ESSAY
「この喜びを世界に伝えよ」 復活祭の夜、そのことばは体中に響き渡りました。
マリヤとともに在りし女たちは、黎明より墓に来たり、石の移されたるを見て、天使より聞けり、永遠の光に居る者を何ぞ人の如く死者のうちに尋ぬる、ほうむりの衣を見て、急ぎて世界に伝えよ、主は死を滅ぼして復活せり、人類を救う神の子なればなり(イパコイ)
「復活祭」。正教徒にとってこれほど待ち遠しい祭があるでしょうか。大斎の準備週間から始まって2ヶ月半、私たちはこの復活祭を待ちこがれて過ごしてきました。
十字行。真夜中、ロウソクを手にして聖堂を出て、一巡りします。香料を携えた女たちさながら、主の墓に向かうのです。
そこで宣言されるのは、「主の復活」。聖堂の扉の前で、司祭は「ハリストス死より復活し、死を以て死を滅ぼし墓に在る者にいのちを賜えり。」と高らかに歌い、信徒も「ハリストス死より復活し」を歌います。「ハリストス死より復活し」の歌声は、何度も繰り返され、扉が開きます。
いっきに開かれた聖堂は、真っ暗な外とは対照的に、まばゆい光に満たされ、花があふれています。復活大祭の祝の始まりです。
「マリヤとともに」はカノンの途中で歌われるイパコイ(応答歌)と呼ばれる短い歌です。
復活祭、「世界に伝えよ」、このことばが体中に、響き渡りました。一緒に歌っている仲間の晴れやかな顔、各国から来た人々の各国語の「ハリストス復活」「実に復活」の交歓。夜の闇の中に、聖堂だけが輝き、脈動し、歓びがあふれ出します。「そうなんだ。伝えるのはこの喜びなのだ!」叫びだしたいような、ふれまわりたいような、手を取り合って踊り出したいような、そんな気持ちに満たされます。
喜びは受動的に与えられるのではなく、私たち自身が喜びの一部になるのです。美しいCDを聴いて得る自分だけの静かな楽しみではありません。
「喜びの歌」を神に捧げ、手を取り合って喜びを分かち合う。その喜びは神様の与えてくださる最高の喜び。神様によって造られます。私たちは、神が造り、与えた喜びを歌う器となります。
正教会のお祈りはひとりで終結しません。主教Bishop、司祭Priest、輔祭Deacon、誦経者Reader、聖歌者Choir/Chanter、堂役Altar
Boy、祈りに立つすべての人、祈りに来れなかったけれども、今祈るすべての人々も、聖堂に掲げられたイコンに描かれた聖人たちも、記憶される死者たち、そしてハリストスも生神女マリア様も、世界中が一緒になって喜びを分かち合います。その喜びは世界中に流れ出していきます。。
聖歌は祈りです。だれでも参加できます。神を信じて、一緒に祈る気持ちさえあれば、だれでも加われます。歌になって、ひとりひとりの祈りのことばは、みんなの祈りになります。
共に歌いましょう。主の復活の喜びを。そして、世界に伝えましょう。
「ハリストス復活し、死を以て死を滅ぼし、墓にあるものに生命を賜へり。」
私たちは喜びの歌を歌うもの、復活の福音を伝えるものです。
MARIA J. Matsushima