聖アンブローシイ
オプチナ修道院の偉大な長老、スヒマ修道司祭アンブローシイは、1812年12月6日、ロシアのタンボフ郡に生まれました。この日は聖アレクサンドル・ネフスキイ公の祭日でしたから、彼の修道士になるまでの名はアレクサンドルと言いました。子供の頃から機知に富み、活発な性格の持ち主でした。
1836年、彼は優秀な成績でタンボフの神学校を卒業しました。
「お前はオプチナで必要だ。オプチナへ行きなさい」という長老イラリオンの言葉に従い、1839年彼はオプチナ修道院にやって来ました。長老レフは彼を迎えて、その炯眼の才により、彼の中に自分の後継者としての長老アンブローシイの姿を認め、「偉大な人になるであろう」と預言しました。
1842年、アレクサンドルはメディオランの主教聖アンブローシイ(記念日12月20日)の名を受けて剪髪式に臨み、修道士となりました。翌年彼は厳寒時に病にかかり、以後50年間その時に受けた胃部の鋭い痛みは彼を離れませんでした。彼は病にある人々を慰めてよく言いました。「人が自助の力を全て使い果たした時、主・神はご自分の力を表されます。人に出来ないことも主には可能です。主は病人から肉体における修行は求めておられません。忍耐と従順、そして感謝を待っておられるのです」
彼は主ハリストスがなさったように、富める者も貧しい者も信仰のある人もまだない人も同じように受け入れました。ただその大いなる慈憐の心によって、道に迷った人が痛悔して心理に立ち戻ることのみを願いました。彼は、魂が天の国へと昇るための二つの翼は「忍耐」と「従順」であると教えています。彼はその鋭い炯眼力と多くの奇跡によってさまざまな社会層の人々の精神生活を教導しました。救いを求めて彼のもとを訪れた人々の中にはトルストイ、ドストエフスキイ、ゴーゴリなどの名を見ることが出来ます。
1891年10月23日正午、克肖者聖アンブローシイの魂は神のもとに召されました。埋葬式を前にして修道司祭グリゴリイは次のように述べています。「・・・・・・彼は常に神の前を歩いていた。その生涯の意味するものは何であるか。それは自己愛の完全な排除である。彼の人生において何か『自分のため』ということがあっただろうか。何もなかった。・・・・・・」