17、親しみの献げもの

 私達は先に、私達が皆で信経をとなえることについて学びました。この祈りは全世界の正教徒は全て同じことを信じていることを示しています。今や聖堂の中にいる全ての人々は、平和と愛と信仰に結び合って神に贈物を捧げることが出来るようになりました。
 祈祷のこの部分はアナフォラと呼ばれます。アナフォラはギリシャ語で「奉献」という意味です。司祭は私達の贈物のパンとブドー酒を持ち挙げ、それを神に捧げます。彼がそうする時、私達は実に全世界を神に捧げるのです。
 私達はパンとブドー酒と共に人々の全ての働き、能力、時間、又家や食物、或は自然など、全てを捧げるのです。イイススは私達にパンとブドー酒を捧げるように教えられました。それはこの二つのものと共に私達の生命と全世界の全てのものを捧げることを意味しているからです。

 司祭は私達の贈物を神に捧げ、会衆(聖歌隊)と次の様な祈りの対話をいたします。

司祭 正しく立ち、畏れて立ち、謹みて安和にして聖なる捧げものを奉らん。
会衆 親しみの捧げもの、ほめ揚げの祭を。
司祭 願わくは私が主イイスス・ハリストスの恩、神父の慈しみ、聖神の親しみはなんじ衆人と共にあらんことを。
会衆 なんじの神にも。
司祭 心を上に向うべし。
会衆 主に向えり。
司祭 主に感謝すべし。
会衆 父と子と聖神、一体にして分かれざる聖三者は尊み拝まるべし。

 聖歌隊がこの歌をうたう時、司祭は宝座の前に立って静かに祈りをとなえます。司祭の称える祈り私達は聞くことはできませんが、それは私達全てのために捧げる祈りであることは知る必要があります。
 この中で司祭は、私達が神に祈り、神を賛美し、神に感謝することがいかに正しいことかを記憶します。私達は完全に神を理解することはできません。何故なら神は私達が考えるいかなるものより偉大な方だからです。紙は私達に生命を与え、私達の住む世界をお創りになり、私達が神を忘れている時でも、私達を助けて下さいます。神は私達を導き、神の国を与えられるのです。「私達が知ること、知らないことの全てのために・・・私達はあなたに感謝します」と司祭はとなえます。
 この静かにとなえられる祈りの終わりに、司祭は私達だけが神に仕えているのではなく、無数の天使達も神に仕えていることを記憶します。
 「凱歌を歌い、呼び、叫びて言う」、この最後のことばを司祭は大きな声でとなえ、聖歌隊は天使の歌をうたいます。
 「聖、聖、聖なるかな主サワオフ、天地に何時の光栄はあまねし、至と高きにオサンナ、主の名にて来るものは崇めほめらる、至と高きにオサンナ」。