なごや聖歌だより
2004年9月号

ひとつの声で  

 合唱とは、4つのパートが、それぞれに楽譜どおり正確に歌うことではありません。同じパートの人の声を聴き、隣のパートの声を聴き、心地いい響きを楽しみながら歌います。自分たちのパートは正しく歌っていると主張しても、他のパートとのバランスが配慮されていなければ、いい合唱とはいえません。まず、聴き合うことから始まります。「合った」和音は気持ちのいいものです。感じてみて下さい。
 日本ではハーモニーというと一般に音楽の和音の調和に限って使われることが多いですが、本来ハーモニーというギリシア語は宇宙全体に及ぶ調和を表すスケールの大きなことばです。
 各パート間の縦のハーモニーだけでなく、司祭、誦経者、聖歌、会衆の応答などがスムーズに進むように心がけます。指揮者はそのためのコーディネーターです。至聖所と聖歌、聖歌と参祷者がバラバラでは、いいハーモニーとは言えません。横のハーモニーも大切です。音とりもお祈りの邪魔にならないように最小限にしたいのでしっかりキャッチしてください。聖歌を歌う側も至聖所で何が行われているかに心を馳せ、司祭との応答のバトンタッチには細心の注意を払います。至聖所と聖所はイコノスタスのしきりを越えて一つであらねばなりません。
 
 ハリストスは集まって祈るように教えられました。二人か三人の集まるところには必ずご自身がいると言われました。最後の晩餐の日、「こうして祈りなさい」と聖体礼儀を手ずから教えてくださいました。
 主は、私たちが教会として集まって、互いに心を配りながら、全体がひとつになって祈ることをお望みです。


連載
聖歌の伝統 

正教会聖歌のなりたち−−エルサレムからナゴヤま


9。翻訳して祈る、歌う
−ロシアの受洗と古チャント−

 ロシアの「日本書紀」とも言える『原初年代記』によれば、988年キエフ大公ウラディミルの決断によってロシア(キエフ・ルーシ)は正教国となる。しかしウラディミルの祖母オリガはすでにキリスト教徒になっており、それ以前から交易など人々の行き来によってキリスト教は徐々に伝えられていたと考えられる。また前回述べたキリルとメフォディの弟子たちのスラブ宣教によって正教が広まっていたブルガリアからの影響もあっただろう。
 さて、正教を受けいれたキエフにはコンスタンティノープルからギリシア人主教や聖職者が派遣された。同行したギリシア人聖歌者はギリシア語で聖歌を歌ったが、やがてギリシア人から聖歌を学んだロシア人聖歌者はスラブ語に翻訳された歌詞にギリシア聖歌の音楽をあてはめて歌うようになった。 ウラディミルの孫ヤロスラフ賢公の時代には聖書が翻訳され、町の中心にソフィヤ大聖堂が建ち、修道院が次々とでき、正教の基盤が作られていった。 またギリシア語からの翻訳だけでなく、オリジナルの聖歌も生まれ、たとえば1012年にロシア最初の聖人として列聖されたボリスとグレプの兄弟のために新しい聖歌が作られた。このスティヒラの一部はペトル・パウエル祭を下敷きにして作られたと言われる。
 ギリシアから受け継いだメロディは音節数や抑揚の異なるスラブ語を乗せやすいように少しずつ変形していった。メロディは固定的なものではなく、地域や修道院によって様々なバリエーションがあった。 チャント(単旋律の伝統聖歌)では、聖歌者はメロディ定型からことばに合う部品を選んで曲を組み立てる。その中で最も古く種類も豊富なものがズナメニイと呼ばれる古チャント群で、古チャントにはキエフ・チャント、ギリシア・チャントなどがあるが、いずれもズナメニイから派生したバリエーションといえる。古チャントは16世紀ごろまでに完成した。歌は師から弟子へ口から耳へと伝えられ、次第にロシア独特の聖歌が生まれていった。

 参考資料:『原初年代記』名古屋大学出版会、ゼルノーフ『ロシア正教会の歴史』日本基督教団出版局、Gardner “Russian Church Singing” vol. 1-2, SVS, Morosan “One thousand years of Russian Church Music”, Musica Russica (左写真も)