なごや聖歌だより | |
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2005年8月号 |
神の永遠のなかに 正教会の結婚式
彼らの栄冠を爾の国に入れ給え
正教会の結婚式は、もともと聖体礼儀のなかで行われていたそうです。
ふたりの結婚は、家族の喜び、友人の喜びであるのは言うまでもありませんが、神のよろこび、そして神のからだである教会全体の喜びです。
ふたりの愛は、カナの婚礼(イオアン2:1-11)で、ハリストスが結婚を祝福されたように、信仰生活のなかで徐々に育くまれ、水からワインに変られてゆきます。
正教会では結婚式のとき、決して「死が二人を分かつまで」とはいいません。結婚は永遠です。
ふたりの頭上に掲げられた栄冠(かんむり)は、式の最後に「爾の国に入れ給え」と祈られます。神の永遠に入れられるのです。
この夏から秋にかけて、結婚式が3組予定されています。7月10日の代式祈祷の後、結婚式(婚配機密)の式の進行と歌詞の内容を学びながら、どう歌えばいいかを考えながら練習しました。。あらましをご報告します。
正教会の結婚式は二部に分かれています。
第一部は聘定式(婚約式)で新郎新婦の入堂と指輪の交換が聖堂の入り口付近で行われます。
入堂の歌は「常に福にして」。主教の入堂の時も歌われる歌です。新郎新婦が聖堂の中へと行進する歌ですから、動くように歌ってください。ひとつひとつの音をドシンドシン重く歌ったら、足取りが重くなってしまいます。音楽は歩みを促す働きをします。聖歌は教会の信徒が待ち受ける中にふたりを導き入れます。
「大連祷」は、教会がふたりのため、ふたりを囲む世界のために祈ります。参祷されたご家族やお友達にも、ふたりのために一緒に「主憐れめよ」と歌って頂きましょう。聖歌隊のみなさんは参祷された方たちをリードしてください。
指輪の交換が終わると、第二部、戴冠式が始まります。聖堂の入り口から中央へ行進するときに「スラワ」(主や光栄は爾に帰し)が華やかに歌われます。これも、歩みを促す歌です。
「そのかしらに栄冠を被らせ」華やかな歌です。これから聖書が読まれます。ポロキメンやアリルイヤはファンファーレです。これから、ふたりの頭上に神の栄冠が掲げられることの宣言でもあります。
「イサイヤ喜べよ」 ふたりは司祭に手を取られて中央の台のまわりを三周します。「喜べよ」は「喜び踊る」という意味で、東欧の教会では新郎新婦と司祭、保証人が文字通り輪になってまわることもある美しい場面です。ふたりは神の永遠のもとで歩み始めます。
「いくとせも」 教会はふたりの末永いしあわせを祈って「いくとせも」を歌います。ふたりはイコノスタスに進んで行って、ハリストスと生神女のイコンに接吻したあと、互いに接吻をかわします。
連載
聖歌の伝統 2
3 ご聖体をうけて
正教会の聖歌は、その一つ一つに信仰の導きや、教え、真理が満ちています。歌詞のことばと音楽は貴い結婚のように一体となって、ことば以上音楽以上のものになります。そしてそれを口にする私たち自身もきよめられます。
さて、まっすぐなメロディ、単純なメロディがついている部分では、あまり意味も気にせず、何気なくダダーッと無造作に歌っていることがありませんか。
今回は領聖直後の、「すでに真の光を見」に注目してみました。領聖が終わって、何となく安心して気が抜けて、聖歌もバラバラすることが多いように思います。あらためて歌詞を味わってみると、実に深い意味を表しています。
(我等)すでに真の光を見、
天の聖神を受け、
正しき教え(信)を得て、
分かれざる聖三者を拝む、
彼我等を救い給えばなり
「私たちは、真の光つまりハリストスに会って、ご聖体を頂いて聖神を受け、本当の信仰を頂いて、三位一体の神に祈ります。ハリストスは私たちを救ってくださった」というあふれんばかりの感謝の祈りです。それにしては少々そっけないように思います。
これに続く歌
主や爾の光栄を歌わんに、
讃め歌を以て我が口に満たしめ給え、
生命を施す聖なる爾の機密を受くるを
我等に許せばなり、
祈る我等を潔きに守り、
日々に爾の道をならわしめ給え。
アリルイヤ
これもやはり、「生命の機密」つまりご聖体を受けたことへの感謝と、これからこの世の日常へ帰っていく私たちに、いつも祈りの心を忘れずに、ハリストスの教える道を歩むことができるようにとの祈願の歌です。
私たちは、たった今ご聖体を頂いて喜びにあふれています。1週間、待ちに待ったご聖体。朝早くから集まって、聖神の力をください、とみんなで力を合わせて歌って祈って、やっとたどりついたご聖体です。それを今、体に受けて、「平安に出ずべし」と、神のもとから日常の生活に派遣されようとしています。
それをまず、しみじみ感じてみませんか。ひとつひとつのことばを音楽と一緒に、玉のように大切にていねいに磨いて口から出してみます。「私たちの口を讃美の歌で満たして下さい」「神の光で輝かしてください」と歌うのですから。
ヘルビムより尊く、
セラフィムにならびなく栄え、
操をやぶらずして神ことばを生みし、
実の生神女たる爾を崇め讃む。
最後の最後、どのご祈祷にも歌われる生神女マリヤをたたえる歌です。これも「まっすぐ」なメロディのために、イッキに走ってしまいがちです。
神は生神女を天使よりも尊いものとして、神の子を産むものとされました。神は人間を天使よりも尊いものとされました。生神女が「神ことば」を受胎し、神の子を生んだのは人間の救いの始まりです。
私たちも今ハリストスのお体、ご聖体を頂きました。私たちも神のことばを産みます。私たちの口から出る歌も、ハリストスの光に輝くものです。