聖致命者・捧神者 イグナティの生涯

 ある日、ハリストスの使徒たちが、天国ではどのような者が一番偉いとされるのか、と議論していました。イイスス・ハリストスはこれを耳にされて、ひとりの幼子を呼び寄せ、使徒たちのまん中に立たせていわれました。

 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼子のように自分を低くする者が、天国で一番偉いのである。まただれでも、このようなひとりの幼子をわたしの名ゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」(マトフェイ18の2−5) イイスス・ハリストスがこの時だき上げられたこの幼子の上には、神の祝福がながく止まりました。

 いい伝えによれば、このとき主にだき上げられた幼子は、捧神者イグナティその人で、後に彼は神学者イオアンの弟子となり、ついにハリストスの教えを守り、迫害にあい、致命し聖人の栄冠を得るにいたりました。

 イグナティは「聖使徒たちの協議によって」アンテオヒヤの主教に選ばれました。主教となったイグナティは労を惜しまずよくその信徒たちを教え、導き、十二使徒のように教えを堅く守り心をこめて神のみことばを伝えて、多くの人をハリストスの教えに導きました。

 彼は聖神の導きにより、聖歌隊を二つに分けて、左右それぞれを立たせて歌わせましたが、この礼拝の仕方は後に他の教会でも取り入れられるようになりました。信徒たちは自分たちの主教を捧神者と名づけて呼びました。これはイグナティが熱心に神を愛し忠実だったことを現しています。                                                                    

 トラヤン帝が凱旋してくる時に、アンテオヒヤの人びとは盛大な宴会を催しさまざまな儀式をもうけてお祝いしました。しかし、この祝宴は、異教のやり方であったので、ハリスティアニンはこれに参加しませんでした。そこで人びとはこのことについて皇帝に告訴し、さらに主教は異教の神・ハリストスを信じているときめつけました。トラヤン帝はこのことを聞きアンテオヒヤに到着するやただちに主教に出頭を命じ、「捧神者とよばれ私の命令にさからって全アンテオヒヤをハリストスに従わせようとしているのはお前か」と聞きました。

 これに対して毅然として「いかにも私です」と答えました。トラヤン帝が、捧神者と呼ばれる意味を問うたことに、「捧神者とは自分の霊の中にハリストスを戴く者のことです。」と答えました。トラヤン帝はさらに主教にむかって「お前はどうして自分にハリストスを戴くことができるのか。」と問い、イグナティは「真理によってこれを戴くのです」つまり聖書にある「わたしは彼らの間に住みかつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。」(コリント後6の16)と述べました。

 トラヤン帝はイグナティの信仰をあざけり、世の中の富や地位・名誉などのすばらしさを述べ伝えて彼をハリストスからそむかせようといろいろ手をつくしましたが、「主にそむいて高い地位や財産の中で人生を送るよりは、むしろ十字架の上に死に給うたハリストスのために、苦しみを受けることの方がよほどよい」とことわりました。

 皇帝はさらに「お前はいま、お前の神は死んだといった。死んだ者がどうして人を救い生命を与えることができるか。我々の神々は死ということはない。」と問いつめました。「私たちの神は私たちのために人となって、おんみずから十字架と死と葬とを受けられ、三日目に敵の権を破り復活して、ふたたび天に昇り天より降って私たち不幸におちいっている者たちを目ざめさせ、新たに天国に入らせて、それ以前私たちの持っていたよりも、もっと大きな幸福を下さいました。あなた方の神々の中にこのようなことを、なし得た者があったでしょうか。」と答えました。

 それから聖イグナティは、異教の神々についての神話の中から例をひいてその愚かしさを述べたので、トラヤン帝は大変立腹し彼を捕らえ死刑を宣告し、牢屋に閉じこめ、後で猛獣に食い殺させようと考えました。しかし、帝はこの残酷きわまりない迫害と致命者の剛気と忍耐にとんだ立派な態度から、人びとに逆にハリストスを信じさせることになってはまずいと思い、聖イグナティをローマに送って処刑することに決めました。そうすればローマの人びとはイグナティが信仰のため処刑される殉教者であることを知らず、ふつうの罪人の処刑と思うであろうと考えたからです。

 トラヤン帝は、その理由から外国に遠征しました。一方イグナティは処刑されるために思い鉄の鎖につながれて遠くローマに送られることになりました。イグナティのからだは日々疲れ果てていき、死期がせまってきましたが、その強い信仰の心は少しも衰えることなく、かえってこの上なく愛するハリストスの御名のために刑につくことを喜びました。ローマに送られる途中、通過したセレウキヤスやスミルナといった小アジヤの諸都市では、聖人を見送るため、数多くの信者が悲しみ涙を流しながら出迎えに集まって来ました。しかし、聖人は逆に人びとをなぐさめ信仰をはげましました。 

 スミルナでは神学者イオアンの同門弟であった聖ポリカルプに会い、数日を一緒に過ごす機会を得ました。この機会にイグナティはそこからエフェス、マグネジヤ、トラリ、ローマの諸教会に手紙を送り、書中に真実ハリストス教の教理を説き、神と人とに対する熱切な愛の関係を説いています。この手紙はいまでも残っています。エフェスの信者に送った手紙には『私は権力ある者のようにあなた方に命令しているのではありません。私はハリストスのために捕らわれの身にはなっていますがまだハリストスによって全うされた者ではありません。今、やっとその弟子となっただけです。けれども私は師としてあなた方にいう。あなた方の信仰と恒に忍耐を以て私の仕事を助けなさい。私のあなた方に対する愛は私があなた方に書き送ります。私は願っております、あなた方が主の道に従うことを。』

 聖イグナティはまたハリスティアニンに同じ心で互いに愛し合い牧師につつしんで従うことをすすめ、当時多く現れたにせ教師にまどわされないことを教えました。その手紙には『すべて信徒は常に熱心に多くの人びとのためにお祈りしなさい。彼らも悔い改めて主に帰することが出来るからであります。またあなた方の聖なる行いは多くの人びとの手本となるでありましょう。皆が集まってお祈りすることに手落ちのないように、なぜならばこれを以て悪魔の権をくじき、皆心を一つにすることによって悪魔の力を破ることが出来るからです。』

 イグナティは自分の運命に信者たちがどういうかかわりあいを持とうとしているかを知って、心配しました。そこで彼はスミルナからローマの信徒たちに向けて手紙を送り、自分があまんじて死につく理由を彼らに説き、自分が処刑されることを決してじゃますることのないように願って次のように書きました。

 『私は久しくあなた方にお会いしたいと思っていましたが、主は私のお祈りを聞き入れて下さって、あなた方に会うことが出来るようにして下さろうとしています。イイスス・ハリストスのために囚われ人となっている私は、もし神のみ心があればあなた方を訪問したいと望んでいます。私の意志(殉教)をとげるためです。私は神のあわれみを受けて私の命の終わり(殉教)に至ることを望んでいます。けれども私はあなた方の愛を恐れています。その愛が私をかえって、死の運命から助け出して殉教をさまたげようとしているからです。

 私は神に到達する機会を得ました。あなた方は愛をもって私のじゃまをしないで下さい。いま神に到達することが出来ることが私の目前にせまっています。だからあなた方がこれを妨げないで下さることが、あなた方の私にして下さることが何ものよりもまさるものです。その時、私は主と体合することが出来るのです。これに反してあなた方が肉体(私の死)をおしむならば、それは私の苦しみを増すことになります。今はもう祭壇もすでに準備されているのですから、どうぞ私が供えものになることを許して主をほめたたえることをさせて下さるようお願いします。・・・・・・ただ、あなた方は私のためにこのことを祈って下さい。どうか私の霊と体とに主が力をさずけて下さることを。私がただ名前だけのハリスティアニンと呼ばれるのではなく実際においてもハリスティアニンとなることが出来ますようにと。

 私は諸教会に手紙を出して、私をしたって集まった人びとに「私の死をさまたげることがなければ喜んで主のために死ぬことが出来るといいました。あなた方は、時勢にあわない愛によって私の死をさまたげないで下さることをお願いします。私を獣の食となるままにしておいて下さい。これによって私は神に到達することが出来るのです。私は神の麦であります。獣の牙に挽かれ粉となって、神のための清いパンとなることを願っております。・・・・・・私はいま囚われ人ですが、受難すればイイスス・ハリストスに属する自由の人となり、ハリストスによって自由人として甦るでしょう。・・・・・・いま私はハリストスの弟子となり始めています。私は形ある物にも形のない物にも一つも望みはありません。ハリストスの聖前に到達する唯一の望みがあるだけです。いま悪魔のひどい仕打ちで私を火の中に投げ入れようと、十字架に釘づけにされようと、あるいは獣の牙に身は裂かれ骨がくだけ体が粉々になっても、私はただハリストスに到達するだけです。・・・・・・私は真実なる神父の子、主を求め、私たちのために死んで甦った方をたずねるのです。・・・・・・兄弟たちよ、私をゆるして私が(殉教を通して)生きることをじゃましないで下さい。イイスス・ハリストスは永遠の命だからであります。私の死を望まないで下さい。つまりハリストスをもたない命は死そのものだからです。

 どうぞ私に清い光を見ることを得させて下さい。どうか私にイイスス・ハリストスの苦しみを真似る者となることを得させて下さいますよう・・・・・・。ここにハリストスを信ずる人は私の望みを知っているし、また勝利のあることも知って私のためにあわれんで下さるでしょう。この世のあなた方は私を裂き私の霊と私の神についての希望を腐敗させようとしています。あなた方は彼を助けてはいけない、ただ私と共に神の方について下さい。・・・・・・もしあなた方と会って(あなた方が私を死より救うことを)願うならば、私に聞かないで下さい、私があなた方に書いたものを信じてこれに従いなさい。いま私の命は満たされ、ハリストスのために死ぬという愛の望みにかこまれて、あなた方に手紙をしるし、私の愛は十字架に釘づけられましたので、この世に対する愛着はすでに私にはありません。ただ生きている水は私に流れて、私の体の中で言う、「父に往け」と。私は腐敗した食べ物と、この一生の間の喜びとを楽しみとしません。私は神のパン、天上のパン、生命のパン、アブラアム、ダヴィドの家系より生まれた神の子ハリストスの体が欲しいのです。また私は神の飲みものとして朽ちない愛であり永遠の生命である彼の血が欲しいのです。・・・・・・短い手紙であなた方にお願いします。さまたげないで下さい。私が私のために十字架にかけられたイイススを愛していることを信じて下さい。・・・・・・祈る神父と主イイスス・ハリストスとは私が真実を語っていることをあなた方に証しして下さることを。またあなた方は私と共にお祈りして、私に聖神によってお願いする事が受け入れられるようにして下さい。私があなた方に書くのは肉の欲からではありません。神の御意によるものであります。もし私が苦しみを受けるのをきらったならば、私をにくみなさい。あなた方がお祈りする時にシリヤの教会を思い起こして下さい。この教会は私の外に『我は善牧者なり』とおっしゃった他の牧者がいます。彼は必ずこの教会を思ってくれるでしょう。』

 この手紙を出して後、イグナティはスミルナを去りローマに向かいました。