なごや聖歌だより
2004年5月号

    

わかちあいの工夫

正教会は伝統を守る教会だと言われますが、伝統を生きたものとして伝えるには、さまざまな工夫が必要です。私たちが伝統を大切にするのは、そこに神と出会い交わり、神の与えた「救いの道」を歩み、信仰を深めていくための進路があるからです。伝統の形や文化を守ることそのものが目的ではありません。
 聖歌も立派な聖歌隊が歌う四声聖歌だけが正統でもないし、全員で全部を単音で歌うことだけが正しいわけでもありません。その教会の現状、つまり聖堂の大きさや響き、参祷者の構成、神品や聖歌を歌うメンバーの数、声の性質、技量や経験なども考慮して考えることが大切です。また名古屋のように新しい方が次々入ってくる教会では、そういう方たちをどう取り込んでいくかにも配慮しなければなりません。
 歌うのは苦手だから立ってお祈りしていますという方を、ムリヤリ聖歌隊に誘う必要もありませんが、「主、憐れめよ」や「信経」「天にいます」などは皆で一緒に歌える(唱えられる)ように工夫することはできます。あるいは全部を譜面通り歌うことが難しければ、繰り返しの部分だけを一緒に歌って、あとは誦経者がとなえるやりかたも可能です。(これは古来からある方法です。)また、単音譜だからといって、ユニゾン(斉唱)で歌わなければならないということもありません。3度のハーモニーやさらにバスを即興でつければもっときれいで楽しい聖歌になります。
 ある方から、古い信徒の家庭に育った方が正教会の聖歌は難しくて上手な人だけ聖歌隊で歌っており、自分たちは何も参加できないからプロテスタントに変わったという話を聞き、とても残念に思いました。
 正教会ほど、「わかちあい」を大切にしてきた教会はありません。どうやったら参祷者全員とお祈りの喜びを分かち合うことができるか、真剣に考えて工して夫してゆかねばならないと思います。 


一時課、たまごの祝福をする司祭のうしろで、ルーマニアの方たちがパスハのトロパリを一緒に歌っているのが見えます。ルーマニアのトロパリは甘く優しげなメロディで、とても簡単です。彼らの嬉しそうな顔を見ていたら、私たちも嬉しくなりました。名古屋では復活祭は3割ほどが外国人です。来年はセルビアやグルジアのメロディも歌ってみようかと計画しています。




連載
聖歌の伝統 

正教会聖歌のなりたち−−エルサレムからナゴヤま


5.キリスト教の公認(4世紀以後)
 たとえば、4世紀にアリイ(アリウス)とその信奉者が広めた異端がありました。彼らは神ことば、神の子はまったく完全な神ではなく、神の創られた被造物であると教えました。みるみるうちにこの教えは全国に広まってしまいました。それに対して、アレキサンドリアのアファナシイ(アタナシウス)や聖大ワシリーたちは、「ナザレのイイススとして人となった神ことば、神の子、救世主、ハリストスは創られたものでなく、父と聖神と同じ真実の神であること」を主張し、私たちの信じているのが至聖三者(三位一体)の神であることを守り通しました。*
 アリウス派との戦いは復活祭後第5の主日「諸聖神父の主日」(今年は5/23)に毎年記憶されますが、私たちが日頃なにげなく唱え、歌っている「光栄は父と子と聖神に帰す」という短い祈りも、このとき導入されました。この短い祈りを歌うたびに、私たちの信仰は「父と子と聖神」の至聖三者(三位一体)の神への信仰であることを確認し、十字を描きながら繰り返し唱えて、しっかり体にたたき込めるように祈祷のあちこちに組み込まれています。
 アリウス派以外にもたくさんの異端が起こりましたが、それに対する正統の考え方も聖歌として各所に配置されています。
  「異端論争なんてムズカシイことはわからない」、「神様を信じていればいいではないか」という意見もありますが、むしろ、理屈でだけでなく、まるごと教義を身につけられるように、聖歌として繰り返し歌われるようにされたと言えます。
 教義というのは建物の土台のようなもので、それだけを取り出して理解しようとすると難しい点もありますが、そこが違うと上の建物が歪んだものになってしまいます。たとえば、以前輸血拒否で話題になった「ものみの塔」(エホバの証人)は現代のアリウス異端だと言われます。土台が間違っていると結果として表れる信仰生活も間違ったものになってしまい、本当の救いの道から外れてしまいます。 
 聖歌の歌詞はそのひとつひとつが聖師父たちが文字通り命がけで守った「正しい教え」の結晶です。また聖歌を歌い聞くことは大切な信仰教育です。正教会の聖歌は単なる祈祷のムード作りやバックグラウンドミュージックではありません。だからこそ、器楽を避け、自国語で祈られてきたのです。
 聖歌の歌詞(祈祷文)に注目し、歌うたびに正しい教義を自分の心にも、聞く人の心にも刻み込んでゆくように歌うことが求められています。

   
  「光栄は父と子と聖神に帰す、
        今も何時も世々に、アミン」

*参考文献:正教基礎講座「要理」 
      トーマスホプコ神父著、ダヴィード水口神父訳より
A History of Byzantine Chant and Hymnography, Wellesz


聖エフレムとグノーシスの異端

シリアの聖エフレムは4世紀の人です。当時グノーシス主義と呼ばれる異端がはびこっていました。グノーシス派の教師バルデサネス息子の詩人ハルモニウスは美しいギリシア風の歌に異端の教えをのせて広めていました。
 これを憂いた聖エフレムは、彼らの詩の形と音楽のパターンを用いて、キリスト教の正しい教えをのせた新しい聖歌を作って広めました。(歴史家ソゾメノスの記述から)
 正教会は伝統的に「音楽」の導入には慎重でした。音楽のもつ魔力的で人を魅了する力を警戒したためです。ラオディキアの公会議では歌を教会で用いることが禁じられました。ところが人々が音楽に魅了され、ギリシア歌謡に乗せたグノーシスの歌を歌い、知らず知らずに誤った教えを取り入れてしまっているのを見て 聖エフレムや当時の教会は敵の武器を逆手にとる戦略をとって戦ったといえます。

参考文献:Byzantine Hymnography and Byzantine chant, Dimitri Conomos