3、套袖(ポルーチ)

祭服は神の働きに参与する為に身にまとうものであり、装飾や演出といった世俗的理由に基づいて使用されるわけではない。現在の形も、神の光栄を顕すにふさわしいものを追い求めた試行錯誤の結果なのである。その下地には、使徒達が旧約律法から受け継いだヘブライの伝統が常にあった(出28章)。
 しかし一方で、聖務に粗相無くスムーズに行い、適材適所で着けはずしする便利さという、現実面に即した要素も考慮されてきた。祭服について述べる時、常に信仰上の意義、実際面、歴史的背景という三つの側面から考慮する必要があるのは、こうした理由による。
 套袖(ポルーチ)は、実務的には機密の執行に粗相のないよう、袖を固定するためにつけられるものであるが、機密執行にたずさわる者とそうでない者、つまり神品と教衆を聖別するものでもある。これをはめない副輔祭、堂役等は、宝座や聖器物に直接手を触れることはない。歴史的にはイイスス・ハリストスが受難にあった際、両手にはめられた手錠を象っている。万物を創造した神の手が罪人を縛る手錠に収まったという、計り難い謙遜を表しているのである。同様にこれを着ける者も、神の謙遜に倣って身勝手な動きをすべきではないとされる。手は、働きを表すからである。宝座に触れる事ができる者がその為の神恩を手に宿している事の有形化なのである。そのことは、套袖を実際に着用する時の祈祷文にもよく表れている。 

(右手)
主や、汝が右の手は力に依りて光栄を顕わせり、主や汝の右の手は仇を破り、汝が光栄の大いなるを以って敵を滅ぼせり。

(左手)
汝の手我を造り、我を設けり、我に悟らせ給へ、我汝の誡めを学ばん

ここで強調されているのは、神の救購と創造の御業である。救購と創造は、創世以来現在に至るまで一貫して示されてきた、聖三者の働きである。機密を通して、今もその御業が顕れている。機密とは、聖三者の御業が今も人々を救い、神の子へと再創造している証なのである。套袖は、救世主に倣う謙遜があって始めて機密執行に参与できる神恩が、その手に宿ることを表しているのである。神品の手に信者が接吻することは、その手を通して救購と創造の御業が現れていることへの敬意に他ならない。套袖は、それをはめる事によって、神品に対しては主に倣う謙遜、信者には聖務者に宿る神恩を明示しているのである。