なごや聖歌だより | |
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2005年11月号 |
共同の祈り
聖歌隊=祈りをリードする役割
新聖堂の計画が進みつつあります。
聖歌隊は
どこに配置しますか。
聖堂入り口上のバルコニー?
それとも
クリロス(イコノスタスのそば)?
名古屋教会では、多くの皆さんが祈りに積極的に参加できるように、聖歌へお誘いしてきました。最近では多いときには20人以上の人が聖歌隊と一緒に歌うようになりました。
7月に大阪で行われたモロザン博士の講演でも、正教会では伝統的に連祷やアンティフォンの繰り返しなど、会衆が積極的に参加していたことが強調されていました。正教会の祈りは、「聴かせてもらう」ものや「誰かにやってもらう」ものではないからです。教会に参祷するすべての信徒が「教会という体」を構成するメンバー(肢体)だからです。
昔は聖歌隊と聖歌隊のリーダーはクリロスと呼ばれるイコノスタス前の左右の高くなった所に立って、至聖所と連携しながら会衆の聖歌をリードしていました(上図参考)。
バルコニーで上手な聖歌隊が「聴かせる」聖歌を歌うのは西方教会のスタイルで、正教会本来の位置ではありません。今の日本の教会では、だいたい聖所の右前よりに聖歌隊が立つことが多いようです。
聖歌隊の役割ってなんでしょうか。美しい聖歌を歌ってあげることでしょうか。 それとも全員で歌うのだから聖歌隊など必要ないのでしょうか。
今の名古屋教会の状況では、聖歌隊の役目は「支え」と「リード」だと思います。参祷者が積極的に参加しつつ、流れのよい礼拝を実現するためには不可欠です。たとえば「主、憐れめよ」ひとつとっても、不慣れな方はどうしてもゆっくりになるし、音が下がりますから、テンポの面でも音の面でも聖歌隊のしっかりした支えとリードが必要です。
もうすぐ降誕祭がやってきますが、今年は多数の来会者が期待されます。初めての方も、久しぶりの方もどうぞ聖歌にご参加ください。聖歌隊の歌をよく聴きながら、一緒に入ってください。
聖歌隊のみなさん、教会全体がひとつになった聖歌をしっかり支えることができるように練習を重ねていきましょう。
連載
1.神 の 国
父と子と聖神の国は崇め讃めらる、今も何時も世々に」 「アミン」
Blessed is the Kingdom of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit,
now and ever and unto ages of ages, Amen
始まりの一言に、聖体礼儀とは何かがはっきりと示されています。「父と子と聖神の国」すなわち「神の国」です。
聖体礼儀の中では何度も「国」ということばが聞かれます。「国」ってなんでしょう?「神の国」「爾の国」、原語のギリシア語バシレイアは英語ではKingdomあるいはKingshipと訳されています。神の王国、神の王政です。
たとえば真福九端では「爾の国に来らん時、我等を憐れみ給へ」と祈られます。真福九端はマタイ(マトフェイ)伝5章の山上の垂訓からとられていますが、この「爾の国に・・・」はハリストスと一緒に十字架にかけられた泥棒の話からとられています。左側の泥棒はイイススをののしったのに対し、右の泥棒は悔い改め「あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」と言うと、イイススは「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」といわれました(ルカ23:21-29)。領聖直前の祝文でも唱えられます。「右盗のごとく爾を承け認めてい曰う、主や、爾の国において我を記憶せよと。」
クリスチャンとは「父と子と聖神」の名によって(マタイ28:19)洗礼を授けられた人々、「神の国」に属する人、神の国の到来を待ち望む人々の集まりです。この世の終わりはまだ来らず、私たちは相変わらずこの世に暮らしていますが、この聖体礼儀において神の国をかいま見、味わうことがゆるされています。
そこでは、福音書は紙に印刷したただの本でありながら、ハリストスご自身(みことば)であり、ご聖体はパンとぶどう酒ですがハリストスのお体と血です。私たちはそう信じています。
さて、この最初の宣言は聖体礼儀の目的地の宣言であると同時に、私たちクリスチャンの生き方をも示しています。
私たちが一番よく知っているお祈り、イススご自身が「こう祈りなさい」と弟子たちに教えられた祈り「天にいます」(マタイ伝5:9、ルカ伝11:3)にも「爾の国」があります。
「爾の国は来たり」。「爾の名は聖とせられ」と「爾の旨は・・・」とワンセットになったお願いの一つで、「あなたの国が来ますように」と祈っています。来るべき国はまだ来ない「早く来ますように」という祈りですが、同時に、この地においても神の王政が行われますようにという祈りです。私たちは神の民として、いま、この地においても神のご意志に従って生きることを表明しています。神は王です。
日曜の朝、神を信じる私たちは集まって「父と子と聖神の国」へ出発し、神ことばに出会い、聴き、ともに宴会に出て、神のいのちを分け与えていただきます。そして宴の終わりに「平安にして出ずべし」と命じられ、「神の国民」として、神に従い、神のご意志を実現するために、この世に派遣されます。
ところで「神の国」はまだ来ていないけれども、時空を超えて今ここに「来ている」とも言えます。「今も何時も世々に」と宣言されているではありませんか。
さあ目的地が示され、私たちは「アミン」(そうします)と答えました。
さあ、行きましょう。
参考資料:正教基礎講座「奉神礼」(トマス・ホプコ著) トマス・ホプコ講演集CD「天主経」 The Study Bible(日本聖書協会)