§質問§
友人に、正教会では「家屋成聖祈願」や「新車成聖祈願」等があると話したら、
「それは古代の迷信的な行為の名残で純粋な信仰ではない。まるで神社のお払いや
お清めと同じだね」と言われて参ってしまいました。
<答え>
人間神化
ハリストスは人となった神です。完全な人であると同時に完全な神です。なぜ、神が人になったのか?古代の聖師父たちは、「神が人となったのは人が神になるため」と答えます。神・ハリストスが肉体をとり人となったことにより、病んだ人間性に苦しむ私たちにも、洗礼によって主の死と復活に与り、主のお体を領聖する事により、癒され、さらに「神の性質にあずかる者」(ペートル1:4)へと再生(「神化」)する道が開かれたのです。その再生をいわゆる「霊的な」再生ととらえてはなりません。肉体を含めた「人間の全体」が再生します。この再生・神化の道をこの世で極限まで上り詰めたいく人かの聖人たちは、その肉体に「主の変容(マトフェイ17章)の光」とおなじ光を帯びたと伝えられています。
「もの」にも変容の可能性が
この再生は人間にのみ与えられたものではありません。神の恩寵に浸透されて、この世の「もの」も神の聖性を帯びたものへと変容すると正教は教えます。聖使徒パウェルは「被造物は実に切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる…被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みがのこされている(ロマ8:19〜21)」と、人がハリストスの救いに与り「神の子」へと回復されることを通じて、被造物(世界)全体が滅びや腐敗を免れるものへと変容・「成聖」されると言っています。
成聖祈祷の意味
したがって私たちが用いる家屋や自動車が、神の恩寵によって「成聖」されることを祈るのは当然です。また、その祈りは、神様に与えられた「もの」を、私たちが再び罪深い用い方で汚してしまわないようにと、私たち自身にも罪を免れさせて下さいという祈りでもあります。
ハリストスによって、人と神、人と人の健全な交わりの可能性が回復したと同時に、人と「もの」の世界の親しみ・交わりへの可能性も回復しました。「もの」はもはや消耗品として次々と消費される素材や道具ではありません。神様との交わりの場・手段となります。教会では「聖器物」をこよなく大切にします。ある意味で、ハリストスによって、私たちの日常生活にあるすべてのものが「聖器物」となったと言えます。成聖の諸祈祷を通じて私たちはそれを体験し学ぶのです。
古代人が迷信的だったのではありません。彼らは現代人より「もの」の世界との親しみを少しはよく知っていただけです。