なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院
ペテルブルグ
2006年6月号

最高のささげもの

 創世記にアダムとエヴァの息子カインとアワェリ(アベル)の献げものの話があります。地を耕すものとなった兄カインは地の産物をもってきて捧げものとしました。羊を飼うものとなった弟アベルは群れの初子と脂膏を献げました。
 神はアワェリとその捧げものを顧み、カインとその捧げものを顧みませんでした。嫉妬したカインは弟を野原におびき出して殺してしまいます。

 シリアの聖エフレムは「アウェリは献げものを『吟味した』が、カインは捧げものの選択にあまり注意を払わなかった。神がカインの献げものを拒んだのは献げものの仕方を教えるためであった」と説明しています。     

ロシアやヨーロッパに旅行すると、街の中心に美しい教会が建っているのを見かけます。時には街の質素な様子と不釣り合いなぐらい立派なものもあります。内部は見事なモザイクやフレスコのイコンで飾られ、福音書や十字架には金銀の装飾がふんだんに用いられています。いつの時代にも人々は最高のものを選んで献げ続けてきました。

 聖歌も神への献げものです。神はアワェリの献げものが羊だから喜んだのではなく、「よいもの」を選んで献げる姿勢を喜ばれました。ですから、カインはカインの産物の中からよいものを選べばよかったのです。

 形式や外観さえ守っていればよいのでしょうか。意味も考えず、無造作に口先だけで歌う聖歌は献げものにふさわしいですか。練習もせずブッツケ本番で歌う姿勢を神はお喜びになるでしょうか。言葉を言葉として確認しながら歌う、意味を考えて歌う、周りの声を聴いて合わせる、指揮者の指示を見る、柔らかな声でていねいに歌おうと気をつけることはすぐにできます。不思議なことですが、「意識する」だけで歌はずいぶん違ってきます。

 技術的に難しい歌をムリして歌う必要は全くありません。ロシア聖歌には声域声量の大きなロシア人のプロ用に作られたものもあります。私たちは日本語や日本人の声の質に適し、それぞれの教会の技量にふさわしいもの、神のことばのよく伝わるものから一番よいものを献げます。

 行事に追われてなかなか練習時間がとれない現状ですが、聖体礼儀の後、代式祈祷の後、また朝9時15分ぐらいから声出しの発声練習をしています。ご参加下さい。 


最近の練習から

「ア~~ミ~ン」ではなく「アミン」
ついついクセで「ア~~」とのばして歌いたくなりますが、ことばのアクセントから言っても、「アミン」です。また意味から言うと「アミン」は司祭の呼びかけに対して「そうです」とか「そうなりますように」という同意を表しています。あまり間延びしては返事になりません。

「主 憐れめよ」
「主」と呼びかけた後、「憐れめよ」をあらためて置き直すように歌います。「しゅ」と「あ」がくっついてしまうと、何を歌っているのかわからなくなります。

ことばの冒頭をはっきり
信経や最後の「ヘルビムより尊く」など、まっすぐで歌うものは注意しないと、慌てて転がってしまったようになりがちです。これでは聞いている人にもわからなければ、歌っている方も大あわての早口言葉になってしまいます。
ことばの冒頭に軽いアクセントをつけてみます。「われしんず・ひとつのかみ・ちち・ぜんのうしゃ」ことばを置き直すと言ってもいいでしょう。ギリシア系の教会では信経は歌わずに読むのがきまりです。ここは「読む」つもりで、もう一度丁寧に歌ってみましょう。


啓蒙者の礼儀
6.神の国への入場 2


「聖三の歌」

聖なる神、
   聖なる勇毅、
     聖なる常生の者や、
           我等を憐れめよ

(聖天主、聖勇毅、聖常生なる者や、
           我等を憐れめよ)


 ビザンティンでは外敵が攻めてきたり、地震や災害があったりしたときには街の各所でリティヤを献じ、「主憐れめよ」をたくさん唱え、街全体が悔い改めの意を表しました。伝説によれば5世紀、総主教プロクルのとき大地震があり、街中が神の憐れみを乞うていました。すると一人の少年が天に上げられ天使の歌う「聖なる神・・・」の歌を聴き、人々に教えて歌ったところ地震がおさまったといわれます。

 やがて「聖三の歌」は聖入歌として歌われるようになり、聖堂の前に集まった人々は、天使の歌を歌いながら聖堂すなわち神の国に入っていきました。今でも主教祈祷のとき、神品と聖歌隊が「聖なる神」を交互に歌い、途中で主教が聖詠の句「主や、天より臨み見て、この葡萄園に下り、爾の右の手の植え付けしものを固め給え(79:15-16)」唱えますが、聖歌者の聖詠と掛け合いで「聖なる神」を繰り返して歌った当時の名残です。

 この天使の歌は旧約聖書のイサイヤ(イザヤ)の預言書にあります。イサイヤは、天使たちが「聖、聖、聖なるかな、主サワオフ、爾の光栄は天地に満つ(イサイヤ6:3)」と歌うのを聞きました。この歌は聖体礼儀後半の「聖変化」の部分でも歌われます。

 13世紀の聖師父ニコラス・カバシラスは、「預言者ダヴィードは聖詠41:2で『我が霊は勇毅(力)、生活の神(生ける神=常生なる者)に渇く』と詠った。『聖三の歌』は聖入で福音書が掲げられ、会衆に示された直後に歌われる。ハリストスが来られたことによって、至聖三者の神が証された。教会は『神が三者であって一致していること』を信じ、宣言する者の集まりである。教会は天使の歓呼と預言者の歌をひとつにまとめ、末尾に「主憐れめよ」を加えた。一つには旧約と新約の調和を表し、またハリストスが来られたことで、天と地の教会が一つになり、一つの聖歌隊となって至聖三者の神を讃美する(カバシラス)」

 ところで埋葬式の出棺の時「聖天主、聖勇毅、聖常生なる者」が歌われますね。これはお葬式用の歌ではなく「聖なる神」の古い翻訳で、同じ歌だということをご存じでしょうか。

 死者の旅立ちの時に聖体礼儀の「聖入」と同じ歌が歌われるのです。ハリストスの十字架と復活によって、私たちの「死」はすべての終わりではなく、永遠の国、天の国への旅立ちになりました。正教会の希望に満ちた力強い信仰がここにも表れています。

参考資料:新共同訳聖書、正教基礎講座資料「奉神礼」「教義」(トマス・ホプコ著) 「ビザンティンの儀式の発達について」(ポール・マイエンドルフ講演)「聖体礼儀注解


トロパリについて
 「聖なる神」の前に、通常その日のトロパリが歌われます。トロパリ(希:トロパリオン)は4-5行の短い詩の形で、3世紀頃から歌われ始めた形式と言われます。

 トロパリはその日の祭のテーマソングで、今の式順では小聖入後に歌われますが、ビザンティンでは第三アンティフォンの最後に、聖堂前に集まった会衆が、聖歌者の歌う聖詠とともにトロパリを繰り返して歌いました。今でも復活祭の十字行の後、聖堂前で何度も「パスハのトロパリ」を歌う様子には当時の面影が残っています。

 今日本では日曜日には、主日のトロパリと聖ニコライのトロパリだけが歌われていますが、本来はその他に、その日に記憶される聖人のトロパリ、聖堂の名称の記念のトロパリ、生神女讃詞など複数のトロパリ、コンダクなどが歌われます。複数のトロパリやコンダクを歌う場合は、最後から二つめのトロパリ(またはコンダク)の前に「光栄は、父と子と聖神に帰す」、最後のトロパリ(コンダク)の前に「今も何時も世々にアミン」をつけて歌います。