5.聖大金曜日

<早課> (木曜日の夜)

我が主イイスス、ハリストスの救を施す聖なる受難の奉事式(12福音とも呼ばれる)

 通例聖大金曜日の早課は木曜日の晩に行われる。ティピコンによれば、夜の第2時(現在の午後8時頃)と指示されている。聖大金曜日の朝、再度度行うこともある。

 司祭はエピマニキア、エピタラヒリ、フェロン(暗い色のもの。できれば紫)をつける。祈祷中は同じ祭服で通してよい。福音の読みの度に祭服の色を変える理由はどこにもない。
 カーテンを開く。王門は閉じたまま。通常の早課と同じ始まり。(晩課と別に行う早課)
「我等の神は崇め讚めらる、今も何時も世世に、」、誦経「アミン、我等の神よ、光栄は爾に帰す、光栄は爾に帰す」「天の王、聖三、至聖、天主」、第19、20聖詠など。六段の聖詠のあと大連祷とアリルイヤ。アリルイヤは8調(受難週の特別のメロディで。たとえば、M.P.Hilco作曲のものなど)で「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」4回繰り返す。

司祭(輔祭)「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」
聖歌隊  アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ
司祭 (句)我夜中我が霊にて....
聖歌隊  アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ
司祭 (句)爾の審判が地に行わるる....
聖歌隊  アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ
司祭 (句)爾の民を憎む者は辱を承けん
聖歌隊  アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ
司祭 (句)主や、爾已に民を増し、己の光栄を顕せり
 第4句のあとはアリルイヤを歌わず、ただちにトロパリを歌う。


<訳註>
アリルイヤの第3句が奉事経では上記だが、「受難週奉事式略」では「火は爾の敵を噛まん」になっている。また英語(スラブ語)の祈祷書では、「爾の民を悪む者は之を見て愧ぢん、火は爾の敵を噛まん」第4句が「主よ、彼等に艱難を加へ、地の驕れる者に艱難を加へよ」ニコライ大主教が聖詠の訳に70人訳のスラブ語ではなく、ロシア語訳聖書を採用した為と思われる。ただ「連接歌集」では上記のスラブ語訳が採用されている。


トロパリ、(3回)
光明の門徒が晩餐の濯に照されし時、悪心のイウダは貪の疾に昧まされて、爾義なる審判者を不法の審判者に賣り付す。財に耽る者よ、此が為に縊れし者を觀よ、あき足らぬ靈、夫子に斯ることを爲すを恐れざりし者を避けよ。衆人を慈む、主よ、光栄は爾に帰す。
 輔祭がいない場合は、司祭はソレヤの閉じた王門の前で大連祷を唱え、アリルイヤの第4句を唱えた後、至聖所に入る。躬拝、宝座に接吻。トロパリの始まりに王門を開き、福音経を持って王門を出て、聖堂中央に宝座に向かって設置したアナロイに載せる。司祭は宝座の方に向かって福音を読む。陪祷の神品、会衆全員にロウソクを配る。通常、司祷者は輔祭から火を灯したロウソク数本を受け取り、司祭輔祭に手渡す。司祭は司祷者の手に接吻する(その人が司祭であっても)。司祷者もロウソクを受け取った司祭の手に接吻を返す。輔祭の手には接吻しない。ロウソクは第1福音がおわるといったん火を消す。福音の読みの度に火をつけ、終わると消す。最後の福音の後は火を灯し続けて、灯したまま家に持ち帰る習慣の地域もある。

 司祷者は全堂炉儀、宝座、至聖所、イコノスタス、会衆、堂全体、始めと終わりは福音経のあるアナロイ。輔祭がいれば常例の炉儀のように司祭の前を歩く。トロパリのあと炉儀、小連祷、高声「蓋、権柄と国と権能と光栄は爾父と子と聖神に帰す、今も何時も世々に」

聖歌隊「アミン」
輔祭 「我等に聖福音経を聴くを賜うを主神に祈らん」
聖歌 「主憐めよ」(3回)
輔祭 「睿智、粛しみて立て、聖福音経を聴くべし」
司祭 「衆人に平安」
聖歌 「爾の~°にも」
司祭 「イオアンによる聖福音経の読み」
聖歌 「主や光栄は爾の苦しみに帰す」
司祭  第1福音を読む。イオアン伝46端(13:31〜38)

 福音の読みのたびに上記の順を繰り返し、福音の数だけ鐘を打つ。つまり、第1福音の前に1回、第2福音の前に2回、最後の福音のあとはトレズヴォン(多鐘)を短くならす。トレズヴォンは以後復活祭まで鳴らさない。
 最初の5つの福音の間に一続きの15の「特別のアンティフォン」が配置される。これは歌うか、チャント(伝統のメロディを付けて歌う)で行う。 第1福音の後の第1アンティフォンを8調、第2アンティフォンを6調、第3アンティフォンを2調で歌う。第3、第6、第9、第12、第15アンティフォンのあとは小連祷。高声の後セダレンがあり、この時小炉儀を行う。
 アンティフォン全部を歌うことが不可能な場合は、チャントでもよい。しかしながら、少なくとも、各アンティフォンの最初の1句か2句は歌うのが望ましい。(残りは読んでもよいだろう。)

第1アンティフォン
「民の諸侯相集まりて主を攻め、其ハリストスを攻む。」
「相謀りて我を害せんと欲す。主よ、主よ、我を遺つる毋れ。
第3アンティフォンに続いて小連祷。高声「蓋、光栄尊貴伏拝は爾父と子と聖神に帰す、今も何時も世々にアミン」
セダレン7調 「爾は晩餐の時に門徒を養ひ、且賣付しの定まりたるを知りて、之を爲す者のイウダなるを示せり。爾其悛まらざるを知りたれども、衆の爾が世界を仇より救はん爲に甘じて己を付すを知らんことを望み給へり。恒忍なる主よ、光栄は爾に帰す。」
小炉儀。福音経(アナロイ上)、宝座、救主と生神女のイコン(イコノスタス)、会衆。司祭を手助けする輔祭がいない場合は、祈祷の流れを中断しないために、炉儀は連祷の間に始めればよいだろう。

第2福音 イオアン伝 58端(18:1〜28)が読まれ、第4、第5、第6アンティフォン
最初の句は5調「今日イウダは夫子を遺てて、惡魔を受く、貪婪の慾に盲にせられ、昧まされて光を失ふ、蓋光體を銀三十に賣りたる者は何如にして見るを得ん。然れども
世界の爲に、苦を受けし者は我等に輝けり。我等彼によばん、人を愛するに因りて苦を忍びし主よ、光栄は爾に帰す。」
小連祷、高声「蓋父と子と聖神の至尊至厳の名は讃揚讃栄せられたり、今も何時も世々にアミン」。聖歌隊「アミン」、炉儀
セダレン7調「イウダよ、何の所以か爾を救世主を賣る者と爲したる、豈彼は爾を使徒の會より離ししか、豈疾を醫す恩賜を奪ひしか、豈彼等と晩餐して、爾を筵より退けしか、豈他の者の足を濯ひて、爾の足を顧みざりしか、嗚乎爾は幾許かの幸福を忘れし者なり。故に爾が恩を知らざる質は表され、彼の量り難き恒忍及び大なる憐は伝へらる」

第3福音 マトフェイ伝 109端(26:57〜75)
第7、第8、第9アンティフォン
最初の句8調「主よ、不法の者が爾を執へしに、爾忍びて斯く呼べり、爾等牧者を撃ちて、十二の羊たる我の門徒を散らしたれども、我十二軍餘の天使を進むることを能せり。然れども我永く忍ぶ、嘗て我が諸預言者を以て爾等に示しし識り難き密事の成就せられん爲なり。主よ、光栄は爾に帰す」
小連祷、高声「蓋爾は我等の神なり、我等光栄を爾父と子と聖神に献ず、今も何時も世々に」聖歌隊「アミン」、炉儀 
セダレン8調「鳴呼何如にイウダ、爾の門徒たりし者は爾を賣り付す謀を圖みたる。惡謀者及び不義者は僞を懐きて共に晩餐を食せし後、往きて司祭等に謂へり、爾等我に幾何を与へんか、我爾等に彼の律法を壞り、スボタを汚したる者を付さん。恒忍なる主よ、光栄は爾に帰す.」

第4福音 イオアン伝、59端(18:28〜40 19:1〜16)
第10、第11、第12アンティフォン
最初の句、6調「光を衣の如く衣る者は裸體にして審判に立ち、造りし所の手より頬の批たるるを受けたり、不法の人人は光榮の主を十字架に釘せり。其時殿の幔は裂け、日は晦みたり、萬有の戰ひ慄く所の~の辱しめらるるを視るに忍びざればなり。我等彼に伏拜せん。門徒は諱みたり、盗賊は呼べり、主よ、爾の國に於て我を記念せよ」
小連祷、高声「願くは爾父と子と聖神の国の権柄は讃揚讃栄せられん、今も何時も世々に」聖歌隊「アミン」、炉儀 
セダレン8調「~よ、爾カイアファの前に立てる時、審判者よ、爾ピラトに解されし時、天軍は畏懼に由りて撼けり。罪なき者よ、爾は其時又二人の盗賊の間に木に挙げられて、罪犯者と偕に算へられたり、人を救はん爲なり。恒忍の主よ、光栄は爾に帰す」

第5福音 マトフェイ 111端(27:3〜32)
第13、第14、第15アンティフォン
最初の句、6調「主よ、イウデヤの會はピラトに爾を十字架に釘せんことを求めたり、彼等は爾の中に咎を得ずして、罪あるワラウワを釋し、忌はしき殺害の罪を繼ぎて、爾義なる者を定罪せり。主よ、彼等の報を彼等に與へ給へ、彼等爾に對して徒に謀りたればなり。司祭等は萬有の畏れ慄き、凡の舌の歌ふ所のハリストス、~の能及び~の智慧なる者の頬を批ち、膽を彼に飮ましめたり。彼は人を愛する主なるに因りて、己の血を以て我等を不法より救はんと欲して、甘じて一切を忍び給へり」
小連祷 高声「蓋父と子と聖神の至聖なる名は算用せられ、爾の国は讃栄せらる、今も何時も世々に」、聖歌隊「アミン」、炉儀 
セダレン4調「爾は十字架に釘せられて、爾の尊き血を以て我等を律法の詛より贖ひ、戈にて刺されて、人人に不死を流し給へり。我等の救世主よ、光栄は爾に帰す」

第6福音 マルコ 67端(15:16〜」32)
真福詞4調、8句立てて8スティヒラ、小炉儀、小連祷、高声「蓋、天の衆軍爾を讚揚す、我等を光栄は爾父と子と聖神に献ず、今も何時も世々に」
「謹みて聴くべし」「睿智」、ポロキメン4調「ともに我が外衣を分かち、我が裏衣をくじせり」(句)「我が神よ、我が神よ、我に聴き賜え」

第7福音 マトフェイ 113端(27:33〜49)、炉儀なし、小連祷なし。福音のあと「光栄は爾の苦しみに帰す」のあと、50聖詠の読み、その終わりに「我等に聖福音経を聴くを賜うを主神に祈らん」

第8福音 ルカ 111端(23:32〜49)
三歌経のカノン、6調 第5、第8、第9歌頌
第5歌頌の後、コンダク8調
「皆来たりて、我等の爲に十字架に釘せられし者を歌はん、蓋マリヤは彼を木の上に覩て云へり、爾十字架を忍べども、我の子及び我の~なり。
イコス「牝羊は其羔が屠戮に牽かるるを見て、マリヤは痛く愁しみて、他の婦と偕に後に隨ひて、斯くよべり、子よ、何に往くか、何爲れぞ疾く進む、豈ガリレヤのカナに復婚筵ありて、爾今彼處に急ぎて、彼等の爲に水より酒を成さんとするか。子よ、我爾と偕に往かんか、或は爾を俟たんか。言よ、我に言を與へよ、我を浄く守りし者よ、黙して我を過ぐる毋れ、蓋爾は我の子及び我の~なり」

輔祭は第9イルモスの最初のことば「ヘルビムより尊く」を唱え、聖歌隊「セラフィムに並びなく栄え」と続ける。カタワシャのあと、小連祷、高声「蓋、天の衆軍爾を讚揚す、我等も光栄を爾父と子と聖神に献ず」、聖歌隊「アミン」
エクサポスティラリ(ラズボニカ)
「主よ、爾は善智なる盗賊を一時に樂園に入るに堪ふる者と爲せり、我をも十字架の木にて照して救ひ給へ」
「光栄は」エクサポスティラリを繰り返す。
「今も、アミン」エクサポスティラリを繰り返す。
「我等に聖福音経を聴くを賜うを主神に祈らん」

第9福音 イオアン 61端(19:25〜37)
讚揚歌「凡そ呼吸ある者」3調、4句立てて、4スティヒラ、三歌斎経には3スティヒラしか載っていないので、第1スティヒラを繰り返す。「光栄は」6調、「我が衣を我より褫ぎて....」「今も、アミン」6調(調は晩課の時のと同じ)「我が背を傷の為に....」

第10福音 マルコ 69端(15:43〜47)
「主よ光栄は爾の寛忍に帰す」、誦経者「光栄は爾我等に光を顕れし主に帰す」頌詠は読む。歌わない。連祷「我等主の前に吾が朝の祈りを....」高声「蓋爾は仁慈と慈憐と仁愛との....」
「アミン」「蓋、我が神や我等を憐みて....」「アミン」

第11福音 イオアン 62端(19:38〜42)
挿句のスティヒラを歌う。歌う間に全堂炉儀を行う。

第12福音 マトフェイ 114端(27:62〜66)
短いトレズヴォン(多鐘)を鳴らす。司祭は聖書を宝座に戻す。
誦経「至上者よ、主を讃栄し爾の名に歌い....」、「聖三」「至聖」「天主」、「アミン」のあとトロパリ4調「爾は十字架に釘せられて、爾の尊き血を以て我等を律法の詛より贖ひ、戈にて刺されて、人人に不死を流し給へり。我等の救世主よ、光栄は爾に帰す。」

重連祷「神よ爾の大なる憐みに依りて」高声「蓋爾は慈憐にして人を....」
輔祭「睿智」、聖歌隊「福を降せ」、司祭「永在の主ハリストス....」、聖歌隊「神や我国の天皇を....」、司祭「至聖なる生神女や」、聖歌隊「ヘルビムより尊く....」、司祭「ハリストス神我等の恃みよ」、聖歌隊「光栄は」「主憐めよ(3回)」「福を降せ」高声「世界の救いの為に....」

聖歌隊は「アミン」なし。そのまま萬壽詞。(発放の後、決して「アミン」を言ったり歌ったりしないこと)

<注 意>
(1) 12福音の読みの時、複数の司祭が祈祷する場合は、第1福音と最後の福音は司祷者が読む。
(2) ギリシア・シリア教会では1864年コンスタンチノープルの総主教ソフロニウスの指導により以下のような習慣がある。第5福音の後、首司祭が大十字架を持って至聖所、北門から行進し、堂中央に出る。そして第15アンティフォンの第1句を自分で歌い終わるまでそこに立つ。大十字架は大理石の台がついており、会衆は全員十字架に接吻する。そのあいだ聖歌隊は第15アンティフォンの第1句をアンティフォン形式で歌う。
(3) 1946年のロシア教会の奉神礼指示書によれば「習慣に従って、十字行用の十字架(至聖所の十字架)を第15アンティフォン(第5福音後)を歌う間に福音経のあるアナロイまで運び出し、十字架をアナロイの後ろ側に置くように」指示している。
(4) 聖大金曜日にはいかなる聖体礼儀も行わない。福音祭がこの日に重なった場合には特別の式順で福音祭を行う。
(5) 受難週の特別の曲やメロディを、連祷においても用いること

<王時課とティピカ>

 聖大金曜日の時課は朝行う。一時課、三時課、六時課、九時課を一続きの奉事として行う。降誕祭、神現祭の式順と同じ。

 司祭はエピマニキア、エピタラヒリ、フェロンをつけ、カーテンと王門を開く。開いたままで聖福音経を宝座から堂中央のアナロイに運ぶ。輔祭は香炉を持ち、堂役を伴い、司祭を先導して、移動用燭台をアナロイまで運ぶ。福音経をアナロイに載せた後、アナロイの後ろにロウソク立てを置く。常例の始まり。「天主」のあと「蓋国と権能と・・・」。輔祭を伴って全堂炉儀。福音経のあるアナロイのまわり、宝座、至聖所、聖歌隊、会衆、全イコン。ロウソク持ちと誦経者は九時課の福音の読みの終わるまで、堂中央アナロイの側にとどまる。

 各時課は3つの聖詠に続いて以下がつけ加えられる。その日のトロパリ、句を伴ったトロパリ、パレミヤ、ポロキメン、使徒経、福音の読み、「天主」のあとその日のコンダク。
「主の名に依りて福を降せ」のあと高声「我等に恩を被らせ」
第1時課ではこのあと、司祭「真の光なるハリストス、凡そ世に来たる人を照らし且聖にする者よ、願わくは爾が顔の光は我等に輝き、我等は是に依りて近づき難き光を見るを得ん、願くは爾が至上の母と、爾が諸聖人の祈祷に因りて、我等の足を爾の誡めを行うに向かわしめ給え、アミン」

第3時課では「主宰、神・父、全能者、主独生の子イイスス・ハリストス、及び聖神、惟一の神性、惟一の能力よ、我罪人を憐み、爾が知る所の法を以て我不當の僕を救ひ給へ、蓋爾は世世に崇め讚めらる、アミン」

第6時課では「神、天軍の主、萬物の造成者、爾が量り難き仁愛慈憐を以て我が族を救はん為に、爾の独生子吾が主イイスス・ハリストスを遣し、その貴き十字架にて我等の罪の書券を破り、又是を以 て闇冥の首領と權柄とに勝ちし至仁なる主宰よ、我等罪なる者の此のの感謝と祈願との祷を納れて、諸々の害を爲す暗き罪、及び凡そ我等を殘はんと欲する見ゆる又見えざる諸敵より我等を救ひ給へ。我が體を爾を畏るる畏れに釘うち給へ、吾が心を邪なる言或は思に傾かしむる勿れ、乃ち爾を愛する愛を以て我等の霊を刺して、我等に常に爾を仰ぎ、爾よりする光に導かれて、爾近づき難き永存の光を望み、爾無原の父、爾の獨生の子、及び至聖至仁生命を施す~゚に斷えず讚詠と感謝とを奉らしめ給へ、今も何時も世世に、アミン」

第9時課では「主宰イイスス・ハリストス吾が~よ、我等の罪を寛忍して、我等を今の時に至らしめ給ひし主よ、昔此の時に生命を施す木に懸りて、善智なる盗賊の爲に天堂の道を啓き、死を以て死を滅し給ひし主よ、我等罪なる爾の當らざる僕を浄め給へ、我等罪を犯し、不法を行ひ、目を擧げて天の高きを見るに堪へざればなり、蓋爾の義の道を離れ、私慾を恣にして日を送れり。主よ、爾の量り難き仁慈に祈る、爾が多くの憐に因りて我等を宥め、爾の聖なる名に因りて我等を救ひ給へ、我が日空しく消ゆればなり。我等を敵の手より援け給へ、我等が諸の罪を赦し給へ、我等が肉體の念を殺し給へ、我等舊き人を脱ぎ、新しき人を衣、爾我等の主宰及び恩者の爲に生きん爲なり。此くの如く爾の誡に遵ひて、悉くの樂しむ者の住所なる永遠の安息に至らん、蓋ハリストス吾が~よ、爾は實に爾を愛する者の眞の樂と喜なり。我等爾と爾の無原の父と至聖至仁生命を施す爾の~゜とに光栄を帰す、今も何時も世世に、アミン」
三時課と六時課に、使徒経の読みの時小炉儀が行われる、または読みの少し手前から始めた方がよい。九時課で全堂炉儀。九時課の福音の読みのあと司祭は福音経を至聖所に運び、王門とカーテンを閉じる。高声「我等に恩を被らせ」をソレヤの王門前で唱える。司祭はフェロンをとる。エピタラヒリは九時課の高声と聖大ワシリーの祝文「我等人々の為及び我等の....」のためにつけたまま。
 ティピカはチャントでおこなう。下に示す以外は歌わない。真福詞は早く読む。「睿智」聖歌隊「常に福にして」司祭「至聖なる生神女や我等を救い給え」聖歌隊「ヘルビムより尊く」「光栄は」発放詞「我等人々の為及び我等の救いの為に、畏るべき苦しみと、生命を施す十字架と、自由の葬りとを見に受け給いしハリストス我等の真の神は、其の至浄なる母及び諸聖人の祈祷に因りて 我等を憐れみ救わん、彼は善にして人を愛する主なればなり
萬壽詞を歌う。


訳註:受難週奉事式略」では「讃美たる聖使徒、聖にして義なる神の祖父母イオアキム及びアンナ」が加えられているが、受難週の一般的注意で聖人の名を挙げないとあるので、ここには書かれていないと思われる。

<晩課>
 司祭は祭服を(聖体礼儀と同じく)完装する。司祭複数の場合は司祷者のみ完装し、他はエピマニキア、エピタラヒリ、フェロンのみ。
 大晩課の前に聖福音経を宝座上での通常の形から、立てた状態にする(聖体礼儀の福音の読みの後のように)。就寝聖像(エピタフィオン)をアンティミンスの上に広げる。この時ハリストスの頭部が、宝座に向かって司祭の左になるようにする。生花のリースを就寝聖像の上に置く。バラ油バラ水で就寝聖像のイコンの部分を磨く。造花は用いないこと。またアルコール分の入った香水やオーデコロンも用いない。小さな福音経を聖像の上に寝せて置く。十字行用のロウソク、ランプを就寝聖像の前(実際は宝座の前)に置く。就寝聖像を載せる墓(柩案)を聖所の中央に用意する。そばにロウソクを立てた多燭台を置く。(就寝聖像を運んでから火を灯す)

 晩課の始まりを告げる大鐘を打つ。カーテンを開ける。司祭は北門からソレヤに出て王門前に立ち、祝福の高声「我等の神は崇め讚めらる、今も何時も世々に」、誦経「アミン、我等の神や光栄は爾に帰す....」「天の王」など、第103聖詠、大連祷 (ソレヤで)
「主や爾に呼ぶ」1調、6句立てて、(6スティヒラにするために最初のスティヒラを繰り返す。)「光栄は」スティヒラ6調、「今も、アミン」スティヒラ 6調。王門を開く。福音経を持ち聖入。「聖にして福たる」
高所で、輔祭(司祭)「粛みて聴くべし」、司祭「衆人に平安」
「睿智、粛みて聴くべし」「プロキメン第4の調べ」「共に我が外衣を、我が裏衣をくじせり」
(句)「我が神よ、我が神よ、我に聴き給え、何ぞ我を遺てたる」

輔祭(司祭)「睿智」、誦経「エギペトを出づる記の読み」(33:11〜12)、「粛みて聴くべし」 誦経「主はモイセイと面を合わせて」
パレミヤが終わるとただちにプロキメン。(輔祭司祭の高声「睿智」等を待たない)「プロキメン、第4の調べ」「主よ、我と争い、我と戦う者と戦い給え」(句)「盾と甲とを執り起ちて我を助け給え」輔祭「睿智」 誦経「イオフ記の読み」(42:12〜17)輔祭「粛みて聴くべし」「主はイオフの終を祝bケしこと・・・」第2のパレミヤの後はプロキメンなし。
輔祭「睿智」誦経「イサイヤの預言書の読み」(52:13〜15、15:1〜12、54:1)、輔祭「粛みて聴くべし」誦経「主是くの如く言ふ、視よ、我の僕は善く進み・・・」から「夫ある者に較ぶれば、更に多くの子あり」まで。

使徒経の前のプロキメンは通常通りの方法で行う。6調
「我を深き坎に闇冥に淵に置けり」
(句)主我が救いの神よ、我昼夜爾の前に叫ぶ。

コリント前書 125端(1:18〜2:2)「兄弟よ、十字架の言は滅ぶる者の為には愚なり....」
アリルイヤは1調
「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ、神よ、我を救い給え、蓋水は我が霊にまで至れり」聖歌隊「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」
(句)侮は我の心を裂き、我が疲れは極れり
聖歌隊「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」
(句)願わくは彼らの目は昏みて見るを得ざらん
聖歌隊「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」
輔祭「我等に聖福音経を聴くを賜うを主神に祈らん」
聖歌隊「主憐めよ」(3回)輔祭「睿智、粛みて立て、聖福音経を聴くべし」、司祭「衆人に平安」、聖歌隊「爾の~°にも」
輔祭「マトフェイ伝による聖福音経の読み」
聖歌隊「主や光栄は爾の苦しみに帰す」
マトフェイ 110端(27:1〜39、ルカ23:39〜43、マトフェイイ27:39〜54、イオアン19:31〜37、マトフェイ27:55〜61)
聖歌隊「主や光栄は爾の寛忍に帰す」

重連祷「我等皆霊を全うして曰わん、我等の....」高声「蓋、爾は慈憐にして人を愛する・・・」、「主よ、我等を守り罪なくして」増連祷 高声「蓋爾は善にして・・・」「衆人に平安」「我等の首を主に屈めん」高声「願わくは爾父と子と聖神の国の権柄は・・・」
挿句のスティヒラは4スティヒラに3句。1つめのスティヒラの後に第1句をつける。2調「光栄、今も、アミン」5調。
「イオシフはニコディムと偕に爾光を衣の若く衣る者を木より下して、爾が死し裸にし葬られざるを見て、善心に痛く歎きて、泣きて曰へり、鳴呼哀しい哉至愛なるイイススよ、日は爾が十字架に懸れるを見て、忽黒暗に覆はれ、地は畏懼に因りて震ひ、殿の幔は裂けたり。然れども視よ、我今爾が我が爲に甘じて死を受けしを見る。吾が~よ、我何如に爾を葬り、或は何如なる布を以て爾を裹まん。洪恩なる者よ、我何如なる手を以て爾の朽ちざる身に觸れん、或は何如なる歌を以て爾の逝世を歌はん。我爾の苦を崇め讃め、爾のほうむりと復活とを讃め歌ひてよぶ、主よ、光栄は爾に帰す。」
このスティヒラを歌うとき、王門を開き、司祷者と輔祭は宝座を3回まわって炉儀。誦経者「主宰や、今爾の言に従い」「聖三」「至聖」「天主」聖歌隊は「アミン」のあとトロパリを2調あるいは特別の曲付けで歌う。

「尊きイオシフは爾の潔き身を木より下し、浄き布につつみ、香料にて覆ひ、新なる墓に藏めたり」
第2のトロパリ「天使は香料を攜ふる女に墓の側に現れてよべり、香料は死者に適ふ、ハリストスは朽壞に與らず」
 トロパリを歌い始めたら、教役者と堂役全員は宝座に3度伏拝。司祷者は就寝聖像から小福音をとり、頭上にのせる。陪祷の司祭の手を借りて、就寝聖像を宝座から持ち上げ、頭上の福音経の上にのせる。(司祭を手助けする神品がいない場合は、ひとりで就寝聖像を頭上にのせる。必要であれば敬虔な信徒の手を借りてもよい。信徒は司祭が北門に近づいたときに手を貸す)香炉を持った輔祭、ロウソク持ち、堂役は宝座の右を通って高所を通り、北門を通ってまっすぐ墓(柩案)に向かう。王門で止まらない。

 就寝聖像の運び方は、司祭が「ハリストスの体の」縦方向に立ち、聖像の下を歩く。聖像の足が先になる。就寝聖像を墓に安置するときはハリストスの頭が北、つまり宝座に向かって左、足が南、向かって右になるように置く。
 太気を畳んでハリストスの体の中央に置き。小福音をのせる。傷は接吻するとき見えるようにする。手と足に接吻する。
 就寝聖像を安置したら、司祭と輔祭は周りを3周して炉儀。炉儀の後伏拝2回。主の手と足に接吻し、もう1度伏拝。トロパリが終わった後司祭は説教を行わなければならない。
 説教の後全員が就寝聖像に接吻する。通常この時以下のスティヒラを5調、または特別の曲付けで歌う。
「来たりて、恒に記憶すべきイオシフを讃美せん。彼は夜ピラトに至り、萬衆の生命を求めて曰へり、請ふ我に此の孤獨の者を與へよ、彼は首を枕する處なし。請ふ我に此の孤獨の者を與へよ、兇惡の門徒は彼を死に付せり。請ふ我に此の弧独の者を與へよ、其母は彼が十字架に懸れるを覩て、泣き號び、母の情を以てよべり、嗚呼哀しい哉我が子、嗚呼哀しい哉、我が光、我が至愛の腹よ。蓋シメオンが~の殿に預言せしことは今應ひたり、劍は吾が心を貫けり。然れども悲を易へて爾が復活の喜と爲し給へ。ハリストスよ、我等爾の苦に伏拜す、ハリストスよ、我等爾の苦に伏拜す、ハリストスよ、我等爾の苦及び聖なる復活に伏拜す。」(聖大土曜日早課の最後に記載)

スティヒラのあと「睿智」聖歌隊「福を降せ」司祭「永在の主ハリストス」聖歌隊「アミン、神や我国の天皇と」司祭「至聖なる生神女」聖歌隊「ヘルビムより....」司祭「光栄は」聖歌隊「光栄は、今も、アミン、主憐めよ(3回)、福を降せ」
発放詞「我等人々の為、及び我等の救いの為に」

 ロシア教会の習慣ではふつう、三歌斎経の晩堂小課の十字架のカノンを続けて歌う。「来たりて恒に記憶すべきイオシフ」歌い終わると十字架の主と生神女の哀しみのためのカノンの讃詞を墓の前で司祭が読む。第9歌頌では「常に福」の代わりに「神の使いすら見るを得ざる神」を歌う。イルモスに続いて「睿智」発放は上記と同じ。
 実際的な方法としては、説教の後、最後の発放「来たりて常に」、それから就寝聖像接吻が行われている。

<就寝聖像の拝し方>

 就寝聖像に近づいたら、2度伏拝して、手の傷と足の傷と福音経に接吻し、下がって3度目の伏拝をする。主の顔に接吻する人がないように、聖像の顔の部分はポティールを覆う小袱をかけて置く。(聖週間には見学者や、何も知らない信徒が来ることもあるので)信徒が正しい拝し方を完璧に理解しているとき、または司祭が見ているときは小袱ははずした方がよい。ブルガコフのウスタフ(机上本P.549)では主の顔を覆わないように指示している。