコン(奉事規則)をよその修道院に持ち込むな」ということわざがあるそうです。教会や修道院ごとに多彩な聖歌が歌われ、同じメロディでも歌詞のあてはめ方、ハーモニー付けなどが違うのはありふれたことです。
日本でも他の教会に行って聖歌に参加させてもらうときは、そこの流儀に従うのが礼儀でしょう。似ているようでも各教会で育まれた特徴、雰囲気、なまり、クセがあります。それは正教会ではとても自然なこととされます。指揮者の指示に従って下さい。馴染みのない歌は聴かせていただけばいいし、歌えそうなら小声でついていけばいいでしょう。よく知っている歌はかえって、もっと注意が必要です。自分の教会以上に指揮者の指示や聖歌隊の歌い方に注意して下さい。同じ歌でもテンポや細かい抑揚がずいぶん違います。日頃の癖のまま大声で歌ったら流れを乱してしまいます。
今回仙台で特に印象に残ったのはことばの歌い方の美しさ、とくに「ん」をきれいに歌っていたことです。「なんじ」「てんに」などの場合、「な」や「て」に軽いアクセントが置かれて日本語らしく歌われ、また「復活」も「ふくかつ」ではなくはっきり「ふっかつ」と歌われていました。見習いたいと思いました。
また聖堂の響きがよいため自分の声が反響して聞こえ、周りの声とのバランスが確認できます。名古屋の場合残響音がほとんどないので、どうしても大きな声を出しすぎてしまいます。新聖堂はぜひ音響のいい聖堂にしたいですね。
2月に大阪で合同聖体礼儀が行われます。前半は全員参加で、後半は大阪教会の聖歌隊と歌います。全身を耳にして指揮者の指示に神経を集中してください。声を出す前にまず「聴く」ことです。
連載
2.神の国への行進曲
第1、第2アンティフォン
「我が霊よ、主を讃めあげよ」 102聖詠、145聖詠
正教会の奉神礼はさまざまな時代のさまざまな教会で編み出されたものが複雑に積み重なってできています。
今までも何度かお話しましたが、聖体礼儀のアンティフォンはもともとコンスタンティノープルで行われていた市中行列の歌でした。日曜日はそれぞれの教会で聖体礼儀が行われましたが、祭日には祭を記念する聖堂で街中がひおつになって聖体礼儀が行われました。総主教も皇帝も街中の人が一緒にアンティフォンを歌いながら市中を練り歩いてゆきます。聖歌者が聖詠の句を歌ってリードし、人々は「救世主や、生神女の祈祷によって我等を救い給え」というリフレインを歌いながらついて行きます。聖堂の前に着くと、祭りのテーマソングであるトロパリを何度も歌い、「聖入」で一挙に聖堂に入って行きました。後に外で行われていたアンティフォンが聖体礼儀の一部として取り込まれ、大連祷も付け加えられました。
今も主宰の祭日のアンティフォンに古い形が残っています。ギリシア系の教会では日曜日も「救世主や、生神女の祈祷によって」を聖詠の句にはさんで歌っています。日本などロシアの流れをくむ教会ではエルサレムの聖サワ修道院の伝統に則ってティピカの聖詠と呼ばれる第102、145聖詠が歌われます。いずれにせよアンティフォンは神の国へ向かう行進の歌ですから、「主を讃め揚げに行こうよ」と呼びかけ、「神の国」で福音を聴き、ご聖体へ向かって進む動きを促すようなメロディや歌い方が望ましいと思います。
またアンティ・フォンというのは声対声という意味で、本来2隊に分かれて掛け合いで歌う歌です。祈祷書(連接歌集、聖体礼儀の次第)にも「右列」「左列」と書かれています。モロザン博士も講演の中で強調されていましたが、「聴く」「歌う」が交互に行われるアンティフォンは祈りへ積極的参加を促し集中力を高めます。また聖堂の左右から声が飛び交うことによって、一方からだけでは得られない躍動感や一体感が生まれます。
聖詠(詩編)を読もう
聖歌の大半は聖詠(詩編)から取られています。正教会では聖詠は独立した祈祷書「聖詠経」として編纂され、教会の公祈祷時だけでなく日常でも頻繁に読むように教えられています。日本正教会訳の「聖詠経」も復刻出版されていますが、意味を知りたいときは口語の聖書の「詩編」と比較して見るとよくわかります。聖詠と詩編は章番号が異なりますが、大半の聖詠(9~149聖詠)は番号に1つ足すと詩編の章番号になります(例えば50聖詠は51詩編)。
第1アンティフォンは102聖詠(103詩編)の抜粋です。修道院などでは全編が歌われますが、今日本では、全体の2割ほどの長さに省略されています。
1行め「我が霊よ、主を讃め揚げよ、主よ爾は崇め讃めらる」は聖詠に含まれていません。会衆によるリフレイン(繰り返し)部分の名残だと言われています。
正教会訳と新共同訳をならべてみましょう。
第1アンティフォン
我が霊よ、主を讃め揚げよ、主よ爾は崇め讃めらる(リフレインとして付け加えられた部分)
<正教会訳102聖詠>
我が霊よ、主を讃め揚げよ、我が中心よ、其の聖なる名を讃め揚げよ。
我が霊よ、主を讃め揚げよ、彼が悉くの恩を忘るるなかれ。
彼は爾が諸々の不法を赦し、爾が諸々の疾を癒す、
<新共同訳103詩編>
わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し
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日本では第2アンティフォンは省略されることが多いのですが、本来は祭日同様、第2アンティフォンを歌ってから「神の独生の子」を歌います。
参考資料:新共同訳聖書、「聖体礼儀注解」(ニコラス・カバシラス)、正教基礎講座「奉神礼」(トマス・ホプコ著) トマス・ホプコ講演集CD「天主経」 、「正教会455の質問」(スタンリー・ハラカス)「修道院の礼拝と大聖堂の祈り」(P.メイエンドルフ講演)