使徒たちの信仰とそのあり方、その理解を、異端との闘いや伝道や牧会の様々な局面で、確かめ守ってきた教会の指導者たちを師父(教父)と呼びます。ローマ・カトリック教会では八世紀までの古代教会にその範囲を限定するようですが、正教会ではビザンティン中世のグレゴリオス・パラマスやニコラス・カバシラスは当然のこと、さらに近代に至るまで深い精神性と洞察で教会を導いてきた師たちを、聖職者、修道者、学者、市井の篤信者を問わず「聖師父」として尊敬し続けてきました。
聖キプリアン | 「主の祈りについて」から |
階梯者聖イオアン | 「天国へのはしご」から |
シリアの聖イサアク | 「十字架は自由への呼びかけ」 |
エルサレムの聖キリール | 「啓蒙説教」から |
聖大ワシリー | 「手紙」から |
シリヤの聖イサアク | 「神の正義」 |
砂漠の師父 ピーメン | 「高ぶり」 |
砂漠の師父 ピーメン | 「兄弟を叱るな」 |
砂漠の師父 ピーメン | 砂漠の師父の言行録から |
クリトの大主教アンドレイ | 大カノンから |
順次、増やしてゆきますのでお楽しみに
聖キプリアン「主の祈りについて」から
聖キプリアン(キプリアヌス)は未だ迫害時代にあったローマ帝国の大都市カルタゴ(北アフリカ)の主教でした(AD210生まれ258年殉教)。当時はまだ、ローマ教会が正教会から分離するはるか以前で、教会は堅い一致を保っていました。ここで、ご紹介するのは聖キプリアンが、天主経(主の祈り)の「わが日用の糧」とは、毎日の物質的な食べ物だけでなくむしろ、聖体礼儀(聖餐式・ミサ)でいただく御聖体の事であると教える部分です。領聖(聖体拝領)がクリスチャンの信仰生活の基本であることが、初代教会から連綿と受け継がれてきた大切な教えであることを学んで下さい。
ハリストスは私たちがそのお体を食する時、私たちの糧となられるのです。…天の糧を頂かず、ハリストスのご聖体から離れるようなことがないよう心がけなければなりません。主もこの事について「天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に生きる。そして、私の与えるパンは、世の生命のためにわたされる私の肉である(イオアン6;51)」と言われているのは、実に味わうべき聖言であります。
「このパンを食べる人は永遠に生きる」と主が言われているのですから、私たちがこの事を素直に受け入れるなら、主のお約束によって、その聖意を体し、敬虔な心で御聖体を拝領する者は必ず生命を得ることが確実なのです。これと同時に、もし、この機密から遠ざかるなら、これと反対の結果に至るはずだということを、あらかじめ覚悟しておかねばならないでしょう。ハリストスのお体から遠ざかれば救いもまた遠のくわけです。この事を主も戒めて「人の子の肉を食べず、その血を飲まなければ、あなた達の中に生命がない(イオアン6;53)」と仰せられています。…私たちはハリストスにおいて生きているのですから、彼のお体から遠ざかることがないように、またその聖いお体を頂くことによって、霊的にも肉体的にもなる糧を得て、身も魂も清くなることができるようにと祈りましょう。
<「主の祈りについて」より。聖母文庫「古代教会の声」(ニコロ・タッサン編)所収>
階梯者イオアン「天国へのはしご」より
階梯者イオアン(570〜649)は、シナイ山の麓に現在も連綿とその修道生活を受け継ぐ聖カタリナ修道院の院長として、多くの修道士へ霊的指導を与え、またその著書「天国へのはしご」で今日まで正教会の修道精神に貴重な指標を与えた師父です。正教会は大斎(四旬節)の第四主日でイオアンを節制によって己の肉体を「神の宮」となした模範として記憶します。「天国へのはしご」は、ハリストスの三十年のご生涯になぞらえ、クリスチャンの霊的成長を神へ至る三十の段階に分け説明したものです。平凡社の「中世思想原典集成3・後期ギリシャ教父、ビザンティン思想」に一部訳出されています。
ここにご紹介する言葉は、第七の段階「嘆きについて」からのもので、己を悔いて心から流す痛悔の涙は、洗礼の水と同じように私たちの罪を洗い流してくれると、教えます。痛悔機密(告解)が「第二の洗礼」と呼ばれるゆえんです。また、幼児洗礼者にとっての信仰の自覚の問題にも示唆を与えてくれます。
涙の洗礼
こんな事を言っては大胆すぎるかも知れませんが、洗礼そのものより偉大なのは洗礼の後にいただく涙の泉です。なぜなら、洗礼の水は、洗礼に至るまでの私たちの内にあった諸罪を洗いますが、洗礼の後に犯した罪は、涙によって洗い流されるからです。幼児の時に洗礼を受けた者は、それ以来、せっかくきよめられた自分自身を汚し続けてきました。しかし、涙はそれを洗い新たにしてくれます。神が愛によって、私たちに涙を与えてくれていなかったら、救われるものは実に僅かで見いだすことが極めて困難であったに違いありません。 (英文より翻訳 松島)
シリヤの聖イサアク 「主の十字架は私たちの自由への呼びかけ」
シリヤの聖イサアクは「ニネベのイサアク」とも呼ばれ、七世紀前半ペルシャ湾西岸のカタールに生まれたと伝えられます。彼は修道士でしたが、乞われてニネベの主教となりました。しかし、すぐに主教職を辞し修道院に引きこもり、修道士たちへの霊的指導に専念しました。彼の修道生活についての多くの著作はすべてシリヤ語で書かれましたが、早くからアラビヤ語・エチオピヤ語・ギリシャ語に翻訳され、正統派・単性論派・ネストリウス派を問わず東方教会全域に大きな霊的影響を与えました。
ここに紹介した言葉は、ハリストスの十字架上の死という救いの業が、いかに大きな神の愛に基づくかを、「十字架」が私たち一人一人の自由への呼びかけであるという点から明らかにしています。神が人間に備えられた「自由」によって、私たちは罪を犯し神を離れますが、この自由によって神に立ち返ることもできます。現代の正教会の神学者カリストス・ウェアー主教も次のように言っています。
「自由のないところには愛はない。ポウル・エウドキモフ(現代フランスの正教神学者)が『神は、どんなことでもできるが、われわれにご自身を愛することを強制はできない』と述べているように、強制は愛を追い出してしまう。…自由がなければ罪はなかっただろう。しかし、自由がなければ人間は神のイメージ(像)とは言えないだろう。さらに、自由がなければ私たちは決して神との愛の交わりに入ることはできないだろう」("The
Orthodox Way" SVS p76)
主なる神はご自身がお造りになったものへの熱い愛のゆえに、ご自分のみ子を十字架上の死に渡された。それは、「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された(イオアン3;16)」からである。
それは、神が他の方法で私たちを救うことがおできにならなかったからではなく、それによって神が、み子のすべてを超えた愛をより良く私たちにお示しになるためであり、また、神の独り子の死によって私たちを神のみそば近くに引き寄せて下さるためであった。 …神はその大きな愛ゆえに、…私たちの自由の上に何かを強制することはお望みにならなかった。むしろ、神は、私たち自身の心の中の愛によって、自由に神のみそばに近づくようになることを望まれた。
(梶原史朗訳「同情の心」より。シリヤのイサアクの断片集、聖公会出版)
エルサレムのキリール「啓蒙説教」より
エルサレムの主教、聖キリール(386永眠)は反アリウス派異端の有力な論客でしたが、むしろここにご紹介する「啓蒙説教」で有名。「啓蒙説教」はエルサレムの聖墳墓教会で復活祭の前後に行われたもので、前半は古代教会に広く行われていた習慣であった復活祭での洗礼を待つ「啓蒙者」(洗礼志願者)に対して、信仰の基本事項を教えるもの、後半は復活祭で受けた洗礼機密(秘跡)と初めて体験した聖体機密の意味について述べたものです。大変懇切にして平易な語り口で、古来正教会では啓蒙教育の模範とされてきました。現代文では、最近、平凡社の「中世思想原典集成2・盛期ギリシャ教父」に後半の一部が訳出されました。文語体なら日本正教会から明治35年、堀江復訳「エルサレムのキリール全書」として訳出されています。
イイススの網に捉えられたあなたたち…
あなたたちは、まじめな信仰的動機以外によっても教会に入ってくることがあります。男性は女性に気に入られようとして(そのご婦人の通う)教会に来ることもあり、その逆の場合もあります。また、僕(しもべ)がその主人に取り入ろうと、また、朋友が友だちのよしみで、来ることもありましょう。餌をつけた釣り針で「不純な動機」のあなたを釣り上げたのです。でも、安心しなさい。希望を持ちなさい。たぶん、あなたは、自分が、一体全体どういうところに入り込んでしまい、どんなに大きな網でつかまえられてしまったか皆目見当が付かないでしょうが、実は、あなたは教会という網の中にいるのです。自分がそこで生け捕りにされるに任せなさい。逃げてはなりません。イイススがあなたをとらえたのは、殺すためではありません。殺して生かす、ためなのです。あなたは一度死んで、必ず復活するのです。使徒(パウェル)は言っていますつぎのように言っているではありませんか。
「あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、ハリストス・イイススにあって神に生きている者である(ロマ6:11)」
罪に対して死に、神に対して生きなさい。今日から!生きなさい!
(「キリール全書」序文より、現代語訳名古屋教会司祭松島)
聖大ワシリーの手紙から
まず初めにロウ板に書かれてあった文字をきれいに消し去らなければ、けっして新たにそこに文字を書くことができないように、習慣から来るさまざまな先入観をまず初めに取り去ってからでなければ、魂に神の教えをもたらすことはできない。
(「書簡集」より。「中世思想原典集成2」平凡社 所収
読んで字の如し、師父の明晰な教えです。
聖大ワシリーは親友のナジアンザスのグレゴリー・弟のニッサのグレゴリーとともに「カッパドキヤの三師父」と呼ばれ、当時キリスト教会を席巻していたアリウス派という異端と戦った、四世紀の代表的な師父です。東方教会のみならず西方教会にもおよぶ修道院制度の基本を確立し、貧民のための病院・宿泊施設の設立など愛の事業でも有名です。
さて、私たち一人一人にとって取り去るべき「習慣から来るさまざまな先入観」とは何でしょう?案外頑固なのが「自分はこういう人」という思いこみかも知れません。
シリヤのイサアクの言葉 「神の正義は一体どこにあるのだろう」
罪人を嫌ってはならない。むしろあなた自身にその値打ちがないのに、神はあなたのために備えて下さるお方であることを知って、神の恵みを人々に告げる者となりなさい。
神へのあなたの負債がきわめて大きいのにもかかわらず、神はあなたに支払いを促すような気配を全くお見せにならない。かえって、あなたが表す善意の行いがどんなに小さくても、豊かに報いて下さる。神を「正義」のお方として語ってはならない。神が「正義」のお方なら、あなたを決してそのようにはお扱いにならなかったであろう。
ぶどう園の労働者のたとえ(マトフェイ20章)を読むとき、どうしてあなたは神を「正義」のお方と呼ぶことができよう。また、放蕩で一切を失った息子が悔い改めて帰ってきたとき、父はその首を抱き、再び彼に全財産の権利を与えたという物語に出会うとき(ルカ15章)、誰が神を「正義」と呼ぶことができるだろう。…
私たちが罪人であるのに、ハリストスはなお私たちのために死なれたということを理解するとき、神の「正義」は一体どこにあるのだろう。もし、神がそのことについて、憐れみ深いお方であられたとすれば、これからも変わることなく、憐れみ深くあり続けられる、これが私たちの信仰だ。
(梶原史朗訳 シリヤのイサク断片集「同情の心」聖公会出版より)
私たちはつい「正義」の御旗を振りかざして、人や社会を実に簡単に裁きます。神や信仰を正義の旗印にする事さえあります。ところが、ここで聖イサアクは大胆にも、神を正義の方と呼んではならないと言います。もちろんこれは言葉のあやです。神は正しいお方です。しかし、その正しさは罰や報酬と裏腹の人間的正義を越えるものであり、愛と一体であると言いたいのです。
イサアクが教えるように、ハリストスが、この世に来られたのは、正義を振りかざし人を裁くためでなく、人をゆるし、いやし、新生させるためでした。これを忘れると、あっと言う間に、教会にはいくつもの「信仰の闘士」「改革派」「正義派」が名乗りを上げ、互いの分争に明け暮れることとなるでしょう。(コリンフ前書1:10〜13)
砂漠の師父 聖ピーメン 「高ぶること」
ある兄弟が師父ピーメンにたずねた。「『高ぶること』とは何ですか」。長老は答えた。「裁くことである」。(「砂漠の師父の言葉」<あかし書房>より。)
四世紀の初頭、ローマ帝国はキリスト教を公認しました。迫害は終わり、壮麗な教会が各地に立てられ、人々は競って帝国の絶大なサポートを受けるキリスト教に改宗しました。福音の大きな勝利には違いないのですが、同時に世俗化も始まりました。それに飽きたらず、「自分を捨て自分の十字架を背負ってわたしについてきなさい」というみ言葉を文字どおりに実践するため、一切を捨ててエジプトの砂漠に入り祈りの生活を送る者たちが現れました。彼らこそやがて東西教会に多様な展開をして行くキリスト教修道の源流です。師父ピーメンもその一人です。
修道の兄弟が聖使徒パウェルの戒める「高ぶり」(ローマ書11:20、12:16)とは何かとたずねたのに対し、師父は「人を裁くこと」だと答えました。
「裁く」は何も裁判所で人を裁く事を意味しません。クリスチャンの裁判官もいますが、彼らは法律に照らして裁いているのであって、「高ぶり」や「傲慢」から裁いているのではありません。かえって、私たちは、ふだんのなごやかな会話の中でさえ、その場にいない人たちの「人物評論」に興じて、無用で自分を卑しめるだけの「裁き」を行っているのです。
ピーメンには次のような美しい逸話があります。
数人の長老が師父ピーメンの所に行きたずねた。「あなたの意見では、兄弟たちが時課祈祷の時に、また徹夜祷のあいだに、居眠りをしているのを見たら、目を覚ましているように、揺り起こすべきでしょうか」。彼は言った。「私ならば、兄弟が居眠りをしているのを見たら、彼の頭を私の膝の上にのせて休ませる」。
砂漠の師父ピーメンの言葉 「兄弟を叱るな」
ある人が罪を犯していながら、否定して「私は罪を犯さなかった」と言うならば、彼を叱ってはならない。叱ってしまえば、あなたは彼の勇気をくじくことになる。さらに、彼に「兄弟よ、落胆してはならない。今後も気をつけよう」と言うなら、あなたは彼の魂を回心へと励ますことになる。(「砂漠の師父の言葉」あかし書房 より)
キリスト教が公認され(312年)迫害がやむと、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の生命を失う者は、それを救うであろう」(ルカ9:23〜24)という主の教えを、それまでの致命(殉教)に代え、砂漠や森など僻遠の地での「祈りと斎」の生活の中で文字通り実践しようとする者たちが現れました。師父ピーメンもその一人で、弟子たちへの優れた霊的指導者でした。
人の罪を暴いて義をたてようと躍起になることは、結局、相手の回心(悔い改め)への勇気を、担いきれない罪悪感で押しつぶし、同時に自己を正しい者と見なす薄汚い自己満足で自分自身の魂を亡ぼすことになります。ハリストスへの回心へと人を促すには、人の心のありようを思いやる愛とかしこさ、そして自分自身も主に癒されるほかない罪人だという謙遜と共感が不可欠です。罪のないお方、ハリストスでさえ、騒々しい告発ではなくまさに十字架での沈黙の内から「落胆してはならない」と私たちを励ましておられるのですから。
このハリストスに出会うことがどれほどの慰めと喜びであり、またこの世の地獄でのたうち苦しむ人々に勇気を与える力の源泉であるかを、ピーメンの次の逸話が暗示しています。
師父イサアクが言った。「かつて師父ピーメンとともに座していた時、師父は脱魂状態に入った。私は何でも遠慮なく師父に話しをする習慣だったので、彼の前に伏拝して尋ねてみた。『あなたはどこに行っていたのですか?』。彼は最初話したがらなかったが、私がせがむととうとう答えた。『私の思いは主の十字架のもとで涙を流してたたずんでいる神の母マリヤさまのもとにあった。…私たちがいつもこのマリヤさまと同じぐらい多くの涙を流せたならどんなにすばらしいことだろう』。
(カリストス・ウエアー主教「正教の道」より)
クリトの大主教聖アンドレイ
救世主よ、私は幼いときからあなたの戒めに背き、生涯様々な欲望の満足にふけり、無思慮にも怠りの内に世を送ってきました。だから、救世主よ、あなたを呼びます。いまこの終わりの時にも、私をお救い下さい。(「アンドレイのカノン」水曜日第1歌頌、口語訳松島)
クレタ(クリト)島の主教アンドレイは660年、ダマスクに生まれました。彼は、7才まで言葉が話せませんでしたが、ある時、領聖(聖体拝領)したとたんに口が開きました。以後、熱心に聖書を学び、14才からエルサレムの総主教ソフロニイに仕え、聖都が回教徒の支配に入った時もその地に留まりました。「単意論」の異端を断罪した第六全地公会では、ソフロニイ総主教とともに出席しました。その後、弱い立場の人たちのために熱心に愛の奉仕を行い、その徳行が慕われ、クレタ島の主教となりました。
彼は神学者また聖歌作者として名高く、特に、大斎第一週の月曜から木曜の晩堂大課で祈られる「大カノン」は彼の代表作で、大斎の開始にふさわしい痛悔の哀歌です。
まことの痛悔は単なる道徳的「反省」ではありません。神に背き遠く離れた人間存在の根深い病を、自分のこととして嘆き、神の愛を信じ立ち帰ることです。大斎全体がこのまことの痛悔へと私たちを促します。アンドレイの大カノンでは多くの聖書の出来事が回顧され、その祈りの場に立つ者は、「神よ、我を憐れみ、我を憐れみ給え」という句の反復のなかで、アダムの罪、カインの嫉妬、レメクの残虐、エサウの愚かさ…を自分のこととして体験します。その根底には、冒頭の祈りにも表されている「自分の力ではこの病から立ち上がれません。あなたにおすがりする他ありません」という、図々しいとすら思われかねない徹底した神の愛への委ねがあります。
この委ねがハリストスの救いのわざへの希望と信頼に裏付けられていることは、大カノンから次の祈りの句に明らかでしょう。
「神言葉」よ、あなたは釘打たれて、
あなたの体・あなたの血をいけにえとして、すべての人々のためにささげました。
体をささげられたのは、わたしを改め創るため
血をささげられたのは、わたしを清め洗うためです。
そして、たましいすら、お渡しになりました。
わたしをあなたの父のもとに導くため。