6、方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)

 祭服の中には、その前身が元々体を保護する、手を洗う、防寒目的と言った、実用性が動機となって身に着けられていたものがあった。始めそれらは単なる備品に過ぎなかったが、時代が経るにつれ、実用目的が薄れて神学的意味づけがなされ、聖別された祭服の一部として残るに至った。この背景には、どんなものでも神の光栄を顕すものに変容し得る、と言う聖使徒が救世主から直接受け継いだ教えがある。正教会で使用される祭服を特徴づける点のひとつとして、元々この世の物でありながら、神の光栄を顕す物に「変容させられた」結果である、と言う要素があげられる。たとえ合理的目的が失われても、歴史性と福音的意味を今日まで伝える物として残される。これは、奉神礼そのものについても言えることである。祭服を身にまとう事は、いわば教会の歴史そのものを背負う事の証と言える。今回紹介する方佩(パーリツァ)と股衣(ナベトレニク)も、そうした祭服のひとつである。

 方佩と股衣は、元々神品が祈祷中に手を拭く為に用いた布であった。特に主教品は聖体礼儀中に何度も手を洗うが、身につけた布で手を拭くという発想が生まれたのも、祈祷を粗相なく、速やかに行うためであろう。一説によれば、膝立ちの姿勢で祈る時、床にひく座布団の役を果たすものもあったらしい。後代になってこれに聖書的意味が加わり、ハリストスの裁判の時、ポンテイィ・ピラトが手を拭いた布を象る(マト27:24)、とか、聖体機密制定の時、晩餐前に主が弟子達の足を拭ったタオルを象るもの(イオ13:3-5)、などとされた。しかし、本当の意味で神学的意味づけがされていったのは、14世紀頃である。
 方佩と股衣が同じ前身であった事は、身に着ける時の祈祷文が共通である事からも理解できる。

剛き者や、爾の光栄と爾の美麗たる爾の剣を股に佩びよ。此の飾りにて、真実と温柔と義との為に急ぎて車に乗れよ。爾の右の手は、常に爾の奇妙なることを顕さん、今も何時も世々に、アミン。
(パーリツア方佩とナベトレニク股衣を着ける時の祈祷文)。

 「剛き者」とは、教会を悪から守る立場にある者―主教品―を指し、剣はその為の武器「聖神(聖霊)の剣」である。したがって、方佩は元々主教品の祭服の一部であり、主教品は完装の時必ずこれを身に着ける。しかし後代、功労に応じて司祭品にも与えられるようになった。功労の証と言う点では、股衣も同様である(現在、ギリシャ正教会は股衣を用いていない)。股衣は司祭に対し、方佩は長司祭に対し授与され、前者は左側に、後者は右側に腰を被う形で装着される。いずれもこの世の様々な誘惑や障害から、真実の信仰を守り抜いてきた勝利の印として与えられるものである。このように方佩と股衣は、司祭品にとっては必ずしも必要不可欠な物ではないが、徳の高さや、長年月教会に奉仕してきた尊敬と敬意を表すものとして、尊重されている。それは、機密執行者が教会の歴史を背負いつつ、「真実と温柔と義」を守る者である事の自覚と表明の具現化なのである。